東京メッツのコーチに就任した愛甲氏と長男の大樹内野手
東京メッツのナインに指示を出す愛甲コーチ
初対面の印象は「球界の野良犬」というニックネームとは、いささか違うものだった。
愛甲猛さん、55歳。言わずと知れた横浜高のレジェンドだ。1980年夏の甲子園優勝投手である。同年秋のドラフト1位でロッテに入団。89年には打率3割をマーク。535試合連続フルイニング出場はパ・リーグ記録として語り継がれる。96年に中日へ移籍後も代打の切り札として活躍し、計20年にわたってプロ野球界を沸かせた。このほど社会人のクラブチーム「東京メッツ」のコーチに就任したとの一報を聞き、会いに行ってきた。
11月25日、土曜日。この日、東京メッツの練習(兼トライアウト)が行われたのはサーティーフォー保土ケ谷球場だった。かつては愛甲さんも魂を燃やした、神奈川高校野球の聖地だ。午後5時。すでに日は沈み、ナイター照明が光っている。黒土のグラウンドに足を踏み入れると、愛甲さんは笑顔で言った。
「ここのグラウンドに出るのは、37年ぶりじゃないかな。ここで三塁打、打ったことがあるよ。場外ホームランも打ったんだけど、ポール際で、ファウルの判定にされちゃったんだよなあ」
それにしても冷える。日中は少年野球の大会があり、やむなくナイター練習になったとはいえ、暦はまもなく師走なのだ。日没後、月光に照らされ白球を追っている大人たちはこの季節、そんなにいない。だが、環境なんて問わない。俺たちには野球があればいい。グラウンドにはナインのそんな熱気が渦巻いていた。
東京メッツには愛甲さんの長男・大樹内野手(29)が在籍している縁もあり、これまでも練習に足を運び、ナインに助言を送ってきた。この秋、正式に就任を打診され、快諾したのだった。
練習前、愛甲コーチは駒大OBでもある児玉貴文監督兼内野手(39)と入念に打ち合わせをしながら、メニューに指示を与えていった。私は耳をダンボにして、2人の会話を聞いた。中身は理知的で、しっかりと目的意識を持ったトレーニングばかりだった。「指導者・愛甲猛」は想像していたよりもずっと、理論派だった。
「どうしてもアマチュアの選手は『俺はこんなもんかな』と思ってしまう。でもね、きちんとした練習をすれば、野球はいくつになってもうまくなるんだよ。モットーは『力で勝つのではなく、野球で勝つ』ことだね。イチからみんなで野球を考えて、勉強してほしいと思っているんだ」
個々のレベルアップ。それがもたらすチームの強化。それはもちろんなのだけれど、愛甲さんが見据えるのは球界の「その先」だった。
「せっかくみんな大人になるまで野球に携わってきたんだから、いつかは子供たちに学んできたことを教えてほしいという願いがあるんだよ。ただ教えるのではなく、正しい野球を教えられるようになってほしい。そのためには野球をもっともっと技術的な部分で理解してほしいんだ。そうすると、自分で体験したことは一番、大きいからね」
走攻守、さらには投げること。すべてにおいて卓越した理論を持っているのが、愛甲コーチの強みだ。甲子園V投手の金看板とともにプロ入りしたが、1勝もできずに4年目、打者に転向した。当時の主砲・落合博満さんに弟子入りし、猛特訓を経て、才能はバットで開花することになった。この夜、東京メッツの打者のほとんどは、バッティンググローブを使わずに素手で打撃練習に臨んでいた。これって、もしかして…。
「練習は落合流だよ。素手で打つことで、バットの感触を手が覚えられるんだ。みんなには『いいマメを作ろう』って言っているよ。俺も当時、素手で随分振ったから。でもね、野球に新しい、古いはない。『これが絶対』もない。やりながら模索していけばいいと思うんだ。みんな、日に日にうまくなってきているよ」
児玉監督は言う。「クラブチームは全体練習が土日ですから、どうしても練習量が少なくなる。そんな中、強いチームに勝つためには、技術が必要になります。愛甲さんに入って頂いたことで、短期間でもすでに多くのことを教わりました。これから反復練習して、いかに選手が自分のものにしていけるかだと思います」
この秋、東京メッツからBCリーグの信濃へドラフト1位指名された最速148キロ左腕・叶翔太投手(24)は横浜高出身で愛甲さんの「直系」にあたる。同校ではDeNA・筒香の1学年下。関西独立リーグや米独立リーグを経て、東京メッツにたどり着いた異色の経歴の持ち主だ。新たな世界に挑むサウスポーも「投手としてアドバイスをいただいたんですが、全然違う。りきんで投げるより、力を抜いて投げた方がいい球が行くと、教えてもらいました」と感謝した。
球界の枠を超えた、型破りなアウトロー。確かにそんな愛甲さんはとても魅力的だけれど、野球を心から愛し、真摯に指導へと取り組む姿にもまた、惹かれるものがあった。
「ただ厳しく教えるのではなく、楽しめる、やりがいのある練習ができたらいいよね」
グラウンドへと舞い戻った「野良犬」は、アマ球界にどんな咆哮をとどろかせるのか。猛々しく、吠えまくれ。(記者コラム・野球デスク 加藤 弘士)
東京メッツのナインに指示を出す愛甲コーチ
初対面の印象は「球界の野良犬」というニックネームとは、いささか違うものだった。
愛甲猛さん、55歳。言わずと知れた横浜高のレジェンドだ。1980年夏の甲子園優勝投手である。同年秋のドラフト1位でロッテに入団。89年には打率3割をマーク。535試合連続フルイニング出場はパ・リーグ記録として語り継がれる。96年に中日へ移籍後も代打の切り札として活躍し、計20年にわたってプロ野球界を沸かせた。このほど社会人のクラブチーム「東京メッツ」のコーチに就任したとの一報を聞き、会いに行ってきた。
11月25日、土曜日。この日、東京メッツの練習(兼トライアウト)が行われたのはサーティーフォー保土ケ谷球場だった。かつては愛甲さんも魂を燃やした、神奈川高校野球の聖地だ。午後5時。すでに日は沈み、ナイター照明が光っている。黒土のグラウンドに足を踏み入れると、愛甲さんは笑顔で言った。
「ここのグラウンドに出るのは、37年ぶりじゃないかな。ここで三塁打、打ったことがあるよ。場外ホームランも打ったんだけど、ポール際で、ファウルの判定にされちゃったんだよなあ」
それにしても冷える。日中は少年野球の大会があり、やむなくナイター練習になったとはいえ、暦はまもなく師走なのだ。日没後、月光に照らされ白球を追っている大人たちはこの季節、そんなにいない。だが、環境なんて問わない。俺たちには野球があればいい。グラウンドにはナインのそんな熱気が渦巻いていた。
東京メッツには愛甲さんの長男・大樹内野手(29)が在籍している縁もあり、これまでも練習に足を運び、ナインに助言を送ってきた。この秋、正式に就任を打診され、快諾したのだった。
練習前、愛甲コーチは駒大OBでもある児玉貴文監督兼内野手(39)と入念に打ち合わせをしながら、メニューに指示を与えていった。私は耳をダンボにして、2人の会話を聞いた。中身は理知的で、しっかりと目的意識を持ったトレーニングばかりだった。「指導者・愛甲猛」は想像していたよりもずっと、理論派だった。
「どうしてもアマチュアの選手は『俺はこんなもんかな』と思ってしまう。でもね、きちんとした練習をすれば、野球はいくつになってもうまくなるんだよ。モットーは『力で勝つのではなく、野球で勝つ』ことだね。イチからみんなで野球を考えて、勉強してほしいと思っているんだ」
個々のレベルアップ。それがもたらすチームの強化。それはもちろんなのだけれど、愛甲さんが見据えるのは球界の「その先」だった。
「せっかくみんな大人になるまで野球に携わってきたんだから、いつかは子供たちに学んできたことを教えてほしいという願いがあるんだよ。ただ教えるのではなく、正しい野球を教えられるようになってほしい。そのためには野球をもっともっと技術的な部分で理解してほしいんだ。そうすると、自分で体験したことは一番、大きいからね」
走攻守、さらには投げること。すべてにおいて卓越した理論を持っているのが、愛甲コーチの強みだ。甲子園V投手の金看板とともにプロ入りしたが、1勝もできずに4年目、打者に転向した。当時の主砲・落合博満さんに弟子入りし、猛特訓を経て、才能はバットで開花することになった。この夜、東京メッツの打者のほとんどは、バッティンググローブを使わずに素手で打撃練習に臨んでいた。これって、もしかして…。
「練習は落合流だよ。素手で打つことで、バットの感触を手が覚えられるんだ。みんなには『いいマメを作ろう』って言っているよ。俺も当時、素手で随分振ったから。でもね、野球に新しい、古いはない。『これが絶対』もない。やりながら模索していけばいいと思うんだ。みんな、日に日にうまくなってきているよ」
児玉監督は言う。「クラブチームは全体練習が土日ですから、どうしても練習量が少なくなる。そんな中、強いチームに勝つためには、技術が必要になります。愛甲さんに入って頂いたことで、短期間でもすでに多くのことを教わりました。これから反復練習して、いかに選手が自分のものにしていけるかだと思います」
この秋、東京メッツからBCリーグの信濃へドラフト1位指名された最速148キロ左腕・叶翔太投手(24)は横浜高出身で愛甲さんの「直系」にあたる。同校ではDeNA・筒香の1学年下。関西独立リーグや米独立リーグを経て、東京メッツにたどり着いた異色の経歴の持ち主だ。新たな世界に挑むサウスポーも「投手としてアドバイスをいただいたんですが、全然違う。りきんで投げるより、力を抜いて投げた方がいい球が行くと、教えてもらいました」と感謝した。
球界の枠を超えた、型破りなアウトロー。確かにそんな愛甲さんはとても魅力的だけれど、野球を心から愛し、真摯に指導へと取り組む姿にもまた、惹かれるものがあった。
「ただ厳しく教えるのではなく、楽しめる、やりがいのある練習ができたらいいよね」
グラウンドへと舞い戻った「野良犬」は、アマ球界にどんな咆哮をとどろかせるのか。猛々しく、吠えまくれ。(記者コラム・野球デスク 加藤 弘士)