↑WBC準決勝から一夜明け、チャーター機で帰国した菅野[後方は千賀=]
第4回WBCの準決勝で敗退した侍ジャパンが23日、米ロサンゼルスから成田空港着のチャーター機で帰国した。21日(日本時間22日)の米国戦で6回1失点と好投した巨人・菅野智之投手(27)は、内定している31日・中日戦(東京D)の開幕投手について「投げるつもりです」と中8日での登板に照準を合わせた。
20年東京五輪に向けても「もう1段階、2段階パワーアップして迎えたい」と決意。無念はシーズン、そして次なる大舞台で晴らす。
米国との激闘から一夜明け、侍ジャパンは解散した。菅野はメジャー軍団相手に6回81球、3安打1失点(自責0)と好投したが、チームは世界一にわずかに及ばず敗退した。米ロサンゼルスの宿舎出発前、エースは現在の心境を明かした。
菅野「悔しいですね。今日も試合(決勝)をしたかったし、みんなそういう思いでやってきていると思うので、その悔しさをしっかりシーズンに生かせるようにやっていくだけ。本当に最高のチームだったし、本当の意味で結束していた。(準決勝は)間違いなく自分の野球人生において一番プレッシャーがかかる大一番だった。負けてはしまいましたけど、しっかり胸を張って日本に帰りたい」
WBCでは3試合で0勝0敗、防御率3・14という数字が残った。大会の余韻に浸る間もなく、巨人のエースとしての仕事が待つ。シーズン開幕戦は31日の中日戦。菅野は昨秋の時点で由伸監督から開幕投手を告げられ、4年連続大役が内定した。「こだわりがある。責任感を持ってやりたい」とこれまでも強い意欲を見せてきた。準決勝から中8日。ハードなスケジュールではあるが、現時点では「もちろん投げるつもりでいます」と覚悟を示した。
巨人以外のセ・パ11球団の開幕投手は、WBCに選出されなかった選手が務める。巨人の侍3選手は25日から全体練習に合流予定。大会の疲労や、時差や長時間移動を含めた体調面、WBC球からNPB球に替わる点など、さまざまな影響を首脳陣と話し合って最終的な結論を出す。06年の第1回WBCでは、韓国との準決勝で先発した上原浩治が、12日後の巨人開幕戦に先発したという例もある。
WBCの悔しさを胸に新たなスタートを切った先には、20年東京五輪が控える。今回、地元ファンの「USAコール」に動じず快投し、相手を驚かせた菅野は、五輪を東京で開催できるメリットを強調した。
菅野「五輪はバリバリのホームの状態で戦える。あの歓声が自分たちに向けられると考えると、本当に今から楽しみです。3年後ですかね、それまでにもう1段階、2段階パワーアップして大会を迎えたい」
今季の自身のテーマは「頂(いただき)」。世界一には惜しくも届かなかったが、かけがえのない財産を得たエースが、リーグ優勝、日本一奪回へとチームを先導する。(片岡 優帆)
◆過去のWBC開催年のG開幕投手決定の経緯
▽06年 上原は3月18日の準決勝、韓国戦に先発し、7回3安打無失点。国際大会12連勝とした。大会通算3試合で2勝、防御率1・59。原監督は年明けから上原に大役を任せる意向を示しており、同31日の横浜戦(東京D)で7年連続の開幕投手を務めた。
▽09年 内海は3月19日に2次R2度目の韓国戦に先発。3回途中3安打1失点だったが、WBCでの登板はこの1度のみ。同25日に帰国。体調面や調整具合などを考慮され、グライシンガーに開幕のマウンドを譲った。内海は4月4日の開幕2戦目、広島戦(東京D)に回った。
▽13年 内海は3月10日の2次R1度目のオランダ戦で救援登板し、2/3回を2安打4失点。代表では中継ぎ起用だった。オープン戦で見事な投球を披露した宮国が、3月11日に大役内定。20歳11か月での開幕投手は2リーグ制後、球団2番目の年少記録。内海は同31日の開幕3戦目、広島戦(東京D)で先発した。
第4回WBCの準決勝で敗退した侍ジャパンが23日、米ロサンゼルスから成田空港着のチャーター機で帰国した。21日(日本時間22日)の米国戦で6回1失点と好投した巨人・菅野智之投手(27)は、内定している31日・中日戦(東京D)の開幕投手について「投げるつもりです」と中8日での登板に照準を合わせた。
20年東京五輪に向けても「もう1段階、2段階パワーアップして迎えたい」と決意。無念はシーズン、そして次なる大舞台で晴らす。
米国との激闘から一夜明け、侍ジャパンは解散した。菅野はメジャー軍団相手に6回81球、3安打1失点(自責0)と好投したが、チームは世界一にわずかに及ばず敗退した。米ロサンゼルスの宿舎出発前、エースは現在の心境を明かした。
菅野「悔しいですね。今日も試合(決勝)をしたかったし、みんなそういう思いでやってきていると思うので、その悔しさをしっかりシーズンに生かせるようにやっていくだけ。本当に最高のチームだったし、本当の意味で結束していた。(準決勝は)間違いなく自分の野球人生において一番プレッシャーがかかる大一番だった。負けてはしまいましたけど、しっかり胸を張って日本に帰りたい」
WBCでは3試合で0勝0敗、防御率3・14という数字が残った。大会の余韻に浸る間もなく、巨人のエースとしての仕事が待つ。シーズン開幕戦は31日の中日戦。菅野は昨秋の時点で由伸監督から開幕投手を告げられ、4年連続大役が内定した。「こだわりがある。責任感を持ってやりたい」とこれまでも強い意欲を見せてきた。準決勝から中8日。ハードなスケジュールではあるが、現時点では「もちろん投げるつもりでいます」と覚悟を示した。
巨人以外のセ・パ11球団の開幕投手は、WBCに選出されなかった選手が務める。巨人の侍3選手は25日から全体練習に合流予定。大会の疲労や、時差や長時間移動を含めた体調面、WBC球からNPB球に替わる点など、さまざまな影響を首脳陣と話し合って最終的な結論を出す。06年の第1回WBCでは、韓国との準決勝で先発した上原浩治が、12日後の巨人開幕戦に先発したという例もある。
WBCの悔しさを胸に新たなスタートを切った先には、20年東京五輪が控える。今回、地元ファンの「USAコール」に動じず快投し、相手を驚かせた菅野は、五輪を東京で開催できるメリットを強調した。
菅野「五輪はバリバリのホームの状態で戦える。あの歓声が自分たちに向けられると考えると、本当に今から楽しみです。3年後ですかね、それまでにもう1段階、2段階パワーアップして大会を迎えたい」
今季の自身のテーマは「頂(いただき)」。世界一には惜しくも届かなかったが、かけがえのない財産を得たエースが、リーグ優勝、日本一奪回へとチームを先導する。(片岡 優帆)
◆過去のWBC開催年のG開幕投手決定の経緯
▽06年 上原は3月18日の準決勝、韓国戦に先発し、7回3安打無失点。国際大会12連勝とした。大会通算3試合で2勝、防御率1・59。原監督は年明けから上原に大役を任せる意向を示しており、同31日の横浜戦(東京D)で7年連続の開幕投手を務めた。
▽09年 内海は3月19日に2次R2度目の韓国戦に先発。3回途中3安打1失点だったが、WBCでの登板はこの1度のみ。同25日に帰国。体調面や調整具合などを考慮され、グライシンガーに開幕のマウンドを譲った。内海は4月4日の開幕2戦目、広島戦(東京D)に回った。
▽13年 内海は3月10日の2次R1度目のオランダ戦で救援登板し、2/3回を2安打4失点。代表では中継ぎ起用だった。オープン戦で見事な投球を披露した宮国が、3月11日に大役内定。20歳11か月での開幕投手は2リーグ制後、球団2番目の年少記録。内海は同31日の開幕3戦目、広島戦(東京D)で先発した。