平昌パラリンピックの閉会式(ロイター)
笑顔を見せる(前列左から)森井大輝、大日方邦子団長、村岡桃佳(後列左から)新田佳浩、成田緑夢
私は内部障がい1種1級を抱えているが、スポーツ紙を発行している会社の理解のおかげで社会復帰を果たし、記者を続けながら障がい者スポーツ指導員として都内で活動している。障がい者スポーツ(パラスポーツ)のイベントに参加する人数が増えていることを実感する一方で、体育館や区民プールの利用開放が不足している点や、各施設のバリアフリー化の進展が遅れていることなど障がい者、パラスポーツへの理解と協力が必要だと感じることがある。
18日、平昌パラリンピックが10日間の熱戦に幕を下ろした。日本のメダル数は、金3、銀4、銅3の計10個。大会前に目指していた前回2014年ソチ大会の6個を大きく上回るメダル数を達成した。
日本選手団の旗手を務めた村岡桃佳(21)=早大=が、大回転座位「金」を始め金・銀・銅の“メダルコンプリート”。日本人最多となる1大会5個のメダルを獲得した。初出場の成田緑夢(ぐりむ、24)=近畿医療専門=も、スノーボード下肢障がいで金、銅のメダルを獲得するなど若手選手が躍進した。
新田佳浩(37)=日立ソリューションズ=の距離立位・金、銀と、森井大輝(37)=トヨタ自動車=の滑降座位・銀などベテラン勢も活躍した。
メダルの報奨金は、前回から金は150万円→300万円、銀は100万円→200万円、銅は70万円→100万円に増額され、総額2000万円。13年に6社だったスポンサーが、29社まで増え増額が実現した。
最近はパラスポーツにも注目が集まり、所属する企業や大学などからスポーツ用義足、義手、競技用車いす、チェアスキーなどへ100万円単位の補助金が出ることもあるが、それはほんの一部だ。
日本を代表するパラリンピアンでさえ、遠征費用や、競技用具を装着する自分自身のメンテナンス、サポート用具のメンテナンスを自費で賄っている人達がいる。それでもパラスポーツの発展を願い、啓蒙(けいもう)や普及活動を行っている。
健常者も障がい者と交流を持てば、必要以上に“壁”を作ることもなくなり、私たちが口にする「障がいは個性」という言葉の意味も分かってもらえるだろう。その上でサポートを願いたい。もちろんこちらも、「サポートしてもらうのは当たり前」と考えるのではなく、手助けしてもらったことに感謝を忘れてはいけない。互いに尊重しあえる社会になればと思う。
次回のパラリンピックは2020年東京大会。54年前、1964年開催の東京オリンピック後に、それまでの「国際身体障がい者スポーツ競技会」という大会名から、初めて「パラリンピック」という名称が使われた。IPC(国際パラリンピック委員会)設立後に、60年ローマ大会が第1回パラリンピックと位置づけられるようになっているが、パラリンピックの原点はまちがいなく東京だ。
自国開催となった1998年冬季長野大会で、日本は41個のメダルを獲得。「パラアスリートのゴールはメダルを取ることだけではない」というパラリンピアンの意見もあるし、別のパラリンピアンが話した「自国開催は、その国の選手が強くないと盛り上がらない」というのも事実だろう。
健常者と同じように、パラアスリートにも自由に練習できる環境を作ってもらいたい。3回目の日本開催となる東京大会では何個のメダルを獲得できるのだろう。2020年まではパラスポーツへの関心も高まってくれるが、その後の関心継続にも力を入れていきたい。(記者コラム・松岡 岳大)
◆日本開催パラリンピックの日本勢メダル獲得数
1964年・東京大会 金1個、銀5個、銅4個 計10個
1998年・長野大会 金12個、銀16個、銅13個 計41個
◆他国開催パラリンピックの日本勢メダル獲得数(上位)
2004年・アテネ大会(ギリシャ) 金17個、銀15個、銅20個 計52個
1988年・ソウル大会(韓国) 金17個、銀12個、銅17個 計46個
2000年・シドニー大会(オーストラリア) 金13個、銀17個、銅11個 計41個
平昌パラリンピック
笑顔を見せる(前列左から)森井大輝、大日方邦子団長、村岡桃佳(後列左から)新田佳浩、成田緑夢
私は内部障がい1種1級を抱えているが、スポーツ紙を発行している会社の理解のおかげで社会復帰を果たし、記者を続けながら障がい者スポーツ指導員として都内で活動している。障がい者スポーツ(パラスポーツ)のイベントに参加する人数が増えていることを実感する一方で、体育館や区民プールの利用開放が不足している点や、各施設のバリアフリー化の進展が遅れていることなど障がい者、パラスポーツへの理解と協力が必要だと感じることがある。
18日、平昌パラリンピックが10日間の熱戦に幕を下ろした。日本のメダル数は、金3、銀4、銅3の計10個。大会前に目指していた前回2014年ソチ大会の6個を大きく上回るメダル数を達成した。
日本選手団の旗手を務めた村岡桃佳(21)=早大=が、大回転座位「金」を始め金・銀・銅の“メダルコンプリート”。日本人最多となる1大会5個のメダルを獲得した。初出場の成田緑夢(ぐりむ、24)=近畿医療専門=も、スノーボード下肢障がいで金、銅のメダルを獲得するなど若手選手が躍進した。
新田佳浩(37)=日立ソリューションズ=の距離立位・金、銀と、森井大輝(37)=トヨタ自動車=の滑降座位・銀などベテラン勢も活躍した。
メダルの報奨金は、前回から金は150万円→300万円、銀は100万円→200万円、銅は70万円→100万円に増額され、総額2000万円。13年に6社だったスポンサーが、29社まで増え増額が実現した。
最近はパラスポーツにも注目が集まり、所属する企業や大学などからスポーツ用義足、義手、競技用車いす、チェアスキーなどへ100万円単位の補助金が出ることもあるが、それはほんの一部だ。
日本を代表するパラリンピアンでさえ、遠征費用や、競技用具を装着する自分自身のメンテナンス、サポート用具のメンテナンスを自費で賄っている人達がいる。それでもパラスポーツの発展を願い、啓蒙(けいもう)や普及活動を行っている。
健常者も障がい者と交流を持てば、必要以上に“壁”を作ることもなくなり、私たちが口にする「障がいは個性」という言葉の意味も分かってもらえるだろう。その上でサポートを願いたい。もちろんこちらも、「サポートしてもらうのは当たり前」と考えるのではなく、手助けしてもらったことに感謝を忘れてはいけない。互いに尊重しあえる社会になればと思う。
次回のパラリンピックは2020年東京大会。54年前、1964年開催の東京オリンピック後に、それまでの「国際身体障がい者スポーツ競技会」という大会名から、初めて「パラリンピック」という名称が使われた。IPC(国際パラリンピック委員会)設立後に、60年ローマ大会が第1回パラリンピックと位置づけられるようになっているが、パラリンピックの原点はまちがいなく東京だ。
自国開催となった1998年冬季長野大会で、日本は41個のメダルを獲得。「パラアスリートのゴールはメダルを取ることだけではない」というパラリンピアンの意見もあるし、別のパラリンピアンが話した「自国開催は、その国の選手が強くないと盛り上がらない」というのも事実だろう。
健常者と同じように、パラアスリートにも自由に練習できる環境を作ってもらいたい。3回目の日本開催となる東京大会では何個のメダルを獲得できるのだろう。2020年まではパラスポーツへの関心も高まってくれるが、その後の関心継続にも力を入れていきたい。(記者コラム・松岡 岳大)
◆日本開催パラリンピックの日本勢メダル獲得数
1964年・東京大会 金1個、銀5個、銅4個 計10個
1998年・長野大会 金12個、銀16個、銅13個 計41個
◆他国開催パラリンピックの日本勢メダル獲得数(上位)
2004年・アテネ大会(ギリシャ) 金17個、銀15個、銅20個 計52個
1988年・ソウル大会(韓国) 金17個、銀12個、銅17個 計46個
2000年・シドニー大会(オーストラリア) 金13個、銀17個、銅11個 計41個
平昌パラリンピック