テレビで初対談した巨人・菅野と前監督原辰徳さん(C)BSジャパン
テレビ初共演でゴルフ対決した(左から)巨人・菅野、原辰徳さんと深堀圭一郎プロ(C)BSジャパン
今季「沢村賞」に輝いた巨人・菅野智之投手(28)が、伯父で巨人前監督の原辰徳さん(59)と1月3日放送のテレビ東京系BSジャパンの特番「TV初共演!原辰徳VS菅野智之~夢のゴルフガチンコ対決~」(後2時)でテレビ初対談。2011年のドラフト指名で日本ハム入団を拒否し浪人した1年を振り返った。
菅野はプロ入団前、希望する巨人に入団できず東海大学で練習しながら浪人し“待つ1年”を経験した。原さんは当時は「なかなか味わうことができない時間だから、やりたいことをやりなさい」と声をかけたそうで、菅野は「今思うと、良い時間だった。当時は、目標がなくてとても苦しかったけれど、自分で覚悟を持って挑んだ1年間だった」と当時を思い起こした。
菅野はこの期間に大学での練習に加え、米国へ渡りトレーニングの改善や体のメンテナンスなどを学んだ。また、ベストスコア69を誇る大好きなゴルフもこの時期にじっくりと練習したとか。番組ではプロゴルファーの深堀圭一郎(49)を交え原さんと9ホール・ストローク対決、ニアピン対決、ドラコン対決を展開したが、深堀も驚くスーパーショットを披露。菅野は、浪人時代には大学の全体練習に参加する条件があったと明かし、「始まるのが17時からだったのですが、僕は大学生じゃないので授業がない。その授業がない時間に、午前中打ちっぱなしに通ってたくさん練習しました」と“秘話”を明かした。
原さんは監督を退任してから、菅野のことを“甥”として応援しているそうだが、それまではそのような感覚を持ったことはないという。監督と選手という立場だったときは2人で特に何かを話す機会はなく、加えてチームメートからの愛のある冷やかしもあったことから「自分は若干よそ行きの態度だったかも。僕が覚えている限りでは、伯父さんという感覚は持ったことはない」と菅野。世代的に現役時代より監督やコーチ時代の印象が強いため、1人の野球人として尊敬する遠い存在だったが「常にプレッシャーはありました。プロになってもずっと。でもそのプレッシャーがなければここまで来られなかった」と語った。
昔からお正月には、菅野にたくさんのお年玉をあげてきたという原さん。「(17年は)WBCという大きな舞台でエースとして戦えて、その自信が非常に活きたシーズンだったように見える。(18年は)勝ちにこだわってほしい」とお年玉的な一言をプレゼントした。「多くのジャイアンツファンが望んでいるのは勝利。チームの中で自分がどう戦うべきか考えて、ジャイアンツの勝利を勝ち取って欲しい」と激励した。
菅野は、WBCでプレッシャーがかかる中で経験したことが、どんな試合でも自信になったと明かして、2020年東京五輪についても「WBCも大きな経験だったが、オリンピックは注目度もプレッシャーも高まる場。そこで結果を残すことが出来れば、きっと見えてくるものもあるはず」と2年半後に意欲。「少しでも長く活躍する姿を見せることで、恩返ししたい」と語った。
テレビ初共演でゴルフ対決した(左から)巨人・菅野、原辰徳さんと深堀圭一郎プロ(C)BSジャパン
今季「沢村賞」に輝いた巨人・菅野智之投手(28)が、伯父で巨人前監督の原辰徳さん(59)と1月3日放送のテレビ東京系BSジャパンの特番「TV初共演!原辰徳VS菅野智之~夢のゴルフガチンコ対決~」(後2時)でテレビ初対談。2011年のドラフト指名で日本ハム入団を拒否し浪人した1年を振り返った。
菅野はプロ入団前、希望する巨人に入団できず東海大学で練習しながら浪人し“待つ1年”を経験した。原さんは当時は「なかなか味わうことができない時間だから、やりたいことをやりなさい」と声をかけたそうで、菅野は「今思うと、良い時間だった。当時は、目標がなくてとても苦しかったけれど、自分で覚悟を持って挑んだ1年間だった」と当時を思い起こした。
菅野はこの期間に大学での練習に加え、米国へ渡りトレーニングの改善や体のメンテナンスなどを学んだ。また、ベストスコア69を誇る大好きなゴルフもこの時期にじっくりと練習したとか。番組ではプロゴルファーの深堀圭一郎(49)を交え原さんと9ホール・ストローク対決、ニアピン対決、ドラコン対決を展開したが、深堀も驚くスーパーショットを披露。菅野は、浪人時代には大学の全体練習に参加する条件があったと明かし、「始まるのが17時からだったのですが、僕は大学生じゃないので授業がない。その授業がない時間に、午前中打ちっぱなしに通ってたくさん練習しました」と“秘話”を明かした。
原さんは監督を退任してから、菅野のことを“甥”として応援しているそうだが、それまではそのような感覚を持ったことはないという。監督と選手という立場だったときは2人で特に何かを話す機会はなく、加えてチームメートからの愛のある冷やかしもあったことから「自分は若干よそ行きの態度だったかも。僕が覚えている限りでは、伯父さんという感覚は持ったことはない」と菅野。世代的に現役時代より監督やコーチ時代の印象が強いため、1人の野球人として尊敬する遠い存在だったが「常にプレッシャーはありました。プロになってもずっと。でもそのプレッシャーがなければここまで来られなかった」と語った。
昔からお正月には、菅野にたくさんのお年玉をあげてきたという原さん。「(17年は)WBCという大きな舞台でエースとして戦えて、その自信が非常に活きたシーズンだったように見える。(18年は)勝ちにこだわってほしい」とお年玉的な一言をプレゼントした。「多くのジャイアンツファンが望んでいるのは勝利。チームの中で自分がどう戦うべきか考えて、ジャイアンツの勝利を勝ち取って欲しい」と激励した。
菅野は、WBCでプレッシャーがかかる中で経験したことが、どんな試合でも自信になったと明かして、2020年東京五輪についても「WBCも大きな経験だったが、オリンピックは注目度もプレッシャーも高まる場。そこで結果を残すことが出来れば、きっと見えてくるものもあるはず」と2年半後に意欲。「少しでも長く活躍する姿を見せることで、恩返ししたい」と語った。