↑86年11月6日付本紙
一つのトレードが、日本中を騒がせた。今から30年前の1986年オフ。2年連続3冠王に輝いたロッテ・落合博満に移籍騒動が勃発した。目まぐるしく動く事態の中で何が起きていたのか。落合家のラスボス的存在である信子夫人、逆転獲得のキーマンである中日の星野仙一監督(当時)=現・楽天球団副会長=らが、知られざる舞台裏を明かす。(特別取材班)
事の発端は「神さま、仏さま」と称された男の爆弾発言だった。
86年11月4日。福岡市内で行われた「落合選手を励ます会」の席上だった。そのシーズン限りでロッテ監督を退いた稲尾和久が、前年(85年)オフに巨人からトレードを持ちかけられたことを暴露したのだ。それは「(交換要員として)原辰徳以外なら誰でも出すから、落合を欲しい」という衝撃的なものだった。
落合自身も「稲尾さんがいないのならロッテにいる必要がない。来年、どこのチームにいるかは契約が済まないと分からない」とコメント。翌5日も日米野球のために訪れた平和台球場で「個人事業主として、一番高く評価してくれるところと契約したい」などと“オレ流節”を連発した。
ウマが合う稲尾の解任に不信感を募らせるなど、球団との対立は決定的になっていた。そこにきて、事実上の移籍志願発言。1年前に消えた幻のトレードが一気に現実味を帯びてきた。
ロッテ側は本人と急きょ会談。「放言についてのペナルティーは科さない。トレードもない」とし、沈静化を図った。もちろん、そんなことでは収まるわけがない。「トレードありき」の流れは加速した。移籍先としてささやかれたのは、当然ながら巨人である。
稲尾発言について王貞治監督は「『原以外なら誰でも』なんてバカな交渉をするはずがない」と否定。ただ「去年、落合のトレード話がなかった、とは言わない」と誠意を持って答えたことが火に油を注いだ。
ロッテの有藤監督も「一般論として」と前起きしながら「巨人から申し込まれたら、それ相応の検討はします」と明言。こうなってしまうと、報道の先走りは止まらない。焦点は交換要員へ。最初にウワサされたのは中畑清だった。
渦中にテレビ番組で共演した際のこと。落合とツーショットになったキヨシは真顔で「ウワー、オマエかよ。やめろよ、本当にやめろってば」と絶叫。司会の徳光和夫は「落合さんの足音が巨人、巨人と言っているように聞こえます」と無邪気にあおっていた。
しかし、そんな世間とは真逆のことが落合家では起きていたのだ。信子夫人が笑いながら明かした。「中日の星野さんからこっそりお会いしたいと。『ぜひ奥様も』ということで。みんな『あそこはヨメが決めるんだろう』って感じだったから」―。=敬称略=
◆落合 博満(おちあい・ひろみつ)1953年12月9日、秋田県生まれ。63歳。秋田工―東洋大中退。東芝府中を経て78年ドラフト3位でロッテ入団。82、85、86年に3冠王に輝く。3冠王3度はNPB史上唯一。87年、中日移籍。93年オフにFAで巨人入り、97年から日本ハムでプレー。98年限りで引退。82、85年パMVP。04年から中日監督に就任し、リーグ優勝4度。07年はリーグ2位からCSを勝ち抜き、53年ぶりの日本一に導き、正力賞受賞。11年にリーグ連覇を達成し退任。同年野球殿堂入り。13年秋から中日GM。通算2236試合に出場し、打率3割1分1厘、510本塁打、1564打点。
一つのトレードが、日本中を騒がせた。今から30年前の1986年オフ。2年連続3冠王に輝いたロッテ・落合博満に移籍騒動が勃発した。目まぐるしく動く事態の中で何が起きていたのか。落合家のラスボス的存在である信子夫人、逆転獲得のキーマンである中日の星野仙一監督(当時)=現・楽天球団副会長=らが、知られざる舞台裏を明かす。(特別取材班)
事の発端は「神さま、仏さま」と称された男の爆弾発言だった。
86年11月4日。福岡市内で行われた「落合選手を励ます会」の席上だった。そのシーズン限りでロッテ監督を退いた稲尾和久が、前年(85年)オフに巨人からトレードを持ちかけられたことを暴露したのだ。それは「(交換要員として)原辰徳以外なら誰でも出すから、落合を欲しい」という衝撃的なものだった。
落合自身も「稲尾さんがいないのならロッテにいる必要がない。来年、どこのチームにいるかは契約が済まないと分からない」とコメント。翌5日も日米野球のために訪れた平和台球場で「個人事業主として、一番高く評価してくれるところと契約したい」などと“オレ流節”を連発した。
ウマが合う稲尾の解任に不信感を募らせるなど、球団との対立は決定的になっていた。そこにきて、事実上の移籍志願発言。1年前に消えた幻のトレードが一気に現実味を帯びてきた。
ロッテ側は本人と急きょ会談。「放言についてのペナルティーは科さない。トレードもない」とし、沈静化を図った。もちろん、そんなことでは収まるわけがない。「トレードありき」の流れは加速した。移籍先としてささやかれたのは、当然ながら巨人である。
稲尾発言について王貞治監督は「『原以外なら誰でも』なんてバカな交渉をするはずがない」と否定。ただ「去年、落合のトレード話がなかった、とは言わない」と誠意を持って答えたことが火に油を注いだ。
ロッテの有藤監督も「一般論として」と前起きしながら「巨人から申し込まれたら、それ相応の検討はします」と明言。こうなってしまうと、報道の先走りは止まらない。焦点は交換要員へ。最初にウワサされたのは中畑清だった。
渦中にテレビ番組で共演した際のこと。落合とツーショットになったキヨシは真顔で「ウワー、オマエかよ。やめろよ、本当にやめろってば」と絶叫。司会の徳光和夫は「落合さんの足音が巨人、巨人と言っているように聞こえます」と無邪気にあおっていた。
しかし、そんな世間とは真逆のことが落合家では起きていたのだ。信子夫人が笑いながら明かした。「中日の星野さんからこっそりお会いしたいと。『ぜひ奥様も』ということで。みんな『あそこはヨメが決めるんだろう』って感じだったから」―。=敬称略=
◆落合 博満(おちあい・ひろみつ)1953年12月9日、秋田県生まれ。63歳。秋田工―東洋大中退。東芝府中を経て78年ドラフト3位でロッテ入団。82、85、86年に3冠王に輝く。3冠王3度はNPB史上唯一。87年、中日移籍。93年オフにFAで巨人入り、97年から日本ハムでプレー。98年限りで引退。82、85年パMVP。04年から中日監督に就任し、リーグ優勝4度。07年はリーグ2位からCSを勝ち抜き、53年ぶりの日本一に導き、正力賞受賞。11年にリーグ連覇を達成し退任。同年野球殿堂入り。13年秋から中日GM。通算2236試合に出場し、打率3割1分1厘、510本塁打、1564打点。