↑DeNA育成ドラフト1位・笠井
今年のDeNAは、新人がかなりアツい。沖縄・宜野湾で行われていた1軍キャンプには、ドラフト1位の浜口(神奈川大)、同9位・佐野(明大)ら計5人が参加。さらに、同5位の細川(明秀学園日立高)が1軍の練習試合に抜てきされて本塁打を放つなど、ルーキーの活躍が連日のように紙面をにぎわせてくれた。
そんな中、私のイチ押しは育成ドラフト1位で入団した笠井崇正投手だ。最速151キロを誇るリリーバーで、キャンプ中に1軍の試合に2度呼ばれ、計4回を投げて1人の走者も出さずに7奪三振という圧巻の投球を披露。支配下選手登録を猛アピールしていることは、読者のみなさんならご存じだろう。
すでに何度か原稿で紹介しているが、彼の異色すぎる経歴を改めて紹介したい。北海道の進学校・旭川西高から一般入試で進学した早大では、わずか2日で野球部を退部。その後はアルバイトをしながら硬式野球サークルでプレーを楽しんでいたという。
大学3年の秋に「しっかり野球をやりきろうという気持ちで」BCリーグのトライアウトを受けて合格。信濃で現役大学生独立リーガーとしてプレーしていた昨季、本格的なトレーニングに取り組み、リリーフとして活躍していた姿がスカウトの目に留まり、わずか1年でNPB入りを果たしたシンデレラボーイだ。
それだけでも十分に“買い”なのだが、私が肩入れしたくなる理由がある。あれは今年1月。笠井が神奈川・横須賀の選手寮に入寮した日のことだ。実は、私は早大野球部OB。なぜ、たった2日で部を去ってしまったのか。後輩のような、後輩ではないような彼に、ずっと聞きたかったことをたずねると、こんな答えが返ってきた。
「練習についていけなかったというのもあるんですけど、気持ちの面で前を向けなかったというか…。2日目の練習をして、ひとり暮らしの家に帰ってきて『あ、今から洗濯するのか。しんどいな…』と思ってしまって。それで、その日のうちに『辞めます』と連絡しました」
これを聞いた瞬間、私は一気に親近感を覚えた。今から19年前、自分が早大野球部の門をたたいた頃の記憶が、ものの見事にオーバーラップしたからだ。
受験勉強を終えたばかりのなまりきった体で、先輩だらけのグラウンドで右も左も分からずに緊張しっぱなしの1日を過ごす。そして、真っ暗なアパートに帰ると、ご飯を作るのも、風呂を入れるのも、ユニホームを洗濯するのも全部、自分の仕事。布団に入れば、寝過ごすのが怖くて1時間ごとに目が覚める―。こんな日がいつまで続くのか…。そんな絶望感を覚えたことを鮮明に思い出した。
幸いなことに、私の場合は高校時代の恩師が早大野球部OBということが、つらい日々を乗り越えさせてくれた。「絶対に途中で辞めない。監督さんに迷惑をかけるわけにはいかない」という強い決意で入部したからだ。
だが、それがなければ私も数日で部を去っていたかもしれない。こんなにシンパシーを覚えた選手は、プロ、アマを通じて10年以上になる野球記者歴の中でも彼が初めて。だからその日、私は笠井を応援していこうと心に決めた。
新人合同自主トレで“鬼門”の3日目に姿を見せた時はうれしかったし、沖縄・嘉手納の2軍キャンプを取材した際には、ブルペンで力強いボールを投げ込む背番号105の姿を見つけて頼もしくも思った。そして、実戦での大活躍。私は自分のことのように喜んだものだ。
高田GMは「リリーフとして戦力になるためには、連投をこなす体力が必要」と、早期の支配下登録に慎重な姿勢を見せている。担当記者としては、旬のネタが先送りにされるのは惜しいが、話題性を優先して選手を使いつぶすようなことをしないのは評価できる。異色すぎる後輩の挑戦を長い目で見守っていきたい。
今年のDeNAは、新人がかなりアツい。沖縄・宜野湾で行われていた1軍キャンプには、ドラフト1位の浜口(神奈川大)、同9位・佐野(明大)ら計5人が参加。さらに、同5位の細川(明秀学園日立高)が1軍の練習試合に抜てきされて本塁打を放つなど、ルーキーの活躍が連日のように紙面をにぎわせてくれた。
そんな中、私のイチ押しは育成ドラフト1位で入団した笠井崇正投手だ。最速151キロを誇るリリーバーで、キャンプ中に1軍の試合に2度呼ばれ、計4回を投げて1人の走者も出さずに7奪三振という圧巻の投球を披露。支配下選手登録を猛アピールしていることは、読者のみなさんならご存じだろう。
すでに何度か原稿で紹介しているが、彼の異色すぎる経歴を改めて紹介したい。北海道の進学校・旭川西高から一般入試で進学した早大では、わずか2日で野球部を退部。その後はアルバイトをしながら硬式野球サークルでプレーを楽しんでいたという。
大学3年の秋に「しっかり野球をやりきろうという気持ちで」BCリーグのトライアウトを受けて合格。信濃で現役大学生独立リーガーとしてプレーしていた昨季、本格的なトレーニングに取り組み、リリーフとして活躍していた姿がスカウトの目に留まり、わずか1年でNPB入りを果たしたシンデレラボーイだ。
それだけでも十分に“買い”なのだが、私が肩入れしたくなる理由がある。あれは今年1月。笠井が神奈川・横須賀の選手寮に入寮した日のことだ。実は、私は早大野球部OB。なぜ、たった2日で部を去ってしまったのか。後輩のような、後輩ではないような彼に、ずっと聞きたかったことをたずねると、こんな答えが返ってきた。
「練習についていけなかったというのもあるんですけど、気持ちの面で前を向けなかったというか…。2日目の練習をして、ひとり暮らしの家に帰ってきて『あ、今から洗濯するのか。しんどいな…』と思ってしまって。それで、その日のうちに『辞めます』と連絡しました」
これを聞いた瞬間、私は一気に親近感を覚えた。今から19年前、自分が早大野球部の門をたたいた頃の記憶が、ものの見事にオーバーラップしたからだ。
受験勉強を終えたばかりのなまりきった体で、先輩だらけのグラウンドで右も左も分からずに緊張しっぱなしの1日を過ごす。そして、真っ暗なアパートに帰ると、ご飯を作るのも、風呂を入れるのも、ユニホームを洗濯するのも全部、自分の仕事。布団に入れば、寝過ごすのが怖くて1時間ごとに目が覚める―。こんな日がいつまで続くのか…。そんな絶望感を覚えたことを鮮明に思い出した。
幸いなことに、私の場合は高校時代の恩師が早大野球部OBということが、つらい日々を乗り越えさせてくれた。「絶対に途中で辞めない。監督さんに迷惑をかけるわけにはいかない」という強い決意で入部したからだ。
だが、それがなければ私も数日で部を去っていたかもしれない。こんなにシンパシーを覚えた選手は、プロ、アマを通じて10年以上になる野球記者歴の中でも彼が初めて。だからその日、私は笠井を応援していこうと心に決めた。
新人合同自主トレで“鬼門”の3日目に姿を見せた時はうれしかったし、沖縄・嘉手納の2軍キャンプを取材した際には、ブルペンで力強いボールを投げ込む背番号105の姿を見つけて頼もしくも思った。そして、実戦での大活躍。私は自分のことのように喜んだものだ。
高田GMは「リリーフとして戦力になるためには、連投をこなす体力が必要」と、早期の支配下登録に慎重な姿勢を見せている。担当記者としては、旬のネタが先送りにされるのは惜しいが、話題性を優先して選手を使いつぶすようなことをしないのは評価できる。異色すぎる後輩の挑戦を長い目で見守っていきたい。