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【あの時・落合博満1対4トレードの衝撃】(4)「ロッテは篠塚を欲しかった」

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↑86年11月、秋季キャンプでナインにゲキを飛ばす中日・星野新監督

 86年オフ。既定路線かと思われた落合博満の巨人移籍は、なぜ「凍結」となったのか。星野仙一は交換要員で折り合わなかったと見ている。

 「もう30年もたつんだから時効かな。ロッテは篠塚を欲しかった。でも巨人としては出せないと。それから(候補を)いろいろ出したけど、ロッテから見ればいい名前がない。それでご破算となった」

 前年85年オフ。巨人では定岡正二が近鉄へのトレードを拒否し引退している。交換要員の選定には慎重にならざるを得ない状況があった。「巨人、獲得凍結」が報じられる直前、ロッテ監督・有藤の「江川と槙原、桑田をくれないかな」という現実味のない発言は、交渉が難航していることの裏返しだったかもしれない。

 それでも最後には巨人になるのではと、星野は考えていた。「巨人の正力さんとロッテの重光さんがゴルフ場でグリーン会談とかやってたから。オーナー同士が交渉しているということは、結局はどちらかが折れるのかなあと」

 中日の監督に就任したばかりの星野は、危機感を募らせた。「あの時の巨人は辰徳がいてクロマティ、中畑がいた。篠塚に吉村、駒田もいる。そこで落合が4番に座ったら勝てるか? 投手もそろっているし、V9時代より上だよ」

 この頃、星野は根本陸夫と会っている。根本は実質的なGMとして西武の黄金時代を支えていた。「落合は獲らないんですかと聞いたら『獲らないよ』と。根本さんが獲らないと困ります。セ・リーグが面白くなくなっちゃうと言ったんだけど…」

 他チームが獲らないなら自分で獲るしかない。星野は腹を決め、オーナーである中日新聞社社長・加藤巳一郎の説得に乗り出す。「オーナーはあんまり野球には詳しくないんだけど、『読売』というものにはとても敏感だった」

 それで星野は「巨人」とか「ジャイアンツ」という言い方をせずに、オーナーにはあえて「読売」と言うようにしていたという。

 「オレは『読売に落合が入ると、こういう打線になるんですよ。これでは全く勝てませんよ。2、3位争いですよ』と数字を出しながら言ったんだ」

 星野は加藤にたたみかけた。「向こうが指名してくる選手を出しましょう。落合はそれくらい太っ腹で行かなければ獲れません。グズグズしていたら読売に持っていかれます」。加藤の答えは「行け!」だった。(特別取材班)=敬称略=

 ◆1986年の星野仙一 39歳だったこの年、NHK「サンデースポーツスペシャル」のキャスターとしてお茶の間でも人気を博し、松下電器など8社のCMに出演。女性誌では「笑顔が無邪気で明るい」「母性本能をくすぐられる」といった理由で「不倫したい男NO1」に選ばれた。2年連続Bクラスに沈んだ中日の再建を託され、秋には新監督に就任。“燃える男”のチームづくりに世間の注目が集まっている中での、大トレード成立だった。

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