ペルーで行われた野球教室で現地の少年とグータッチする
地球の裏側というフレーズを実感した。11月19日に行われた「ペルー日系人協会創立100周年 JICA野球教室」の取材で南米ペルーの首都リマへ飛んだ。日本から約1万5000キロ。成田をたって米ヒューストンを経由し、乗り継ぎ時間も含めると20時間近くかかった。
この野球教室で講師を務めたのが、国内各地で開催されている野球教室「ファンケル キッズベースボール」で少年少女を指導する前巨人監督の原辰徳さん、駒田徳広さん、宮本和知さん(ともに元巨人)、西山秀二さん(元広島)、久保文雄さん(元横浜大洋)のプロ野球OB。現地時間18日深夜に到着し、数時間後には会場入りするタフなスケジュールだったが、日本、ペルー両国国旗の小旗を振って歓迎してくれるキッズの笑顔に疲れも吹き飛んでいた。1899年に移民がペルーへ渡って以来、野球は日系人、移民のアイデンティティーとして親しまれてきた。野球教室は幾度か開催されてきたが、プロ野球OBによるものは初めて。日系人の悲願がかなったといっても過言ではない。喜ぶ関係者の中で原さんのユニホーム姿に目頭を熱くしていたのが、リマで幼稚園などを営んでいる大森雅人さん(57)だった。
「30年が一気によみがえって感極まりました。学生時代、あこがれだった原さんがペルーに来られるとは…」。JICAでは84年からペルー体育庁野球連盟に青年海外協力隊員を派遣しているが、その第1号が大森さんだった。埼玉県内の県立校、仙台大でプレー。非常勤講師として埼玉に戻って県立校を指導していたが、思うようにいかず壁に当たった時、青年海外協力隊員としてコスタリカで野球を指導していた先輩の話を思い出して隊員に応募。ペルーに渡った。純粋にボールを追う子供たちに心を打たれ、2年の任期を終えても役職延長を希望し、3年目には同国代表監督に就いた。現地の女性と家庭をつくり、ペルーに骨をうずめると決意。後続の隊員らと野球の普及に励んでいたが、91年にJICA専門家がテロリストに襲撃された後、ペルーへの野球隊員の派遣も止まった。その後、「野球のともしびを消してはいけない」という大森さんらの尽力もあって民間協力隊「ペルー野球を支援する会」による指導者派遣、用具寄贈を継続。今のペルー野球の礎になっている。
大森さんらの志は確かに引き継がれた。野球教室で通訳、練習のサポートに動き回っていた青年海外協力隊員の森敏郎さん(25)は原さんらの指導を「言葉が通じなくても笑顔で接している。自分も学んでいかないといけない」と熱いまなざしで見つめていた。ペルーへの野球隊員派遣は2012年に再開され、初代から6代目となる森さんは和歌山・向陽高で10年のセンバツに出場した経歴を誇る。大学卒業後の16年から赴任し、「細かい表現を伝えるのは難しい。身ぶり手ぶりでは限界がある」とスペイン語と悪戦苦闘しながら、代表チームおよびコーチの育成、指導に加えリマ市内の少年野球チームも教え、野球を普及している。「日本には甲子園、プロといった目標がありますが、ペルーにはそういったものがありません。近い目標ができれば普及できると思います」。同国代表チームのコーチ就任を目指し、ペルー中を走り回る。
隊員ではないが、ペルーに野球を根付かせようと尽力しているのが日系2世の知念誠さん(30)。今回の野球教室でも日本語、スペイン語を操れる強みを生かし、コーディネーターとして大活躍した。少年野球世界大会で来日した際に甲子園大会のテレビ中継を見て日本野球に興味を持ち、甲子園出場経験のある強豪の埼玉・本庄一高へ単身で野球留学。3年時には主将も務めた。今はペルーに戻って野球の普及に力を注ぐ。「原さんたちに来ていただいたことで、子供たちが夢を持つきっかけになってくれればいいですね」。ここ数年は夏休みに日本で開催される少年野球世界大会にペルー代表を引率し、プロ野球観戦などで子供たちに野球の魅力を伝えている。さらには、自身と同じようにペルーから日本の高校で甲子園を目指す少年が出てくれれば、と願う。
他の南米諸国と同様にサッカー人気が高いのはペルーも例外ではなく、36年ぶりのW杯出場を決めると国中がお祭り騒ぎに。決定翌日は急きょ祝日になった。野球の競技人口は約1500人しかいないが、19年にはペルーでパン・アメリカン大会が開かれるとあって強化に力を入れている。代表の世界野球ソフトボール連盟ランキングは72の国・地域のうち40位で北米、南米のパンアメリカン野球連盟では30か国中14位。当面の目標は隣国で11位のブラジルに追いつくことだという。「ペルーで野球をスポーツの文化として続けていかないといけない」と知念さん。大森さんから森さん、知念さん、さらに若い世代へ。地球の裏側で、野球の絆はますます強くなっていく。(記者コラム・秋本 正己)
※BS日テレでは29日午後6時から1時間、「元G戦士が行く 日本・ペルーをつなぐ白球の絆」を放送。野球教室の様子、森さんの活動などが紹介される。
地球の裏側というフレーズを実感した。11月19日に行われた「ペルー日系人協会創立100周年 JICA野球教室」の取材で南米ペルーの首都リマへ飛んだ。日本から約1万5000キロ。成田をたって米ヒューストンを経由し、乗り継ぎ時間も含めると20時間近くかかった。
この野球教室で講師を務めたのが、国内各地で開催されている野球教室「ファンケル キッズベースボール」で少年少女を指導する前巨人監督の原辰徳さん、駒田徳広さん、宮本和知さん(ともに元巨人)、西山秀二さん(元広島)、久保文雄さん(元横浜大洋)のプロ野球OB。現地時間18日深夜に到着し、数時間後には会場入りするタフなスケジュールだったが、日本、ペルー両国国旗の小旗を振って歓迎してくれるキッズの笑顔に疲れも吹き飛んでいた。1899年に移民がペルーへ渡って以来、野球は日系人、移民のアイデンティティーとして親しまれてきた。野球教室は幾度か開催されてきたが、プロ野球OBによるものは初めて。日系人の悲願がかなったといっても過言ではない。喜ぶ関係者の中で原さんのユニホーム姿に目頭を熱くしていたのが、リマで幼稚園などを営んでいる大森雅人さん(57)だった。
「30年が一気によみがえって感極まりました。学生時代、あこがれだった原さんがペルーに来られるとは…」。JICAでは84年からペルー体育庁野球連盟に青年海外協力隊員を派遣しているが、その第1号が大森さんだった。埼玉県内の県立校、仙台大でプレー。非常勤講師として埼玉に戻って県立校を指導していたが、思うようにいかず壁に当たった時、青年海外協力隊員としてコスタリカで野球を指導していた先輩の話を思い出して隊員に応募。ペルーに渡った。純粋にボールを追う子供たちに心を打たれ、2年の任期を終えても役職延長を希望し、3年目には同国代表監督に就いた。現地の女性と家庭をつくり、ペルーに骨をうずめると決意。後続の隊員らと野球の普及に励んでいたが、91年にJICA専門家がテロリストに襲撃された後、ペルーへの野球隊員の派遣も止まった。その後、「野球のともしびを消してはいけない」という大森さんらの尽力もあって民間協力隊「ペルー野球を支援する会」による指導者派遣、用具寄贈を継続。今のペルー野球の礎になっている。
大森さんらの志は確かに引き継がれた。野球教室で通訳、練習のサポートに動き回っていた青年海外協力隊員の森敏郎さん(25)は原さんらの指導を「言葉が通じなくても笑顔で接している。自分も学んでいかないといけない」と熱いまなざしで見つめていた。ペルーへの野球隊員派遣は2012年に再開され、初代から6代目となる森さんは和歌山・向陽高で10年のセンバツに出場した経歴を誇る。大学卒業後の16年から赴任し、「細かい表現を伝えるのは難しい。身ぶり手ぶりでは限界がある」とスペイン語と悪戦苦闘しながら、代表チームおよびコーチの育成、指導に加えリマ市内の少年野球チームも教え、野球を普及している。「日本には甲子園、プロといった目標がありますが、ペルーにはそういったものがありません。近い目標ができれば普及できると思います」。同国代表チームのコーチ就任を目指し、ペルー中を走り回る。
隊員ではないが、ペルーに野球を根付かせようと尽力しているのが日系2世の知念誠さん(30)。今回の野球教室でも日本語、スペイン語を操れる強みを生かし、コーディネーターとして大活躍した。少年野球世界大会で来日した際に甲子園大会のテレビ中継を見て日本野球に興味を持ち、甲子園出場経験のある強豪の埼玉・本庄一高へ単身で野球留学。3年時には主将も務めた。今はペルーに戻って野球の普及に力を注ぐ。「原さんたちに来ていただいたことで、子供たちが夢を持つきっかけになってくれればいいですね」。ここ数年は夏休みに日本で開催される少年野球世界大会にペルー代表を引率し、プロ野球観戦などで子供たちに野球の魅力を伝えている。さらには、自身と同じようにペルーから日本の高校で甲子園を目指す少年が出てくれれば、と願う。
他の南米諸国と同様にサッカー人気が高いのはペルーも例外ではなく、36年ぶりのW杯出場を決めると国中がお祭り騒ぎに。決定翌日は急きょ祝日になった。野球の競技人口は約1500人しかいないが、19年にはペルーでパン・アメリカン大会が開かれるとあって強化に力を入れている。代表の世界野球ソフトボール連盟ランキングは72の国・地域のうち40位で北米、南米のパンアメリカン野球連盟では30か国中14位。当面の目標は隣国で11位のブラジルに追いつくことだという。「ペルーで野球をスポーツの文化として続けていかないといけない」と知念さん。大森さんから森さん、知念さん、さらに若い世代へ。地球の裏側で、野球の絆はますます強くなっていく。(記者コラム・秋本 正己)
※BS日テレでは29日午後6時から1時間、「元G戦士が行く 日本・ペルーをつなぐ白球の絆」を放送。野球教室の様子、森さんの活動などが紹介される。