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麻央さんを取材できなかった記者の思い

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↑小林麻央さん

 小林麻央さんが旅立って、3週間が過ぎた。彼女のブログは英訳され、今も多くの人が訪れている。最後の更新となった6月20日のタイトル「オレンジジュース」の中の麻央さんは、ほほ笑んだまま。この日までに7万2500件を超えるコメントが寄せられた。

 記者は今年1月から、麻央さんの所属事務所担当となった。乳がんを患った麻央さんは昨年10月、自身のブログで病状について「ステージ4」と明かしており、年末に再入院したばかり。一度も会ったことはなかったが、まだ幼い子供2人を抱える麻央さんには、何とか回復してほしいと心底願っていた。

 「(がんの)陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました」。昨年9月1日、自身を奮い立たせるように、麻央さんは、ブログ「kokoro.」を立ち上げた。闘病の苦しみ、悲しみを赤裸々に吐露しながらも、夫の海老蔵や子供ら家族と触れ合う喜びもつづった。

 病状が深刻になっていく中、亡くなる2日前まで更新を続けた。その数、計352回。改めてブログを読み返し、気づいたことがある。それは時が経てば経つほど、希望の文章にあふれていったことだ。5月末には顎にまで転移したが、ユーモラスな表現で締めくくり、決して悲観的な気持ちをつづらなかった。ただ、鼻にチューブを付けた自身の表情や、むくんだ足の写真まで併載。なぜそこまで公開する必要があったのか、考えていたが分からなかった。

 だが、麻央さんが亡くなった翌日の海老蔵の会見を近くで聞いていて、分かった気がした。「元気になったら彼女は、自分が歩んできた過程の病、乳がんやそれに伴う病に対して自分が治ったらば、こうしたい、ああしたい、多くの人に救いが出るような存在になりたいということで一生懸命闘病していました」と、海老蔵は麻央さんの目標を代弁した。

 書いたもの、撮ったものは残る。思いを率直に書き残し、ありのままの自分をさらけ出すことで、いつか大きくなった子供たちにも現実を知ってもらい、同じ病気で苦しむ人が現れたら読んでもらい、その一助になりたい―。未来に向けた全身全霊の「愛」のメッセージ。そう思えてならない。

 4月13日のブログ「浪漫飛行」の詩的な文章が強く胸に残っている。「私は、なぜここまでにならなければならなかったのかな、と思うことがありました。でも、いつからか、私はここまでになる必要があったんだと思うようになりました。そう思えるときの穏やかさは魂が納得しているのだと感じます。魂って自分が思っているよりずっとずっと自分にロマンをもっているのでしょう。だからしんどくて寝ているときは小さい小さい世界に閉じ込められているみたいに感じますが、実は逆で、魂は壮大な浪漫飛行中なのでしょうね。」

 一度でいいから、会って話を聞きたかった。

😁オ😉レ😜コ😝メ✏
そうですよね(涙)
やはり、もう一度小林麻央に逢いたくなるって気持ちはスゲーよくわかる気がするわ

自分のおばあちゃんが死んだ日にもう一度、おばあちゃんと喋りたかったなって悔いが残るもんなのさ

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