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巨人・菅野で再び脚光、4戦連続完封“エースのジョー”城之内さんの生き様

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↑4試合連続完封を振り返る城之内さん

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↑4試合連続完封を報じる当時の報知新聞

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↑ダイナミックな城之内さんの投球フォーム

 巨人・菅野智之投手(27)が2日のDeNA戦で3試合連続完封をマークしたことで、再び脚光を浴びた人がいる。元巨人・城之内邦雄さん(77)だ。オールドファンには“エースのジョー”で親しまれた城之内さんは、1965年9月に4試合連続完封を記録しており、菅野が達成すれば、52年ぶりに城之内さんの持つ記録に並ぶことになる。

 「うれしいことだよね。菅野は俺とは全然違う。守備もけん制もうまいし、センスはずっと上ですよ」と謙遜する城之内さんは、後輩に優しい目を向けた。

 城之内さんが4試合連続完封を成し遂げたのは、プロ4年目の65年だった。9月11日の広島戦(後楽園)で安仁屋宗八さんと対決。5回2死まで完全投球で、114球、被安打5、1四死球で完封すると、中4日で先発した産経(現ヤクルト)戦(神宮)では113球、4安打1四死球でシャットアウト。中3日の20日の大洋(現DeNA)戦(川崎)では6回2死までノーヒットピッチング。114球、3安打2四死球で零封。中3日で24日の阪神戦(後楽園)では村山実さんと投げ合い、115球5安打無四球で完封。打っては村山さんから右翼席へ本塁打をたたき込み2―0で勝利し、10連勝を達成するなど圧巻のピッチングだった。

 「4試合連続完封はあまり覚えていないけれど、村山さんに投げ勝ったことははっきり覚えている。(プロ生活で)一番うれしいのがこれだもん。村山さんは超一流の選手。見習って全力で投げていたし、ホームランを打ったからね」。

 次の登板の29日の中日戦では初回に失点、連続無失点は38回でストップし敗戦投手となったが、このシーズン21勝(12敗)で優勝に貢献。この年から73年まで巨人はプロ野球界にさん然と輝く9連覇を達成しており、まさしく栄光時代の幕開けに大きな役割を果たした。

 スピードガンがない時代。「150キロは超えていたと思う」と言う快速球とカーブ、シュート。元祖トルネード投法ともいえる打者に背番号が見えるくらい体をひねり、左足をインステップに踏み出し、スリークオーターに腕を振る。独特の投球フォームで一時代を築いた。「シュートはいつでもストライクが取れる自信があった。ヘボのバッターだったらシュートを真ん中に落とすと1球でアウトが取れた」と豪語する勝負球は、アクシデントから生まれた。巨人入団の前年、社会人野球のニッポンビールに所属していた城之内さんは、投手ライナーで右手中指の第一関節のあたりを切ってしまう。抜糸して投げ始めると、自慢のカーブのキレが悪くなった。「それでも普通の人のカーブよりはいいけれど、全盛期よりは悪くなった。それでシュートを覚えた」。子供の頃に遊んだベーゴマを投げる要領でカーブを投げていた城之内さんは、縄跳びを跳ぶ際の腕の動きを参考にシュートを投げた。小学生時代に陸上に親しみ三重跳びも難なくこなした城之内さんは、そのシュートをひっさげ、プロ入り、新人時代の62年には開幕投手を務めた。

 「(入団)4年目、元気いっぱいだったもん、投げたくてしょうがなかった。ほとんど中3日、移動日があったら中4日」と振り返る65年は、発奮材料もあった。球界の大エース・金田正一さんが国鉄(現ヤクルト)から巨人に移籍したのだ。「金田さんが来て、(監督の)川上さんが喜んで、金田さんだけ自由練習だった。頭に来て我々は頑張ったんだ。俺と中村(稔)さんが頑張って、20勝したんだ」と言う。開幕前に金田さんと勝ち数で競いあうことを約束。金田さん(11勝)に勝利した城之内さんは、高級背広をプレゼントしてもらったという。

 「俺は1球1球全部勝負していた。完投、完封しようという気持ちは全然無かった」。社会人時代に学んだ“1球入魂”の気持ちでいつでも真っ向勝負を挑んだ。四死球の少なさと完封の多さ(通算141勝中、完封は36)が自慢だ。テンポ良く投げ込む粋なピッチングに観客は歓喜したが、「(野手からテンポが)速すぎるからゆっくり投げろと言われたこともあった」という。タイトルも新人王のみ。66年も21勝を挙げたが、沢村賞は16勝の新人・堀内恒夫に。「優勝が決まると、日本シリーズに備えることになる。(消化試合で)何試合か投げさせてもらえればって今は思いますよ」と苦笑いした。

 プロ入り5年で101勝をマーク。入団5年で100勝以上を挙げたのは他に、稲尾和久、杉浦忠、杉下茂、梶本隆夫、秋山登、金田正一だけ。それでも入団7年目に腰を痛めると、71年で巨人を退団。69年には先発し4回までリードした段階で金田さんにマウンドを譲り現役最後の400勝目をアシストした。「1か月前から4回までリードしていたら金田さんに譲れって、監督命令だったからね」と明かした。

 引退後も金田さんとの奇妙な因縁は続く。2年間の野球解説者を経て、74年にロッテで現役復帰。ロッテの監督になっていた金田さんの誘いに応じた。「すごい人だった。(400勝の因縁もあって)呼んでくれたのかな」と話した。5試合の登板で未勝利を終わったが、ロッテは日本一になり、巨人時代にはなかったV旅行に参加したこともいい思い出だ。

 「いいメンバーと野球が出来た。ピッチャーは打たれ出すと周りが見えなくなる。長嶋さん、王さんが交代でマウンドに来てくれて、投手のリズムになるように務めてくれた。長嶋さんは『びびるな、思い切り行け』『取り返してやるぞ』って言ってく入れた。王さんは『ランナーのリードが大きいからちょっとけん制いれようよ』とか。本当にありがたかったなぁ」。エースのジョーとして駆け抜けた現役時代。山あり谷ありでも、その輝きは色あせることはない。(コンテンツ編集部・高柳 義人)

 ◆城之内 邦雄(じょうのうち・くにお)1940年2月3日、千葉生まれ。77歳。佐原高からニッポンビールを経て62年に巨人入り。初年度は24勝12敗、防御率2・21で新人王を獲得。入団から7年連続で2けた勝利を挙げ、71年に一度引退。74年に1年だけロッテで現役復帰。通算359試合、141勝88敗、防御率2・57。75年から2年間、ロッテの2軍投手コーチを務め、77年から83年までロッテのスカウトで落合博満(元中日監督)らを担当。84年から巨人のスカウトで清水隆行らを担当し、2003年に退団。現役時代は177センチ、79キロ。右投右打。

😁オ😉レ😜コ😝メ✏

スゲーお爺さんだったんですね(笑)
若い頃、めっちゃイケメンだったんですね

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