今、登板する度に注目度を高めているのが、西武の中崎雄太投手だ。
今年3月から転向したサイドスローの左腕からボールが放られた瞬間、球場内は“ざわつく”。球の出所が見えない、打者から背番号が見えるほどの半身の体勢から、「今まで見たことない」と伝授した清川栄治2軍投手コーチが太鼓判を押す「超クロスステップ」で投げ込むのだ。
そして、その遠心力により、最後は大きく一塁側に流れてフィニッシュ。その、あまりにもインパクトの強い投球フォームに、観客も相手チームベンチも目を奪われずにはいられないのである。テレビなどでも、『画面から消える投手』として取り上げられ、話題となった。
キャンプ後から急きょ取り組んだフォーム改革が脚光を浴び、本人も「ありがたい」と話す。だが、その表情にはほとんど笑顔は浮かばない。というのも、今年でプロ8年目のシーズンを迎えた中崎の昨季までの7年間での1軍経験は、デビュー戦を含めた2013年での7試合のみ。特に昨年は、左手中指、人差し指、手のひらの血行障害を発症。実弟である広島・中崎翔太投手も同じ病を乗り越え、クローザーとして活躍する良き前例を励みに、8月下旬に手術に踏み切った。
「生き残るためにフォームを変えるしかない」。いわば、ラストチャンスともいえる、覚悟の決断なのである。「これで成功しないと、終わっちゃうから」。切羽詰まった自らの立場と真摯に向き合い、結果を残すために、ただただ必死なのだ。
これまでも、何度もフォーム変更は行ってきた。サイドスローへの挑戦も、過去に一度あったという。だが、いずれも奏功せず、1軍で通用する形には固められなかった。しかし、今回は違う。挑戦して約1か月弱で、3シーズンぶりに1軍のマウンドに立つことが許されたのである。まず1つ目的をクリアしたことで、この決断は間違っていなかったと言っていいだろう。
その裏には、ターゲットとするポジションを明確にしていたことと、清川コーチの存在が非常に大きい。
己の特性とチーム状況を冷静に照らし合わせ、「先発は揃っているから不要。中継ぎでも、後ろは無理。となると、ウチは右の先発が多いから、左のワンポイントとして割って入れれば」と、最近のプロ野球ではめっきりと減った“ワンポイント起用”を自らの生きる道と定めた。2軍戦では、そのために求められるテーマに徹底的にこだわった。
「とにかく、打ち損じでもどんな形でもいいから、左(打者)だけは100%抑えられるようになろう。それだけを僕の売りにしよう」
そして、ようやく手応えを感じたのが5月7日のイースタンリーグ・DeNA戦だった。6回から2人目でマウンドに上がり、先頭の筒香嘉智外野手を三飛。「日本代表のホームラン打者に対して真っ向から勝負でき、抑えられたことで自信になりました」。同12日に待望の1軍昇格の知らせを受けたのだった。
さらに、8年目左腕が変革に踏み切るのに「一番大きかった」と感謝するのが、清川コーチだ。元々、『左のサイドスロー、クロスステップ』といえば、現役時代の同コーチの専売特許ともいえた。その熟練者から、体の使い方、構え、ステップ、シャドウなどを連日、時間の許す限り、つきっきりで伝授してもらえたのである。弟子となった中崎のサイドスロー転向について、師匠は次のように語る。
「投手の要素として、スピード、コントロール、タイミング、メンタルがある中で、スピードに目が行きがちです。でも、『タイミングをずらして、打つ形を崩すという道で生きていくのも投手やぞ』という話までは、中崎にしました。そこから、(転向を)決めてきたのは本人。決して強制したわけではありません。
最初は、横投げで投げていたのを『遊び感覚かな?』と思いながら見ていたのですが、どんどんリリース位置が下がってきて、本人もどんどん面白くなったんだと思います。そこからだんだん進化が見えてきて、僕が失敗も含めた経験談を話すと、食い入るような目つきで聞き、やるべき練習にもしっかりと取り組んでいて、『本気なんやな』と伝わって来ました。
ただ、いざやるとなると体を使う部位が違うから、しんどかったと思います。生半可な気持ちだったら、そこで元の楽なフォームに戻っていきがちなのですが、辛抱してやったことが、今の彼を生んだのだと思います。特にあのステップは、他ではないですね。僕は、自分が一番だと自信をもっていたのですが、それよりも一足外に踏み出しているんですよ。これで僕は2番になってしまった(笑)。とにかく、まったく違うピッチャーになりましたよね」
実際、これまで1軍での最速145キロを誇る速球で勝負してきた投手だ。それが、転向後は130キロがマックスと、15キロも落ちた。ある意味、武器を失ったとも言えるが、中崎は嬉しそうに話す。
「でも、その分、新しい武器を拾うことができましたから。フォーム的に、背中から球が出てくる感じだろうから、左打者からしたら絶対にイヤだと思います。右打者にとっても、入ってくる感じだから、それを引っ張ってもファウルになるから打ちにくいはず。もちろん、球が遅いということは、三振をとろうと思ったところでとれる球が無いわけだから、めっちゃ怖いですよ。そこでどれだけ交わして打ち取るか。どんな形でもアウトはアウト。泥臭く抑えにいきます」
1軍昇格後、5月14日の日ハム戦、同17日のロッテ戦、同28日のオリックス戦、同31日のDeNA戦、そして3、4日の阪神戦と6試合で登板した。最初の日ハム戦こそ左打者2人に対し、1四球1安打と結果を残せなかったが、その後は自ら至上命題とする「左を100%抑える」も、ほぼ完璧に果たしている。
ただ、「今はまだそんなにヒットは打たれてないですが、ゆくゆくは絶対に打たれる日もくる」と、本人は決して楽観することはない。また、清川コーチも自らの経験から、「相手は、『打てない』と思うと、セーフティバントや盗塁など足でかき回して、揺さぶりをかけてくる。打者が左なら、三盗もようやられた」と、今後訪れるであろう苦境を予測する。
それでも、「(サイドスローを)やってよかった」と両者とも口を揃えるのは、プロとして最も大事な『振り向いてもらえる個性』を手に入れつつあるから。このチャレンジを本格的に始めてから、師匠は弟子に常に言い続けている。
「どこにもいないピッチャーになれ。子どもたちから『中崎~!』って、サイドスローのモノマネされるようにならんといかんよ」
その実現のために、「コントロールと、あと少しスピードを上げたい」と、本人は自らに課すが、実は、「球速を上げるには、クロスステップが邪魔になるところがある。よっぽど体の力とキレを駆使していかないと、正直難しいところはあります」と、同コーチは指摘する。ただ、「だからこそ、それをやったら本当に面白い投手になる」と、愛弟子の未来像に胸を膨らませる。
手術を許してくれた球団への恩返しのため、苦戦が続くチームのため――。そして、自らのプロ野球界生き残りをかけ、背番号46は新たな一歩を歩み出した。
動画はパ・リーグTVで見てね
今年3月から転向したサイドスローの左腕からボールが放られた瞬間、球場内は“ざわつく”。球の出所が見えない、打者から背番号が見えるほどの半身の体勢から、「今まで見たことない」と伝授した清川栄治2軍投手コーチが太鼓判を押す「超クロスステップ」で投げ込むのだ。
そして、その遠心力により、最後は大きく一塁側に流れてフィニッシュ。その、あまりにもインパクトの強い投球フォームに、観客も相手チームベンチも目を奪われずにはいられないのである。テレビなどでも、『画面から消える投手』として取り上げられ、話題となった。
キャンプ後から急きょ取り組んだフォーム改革が脚光を浴び、本人も「ありがたい」と話す。だが、その表情にはほとんど笑顔は浮かばない。というのも、今年でプロ8年目のシーズンを迎えた中崎の昨季までの7年間での1軍経験は、デビュー戦を含めた2013年での7試合のみ。特に昨年は、左手中指、人差し指、手のひらの血行障害を発症。実弟である広島・中崎翔太投手も同じ病を乗り越え、クローザーとして活躍する良き前例を励みに、8月下旬に手術に踏み切った。
「生き残るためにフォームを変えるしかない」。いわば、ラストチャンスともいえる、覚悟の決断なのである。「これで成功しないと、終わっちゃうから」。切羽詰まった自らの立場と真摯に向き合い、結果を残すために、ただただ必死なのだ。
これまでも、何度もフォーム変更は行ってきた。サイドスローへの挑戦も、過去に一度あったという。だが、いずれも奏功せず、1軍で通用する形には固められなかった。しかし、今回は違う。挑戦して約1か月弱で、3シーズンぶりに1軍のマウンドに立つことが許されたのである。まず1つ目的をクリアしたことで、この決断は間違っていなかったと言っていいだろう。
その裏には、ターゲットとするポジションを明確にしていたことと、清川コーチの存在が非常に大きい。
己の特性とチーム状況を冷静に照らし合わせ、「先発は揃っているから不要。中継ぎでも、後ろは無理。となると、ウチは右の先発が多いから、左のワンポイントとして割って入れれば」と、最近のプロ野球ではめっきりと減った“ワンポイント起用”を自らの生きる道と定めた。2軍戦では、そのために求められるテーマに徹底的にこだわった。
「とにかく、打ち損じでもどんな形でもいいから、左(打者)だけは100%抑えられるようになろう。それだけを僕の売りにしよう」
そして、ようやく手応えを感じたのが5月7日のイースタンリーグ・DeNA戦だった。6回から2人目でマウンドに上がり、先頭の筒香嘉智外野手を三飛。「日本代表のホームラン打者に対して真っ向から勝負でき、抑えられたことで自信になりました」。同12日に待望の1軍昇格の知らせを受けたのだった。
さらに、8年目左腕が変革に踏み切るのに「一番大きかった」と感謝するのが、清川コーチだ。元々、『左のサイドスロー、クロスステップ』といえば、現役時代の同コーチの専売特許ともいえた。その熟練者から、体の使い方、構え、ステップ、シャドウなどを連日、時間の許す限り、つきっきりで伝授してもらえたのである。弟子となった中崎のサイドスロー転向について、師匠は次のように語る。
「投手の要素として、スピード、コントロール、タイミング、メンタルがある中で、スピードに目が行きがちです。でも、『タイミングをずらして、打つ形を崩すという道で生きていくのも投手やぞ』という話までは、中崎にしました。そこから、(転向を)決めてきたのは本人。決して強制したわけではありません。
最初は、横投げで投げていたのを『遊び感覚かな?』と思いながら見ていたのですが、どんどんリリース位置が下がってきて、本人もどんどん面白くなったんだと思います。そこからだんだん進化が見えてきて、僕が失敗も含めた経験談を話すと、食い入るような目つきで聞き、やるべき練習にもしっかりと取り組んでいて、『本気なんやな』と伝わって来ました。
ただ、いざやるとなると体を使う部位が違うから、しんどかったと思います。生半可な気持ちだったら、そこで元の楽なフォームに戻っていきがちなのですが、辛抱してやったことが、今の彼を生んだのだと思います。特にあのステップは、他ではないですね。僕は、自分が一番だと自信をもっていたのですが、それよりも一足外に踏み出しているんですよ。これで僕は2番になってしまった(笑)。とにかく、まったく違うピッチャーになりましたよね」
実際、これまで1軍での最速145キロを誇る速球で勝負してきた投手だ。それが、転向後は130キロがマックスと、15キロも落ちた。ある意味、武器を失ったとも言えるが、中崎は嬉しそうに話す。
「でも、その分、新しい武器を拾うことができましたから。フォーム的に、背中から球が出てくる感じだろうから、左打者からしたら絶対にイヤだと思います。右打者にとっても、入ってくる感じだから、それを引っ張ってもファウルになるから打ちにくいはず。もちろん、球が遅いということは、三振をとろうと思ったところでとれる球が無いわけだから、めっちゃ怖いですよ。そこでどれだけ交わして打ち取るか。どんな形でもアウトはアウト。泥臭く抑えにいきます」
1軍昇格後、5月14日の日ハム戦、同17日のロッテ戦、同28日のオリックス戦、同31日のDeNA戦、そして3、4日の阪神戦と6試合で登板した。最初の日ハム戦こそ左打者2人に対し、1四球1安打と結果を残せなかったが、その後は自ら至上命題とする「左を100%抑える」も、ほぼ完璧に果たしている。
ただ、「今はまだそんなにヒットは打たれてないですが、ゆくゆくは絶対に打たれる日もくる」と、本人は決して楽観することはない。また、清川コーチも自らの経験から、「相手は、『打てない』と思うと、セーフティバントや盗塁など足でかき回して、揺さぶりをかけてくる。打者が左なら、三盗もようやられた」と、今後訪れるであろう苦境を予測する。
それでも、「(サイドスローを)やってよかった」と両者とも口を揃えるのは、プロとして最も大事な『振り向いてもらえる個性』を手に入れつつあるから。このチャレンジを本格的に始めてから、師匠は弟子に常に言い続けている。
「どこにもいないピッチャーになれ。子どもたちから『中崎~!』って、サイドスローのモノマネされるようにならんといかんよ」
その実現のために、「コントロールと、あと少しスピードを上げたい」と、本人は自らに課すが、実は、「球速を上げるには、クロスステップが邪魔になるところがある。よっぽど体の力とキレを駆使していかないと、正直難しいところはあります」と、同コーチは指摘する。ただ、「だからこそ、それをやったら本当に面白い投手になる」と、愛弟子の未来像に胸を膨らませる。
手術を許してくれた球団への恩返しのため、苦戦が続くチームのため――。そして、自らのプロ野球界生き残りをかけ、背番号46は新たな一歩を歩み出した。
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