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勇退の「鬼の永田」、家では一度も長女を怒らず…報徳学園・永田監督の和美夫人 和美

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↑スタンドで声援を送った報徳学園・永田監督の妻・和美さん(右)と長女・智紗子さん

 最後の戦いが終わった。30日のセンバツ準決勝。今大会限りでの勇退を表明していた報徳学園・永田裕治監督(53)の妻・和美さん(49)は、三塁ベンチ上の客席から雄姿を見届けた。

 「彼にとって、人生すべてが野球です。趣味もないです。野球のことだけを考えていますから、野球に対しては貪欲だと思います。だから、彼から野球を取ったら『これからどうなるのかな』という不安と『これまでよく頑張ったね、休ませてあげたいな』というのと。半々ぐらいの気持ちです」。柔和な笑顔で、グラウンドを見つめた。

 永田監督は1994年に同校監督に就任。2002年に大谷智久投手(現ロッテ)を擁してセンバツ制覇を果たすなど、今大会で春夏通算18度目の甲子園出場となった。ところが、出場を決めた1月27日。歓喜に沸くナインの前で、今大会限りでの勇退を発表。教え子でもある大角健二部長(36)にタクトを託すことを決断していた。

 永田家では、仕事を家庭に持ち込まないことが暗黙のルールになっていた。グラウンドでは「鬼の永田」も、家に帰れば優しい父親。長女の智紗子さん(23)は、一度も怒られたことがないという。家庭で野球の話題が出ることはほとんどなく「野球のことは、今でもほとんどわからないんです」(和美さん)。いわゆる「勝負メシ」で送り出すこともなかった。日常生活での「野球」は切り離されていたが、和美さんは、指揮官の心の揺れを感じ取っていた。

 「ここ2、3年ぐらいでしょうか。彼の中で『何か考えてるな』と感じていました。雰囲気というか、空気というか。その答えを出してから、決めたんだと思います。辞めると聞いた時は『ああ、これだったんだな』と。彼は50歳を過ぎたら、というのを考えていたみたいですし、大角さんが成長しているから、任せても大丈夫と思っているんでしょう」

 監督生活23年目。教え子は2000人を超える。年始のOB会も、当初は自宅に選手を招いていた。「子どもたちと一緒にゲームをしたり、遊んでくれたりしていたんですけど…。とてもじゃないけど、家に入りきれなくなってしまって」と笑った。

 家庭に野球を持ち込まない指揮官が、卒業生について話したことがあるという。「彼はレギュラーとして出ている選手よりも、控えの子たちの進学を気にしていました。OBが来てくれる時も、レギュラーだった子はもちろんですが、控えとしてチームを支えてくれた子たちが来てくれるのが一番嬉しい、と話していました。監督冥利に尽きる、と」

 今大会も、多くのOBがアルプスに駆けつけた。長女・智紗子さんの父親参観よりも、教え子たちの指導を優先。家族旅行もほとんど経験がなく、自らの子どもたちよりも、教え子たちに愛情を注いだといってもいい。それでも和美さんは「野球の監督になることは彼の夢でしたから。幸せな仕事だったと思います」とねぎらった。厳しくも愛された指揮官。夫婦の絆が、強豪・報徳学園の全員野球を支えていた。

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