↑3回2死一、三塁、マギーの勝ち越し右前適時打で三塁走者に続き一塁走者・重信が生還。捕手・杉山
1987年11月1日、巨人対西武の日本シリーズ第6戦で「単打で一塁走者が生還」というセオリーを超えた走塁が見られた。西武が1点リードの8回2死一塁、3番・秋山幸二が左中間に痛打し、中堅・クロマティが山なりの送球を内野に返球。それを見た三塁コーチャーの伊原春樹が腕を回し、一塁走者の辻発彦が、一気に本塁へと突入した。クロマティの守備が緩慢だという情報をもとに、スキを突いた走塁は「伝説の走塁」として語り継がれる。
OP戦全戦安打 すさまじい勢いは、ホームベースを踏むまで落ちることはなかった。重信が「現代版・伝説の走塁」を披露した。中日戦の2―2で迎えた3回2死一、三塁。4番・マギーがフルカウントからの6球目を振り抜くと、打球はハーフライナーとなって右翼手の定位置よりもやや前で弾んだ。一塁からスタートを切っていた背番号43は打球の勢い、相手の守備位置を確認しトップスピードに乗った。
「とにかくスキがあれば(本塁まで)行けるようにと思っていた。(スピードを)緩めることなくいけた」
右翼手・藤井の緩慢な送球を見計らい、三塁コーチャーの井端コーチが右腕を回すのを見て猛然と三塁ベースを蹴った。一気に生還し、4点目をもぎ取った。井端コーチは「スタートを切っていたし、外野がなかなか(内野まで)返さないので、行けば慌てるかなと思った」と一連の流れを説明。重信は「大学の時にも同じようなプレーがあった。右中間のヒットで一塁から戻ってきた」と過去の経験を生かし、持ち前の走力を見せつけた。
1987年の巨人―西武の日本シリーズ第6戦。8回2死一塁の場面で、一塁走者だった西武・辻が左中間への単打で中堅手・クロマティの緩い返球を見て一塁から一気に生還した「伝説の走塁」をほうふつとさせる“神走塁”。由伸監督は「コーチャーもいい判断をしたのかなと思う」とたたえた上で「走塁の部分でだいぶ意識を高く持ってやっている。継続してやっていってくれれば」と高い評価を与えた。
重信はバットでも結果を残した。「イメージ通りだった」と7回に左腕・八木の外角直球を左前に運びオープン戦全5試合連続安打。それでも「今日もバントで送れなかったので」と3回無死一、二塁でのバント失敗を猛省した。ただ、それを挽回するだけのインパクトは残した走塁だった。
1987年11月1日、巨人対西武の日本シリーズ第6戦で「単打で一塁走者が生還」というセオリーを超えた走塁が見られた。西武が1点リードの8回2死一塁、3番・秋山幸二が左中間に痛打し、中堅・クロマティが山なりの送球を内野に返球。それを見た三塁コーチャーの伊原春樹が腕を回し、一塁走者の辻発彦が、一気に本塁へと突入した。クロマティの守備が緩慢だという情報をもとに、スキを突いた走塁は「伝説の走塁」として語り継がれる。
OP戦全戦安打 すさまじい勢いは、ホームベースを踏むまで落ちることはなかった。重信が「現代版・伝説の走塁」を披露した。中日戦の2―2で迎えた3回2死一、三塁。4番・マギーがフルカウントからの6球目を振り抜くと、打球はハーフライナーとなって右翼手の定位置よりもやや前で弾んだ。一塁からスタートを切っていた背番号43は打球の勢い、相手の守備位置を確認しトップスピードに乗った。
「とにかくスキがあれば(本塁まで)行けるようにと思っていた。(スピードを)緩めることなくいけた」
右翼手・藤井の緩慢な送球を見計らい、三塁コーチャーの井端コーチが右腕を回すのを見て猛然と三塁ベースを蹴った。一気に生還し、4点目をもぎ取った。井端コーチは「スタートを切っていたし、外野がなかなか(内野まで)返さないので、行けば慌てるかなと思った」と一連の流れを説明。重信は「大学の時にも同じようなプレーがあった。右中間のヒットで一塁から戻ってきた」と過去の経験を生かし、持ち前の走力を見せつけた。
1987年の巨人―西武の日本シリーズ第6戦。8回2死一塁の場面で、一塁走者だった西武・辻が左中間への単打で中堅手・クロマティの緩い返球を見て一塁から一気に生還した「伝説の走塁」をほうふつとさせる“神走塁”。由伸監督は「コーチャーもいい判断をしたのかなと思う」とたたえた上で「走塁の部分でだいぶ意識を高く持ってやっている。継続してやっていってくれれば」と高い評価を与えた。
重信はバットでも結果を残した。「イメージ通りだった」と7回に左腕・八木の外角直球を左前に運びオープン戦全5試合連続安打。それでも「今日もバントで送れなかったので」と3回無死一、二塁でのバント失敗を猛省した。ただ、それを挽回するだけのインパクトは残した走塁だった。