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【あの時・落合博満1対4トレードの衝撃】(2)「今出して下さい」と球団に言える?

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↑85年、2度目の3冠王が確定、自宅で取材に応じた落合(右)と信子夫人

 移籍騒動勃発から1週間余りが過ぎても、スポーツ紙の1面は常に落合だった。当時の報知新聞にこんなコメントが載っている。

 「家の前に報道陣の黒塗りの車がズラーッと並んでいるのは、気分がいいもんだな」。過去に3冠王を獲得した時でさえ、これほどの注目は浴びていない。時は1986年。「人気のセ、実力のパ」なんて言葉がまだあった時代だ。

 そんな中、夫婦そろってフジ系の情報番組「3時のあなた」に出演した。司会の寺島(現・富司)純子から「年俸2億円ならロッテに残りたいんでしょ。どうなの?」と迫られても、落合は核心に触れず。そこへ果敢に突っ込んだのは信子夫人の方だった。

 「機会があるんだったらセ・リーグでもプレーさせたいって話したの。そしたら、『信子夫人がトレード志願』って大騒ぎになっちゃった。今で言うなら『炎上』しちゃったのね」

 炎上覚悟の大胆発言の裏にはファンの声があったという。「あの頃はウチにはがきが来るんです。『パで3冠とってるけど、セでもとってみろよ』って、毎日来るの。全国からですよ。ファンも見たかったと思うから、私も言ったのよ」

 同じ頃、巨人では王監督が「ドラフト後に検討したい。それだけの価値はあると思う」とのコメントを出した。「トレードとなったら大きな見返りを要求されるだろうね。じっくりいきましょう」。ただ結果として、早くから本命視されたため身動きが取れなくなったことが、明暗を分けることになる。

 信子夫人は振り返る。「落合は『ダメなら、やめればいい。野球をやめたらソバ屋になろうかな』とか言ってるし。私は落合を世に出すためにって必死だったから」。そこに接近してきたのは中日だった。「当時の中山球団社長が、月刊誌に載った私の『セでもやらせたい』という発言を読んだんですって。星野さんも『お会いしたい』と」

 中山社長は、さっそくコンタクトをとって猛アピールしてきたという。「『夫婦で中日に来て下さい。単身赴任じゃダメ。名古屋は住めば都です。奥さんがついてきて下さい』ってね」

 まだ中日と決めてはいなかったが、「セ移籍」という思いは、もう止められない。信子さんは落合に言った。「ロッテにサヨナラして、『セ・リーグに武者修行に出して下さい、今出して下さい』と、球団の上の人に言える?」(特別取材班)=敬称略=

 ◆1986年の落合博満 33歳シーズンはロッテの主軸で打率3割6分、50本塁打、116打点。2年連続3度目のパ・リーグ3冠王を獲得した。2年連続3冠王は両リーグ通じて巨人・王貞治(73、74)、阪神・バース(85、86)に次いで3人目。3度の3冠王獲得は、落合だけしか成し遂げていない。また前年の52本塁打に引き続き、プロ野球史上初となる2年連続50本塁打を達成した。

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