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149キロ右腕・本田仁海“最後の夏”をルーキー記者が追いかけた

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↑力投する星槎国際湘南の本田仁海

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↑土屋恵三郎監督のアドバイスを聞き、笑顔を見せる星槎国際湘南の本田仁海(左)

 野球のスコアもつけられない私が、高校野球連載の記事を書くことになった。入社して約3か月の6月下旬のことだ。プロ注目の149キロ右腕・星槎国際湘南の本田仁海(ひとみ=3年)。連載をきっかけに、練習試合から夏が終わるまでを追いかけた。

 星槎国際湘南は、23日の日大高戦で無念の敗退を喫した。本田は不運に見舞われた。1点差を追いつき、なお6回2死一塁の打席で右手甲に死球。直後の7回に、1点リードから3失点で逆転された。7回8安打5失点で降板。4―9で敗れ、甲子園出場の夢は絶たれた。

 飛躍の3年間だった。桐蔭学園時代に巨人・高橋由伸監督を育てた土屋恵三郎監督(63)は「投手に面白そうな子がいたら、甲子園を目指して一緒に連れて行こうかなって」と、当時を振り返る。そんな気持ちから始まった二人三脚。本田の転機は、2年春のオープン戦で140キロをマークしたときだった。

 「もっといける」。『150キロ』と目標を紙に書いて部屋に貼った。整理整頓、風邪を引かないようにマスクをつける、エアコンは使わない。生活面から見直した。試合前は大好きなアイスの”ピノ”も我慢する。エースの自覚が芽生えた表れだった。

 本田の朝は早い。目覚めを良くし、朝練の質を高めるために1人、4時半に起きる。練習嫌いだったというが、1年からバッテリーを組む田島大輔捕手(3年)と夜中の自主練もするようになった。また、巨人・菅野を参考に、2キロのゴムボールを3本指で持ち上げるトレーニングを毎日100回行う。指のかかりが良くなり、鋭い直球に磨きがかかった。

 陰の努力は、着実に力になった。昨秋は県3回戦の鎌倉学園戦で、延長15回21奪三振で引き分け。再試合で9回13奪三振完封など、5試合全てを投げて57三振を奪った。今春も5試合に先発し、42イニング44奪三振の好投。チームは初の4強入りを果たし、第1シードで夏に臨んだ。

 「甲子園に母を連れて行く」。母・もえみさんの女手ひとつで育てられた右腕の思いはかなわなかった。終戦しても「エースらしく涙は流さない」と、歯を食いしばって必死にこらえた。しかし、相手校の校歌が流れ出すと、本田の目に涙があふれた。隣ではチーム一仲の良い小倉健太郎(2年)が大号泣。「もっと一緒に野球をしていたいなぁ」。前日に口にした言葉を思い出し、私も目頭が熱くなった。

 神奈川の夏を沸かせた右腕も、マウンドを降りれば“普通“の高校生。おしゃれ好きな本田は、小倉と表参道へショッピングに行くことも。日大高戦前日の22日、星槎国際湘南の試合が終わった後に一緒に次の試合を見たが、あどけない笑顔はやはり18歳のものだった。

 野球人生はこれからだ。卒業後はプロ志望を表明。いつかまた、本田の闘志を描きたい。社会人1年目の夏を色づけしてもらったことに、心から感謝している。(記者コラム・小又 風花)

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