日本でも活躍した人気プロレスラー、チャボ・ゲレロさんが死去したことが12日、わかった。68歳だった。
息子でプロレスラーのチャボ・ゲレロ・ジュニア(46)がインスタグラムで明らかにしたもので、今年1月に肝臓がんと診断されたといい「彼は今、天国にいる。今日はゲレロ家にとって悲しい日だ。安らかに眠ってほしい」とつづった。
父親で往年の名レスラー、ゴリー・ゲレロさん(1990年死去)の息子として、70年に地元のテキサス州でデビュー。弟のマンド・ゲレロ、ヘクター・ゲレロ、エディ・ゲレロ(2005年死去)もプロレスラー。
地元のテキサス州でデビューしたゲレロさんはすぐに頭角を現し、75年に全日本プロレスに初来日。78年からは新日本プロレスの常連外国人選手となり、藤波辰爾とジュニアヘビー級戦線で壮絶な抗争を繰り広げた。
また、大仁田厚(59)が米国遠征中だった82年3月にゲレロさんからNWAインターナショナルジュニアヘビー級王座を奪取し、ここから2人の抗争が勃発。ゲレロさんがトロフィーで殴打し、大仁田が腕に裂傷を負ったこともあった。
07年4月、無我が企画した「チャボ・ゲレロ日本引退シリーズ」に参戦し、藤波と久しぶりに対戦した。昨年は8月に大仁田厚が旗揚げした「ファイヤー・プロレス」に参戦。11月には全日本プロレスでドリー・ファンク・ジュニア、ザ・グレート・カブキらと8人タッグマッチを行った。
大仁田は「がんだと知らなかった。昨年会った時は『健康だよ』と言ってたから、正直驚いています。チャボさんは俺のプロレス人生を変えてくれた人。彼との出会いがなかったら、その後のプロレス人生がなかったからね。ヘビー級とジュニアヘビー級を足して2で割ったようなスタイルで、飛んだり跳ねたりするジュニアの枠を超えたオールマイティーな選手だった。ヘビー級とも戦えるジュニアの試合を教えてくれた。心よりご冥福をお祈りいたします」と故人を悼んだ。
息子でプロレスラーのチャボ・ゲレロ・ジュニア(46)がインスタグラムで明らかにしたもので、今年1月に肝臓がんと診断されたといい「彼は今、天国にいる。今日はゲレロ家にとって悲しい日だ。安らかに眠ってほしい」とつづった。
父親で往年の名レスラー、ゴリー・ゲレロさん(1990年死去)の息子として、70年に地元のテキサス州でデビュー。弟のマンド・ゲレロ、ヘクター・ゲレロ、エディ・ゲレロ(2005年死去)もプロレスラー。
地元のテキサス州でデビューしたゲレロさんはすぐに頭角を現し、75年に全日本プロレスに初来日。78年からは新日本プロレスの常連外国人選手となり、藤波辰爾とジュニアヘビー級戦線で壮絶な抗争を繰り広げた。
また、大仁田厚(59)が米国遠征中だった82年3月にゲレロさんからNWAインターナショナルジュニアヘビー級王座を奪取し、ここから2人の抗争が勃発。ゲレロさんがトロフィーで殴打し、大仁田が腕に裂傷を負ったこともあった。
07年4月、無我が企画した「チャボ・ゲレロ日本引退シリーズ」に参戦し、藤波と久しぶりに対戦した。昨年は8月に大仁田厚が旗揚げした「ファイヤー・プロレス」に参戦。11月には全日本プロレスでドリー・ファンク・ジュニア、ザ・グレート・カブキらと8人タッグマッチを行った。
大仁田は「がんだと知らなかった。昨年会った時は『健康だよ』と言ってたから、正直驚いています。チャボさんは俺のプロレス人生を変えてくれた人。彼との出会いがなかったら、その後のプロレス人生がなかったからね。ヘビー級とジュニアヘビー級を足して2で割ったようなスタイルで、飛んだり跳ねたりするジュニアの枠を超えたオールマイティーな選手だった。ヘビー級とも戦えるジュニアの試合を教えてくれた。心よりご冥福をお祈りいたします」と故人を悼んだ。