母に聞いた話なので昔の話になりますがこれは実話だと聞いてます。
それではどうぞお楽しみに
↓から本文になります。
ここは小さな漁師町です。
本当に貧しい町でみんなが貧しい生活をしていました。
そんな町である出来事がありました。
それはとてもとても悲しい出来事です。
昭和三十年頃
これは私が小学3年生の頃の話になります。
その子の名前は健二郎と言います。
とても優しいけれど悪い事ばっかりして交番に何度も何度も連れて行かれたり クラスの仲間のクレヨン、筆箱、鉛筆を盗み、靴を隠して、自分の名前を書き、履いていたりして、買ってもらえやと、みんなが健二郎に言うと「俺の家、貧乏だから」「それでも人の品物を取っちゃダメだぞ。」と先生が健二郎に言うと御免なさいと謝り、何度もこんな調子でしたが健二郎は良い所もありまして、ある時にクラスの女の子が別のクラスの子に苛められて泣いていると、健二郎は俺が行って来ると「誰だ、俺のクラスの女の子を泣かした奴は、出てこいや、ぶん殴ってやる」と言って本当にビンタをして帰ってきました。
クラスの誰もが憎めない子で線路に石を並べて遊び、おまわりさんに怒られたり、浜へ行けば干してある魚を盗んで来たりと本当に何を考えているか?解らない子でした。
それでも健二郎はクラスの事のなると女の子を守り、弱い子を守るそんな男の子でした。
そんな事の繰り返しが続き、ある日 突然
健二郎が学校に来なかったのです。
今まで健二郎は1回も学校を休んだ事が無いのが休むとクラスの子達は何があったのか?とざわざわとしていた。
そんな時、一人の男の子が言った「俺の家は、健二郎の家の隣だからさ、みてしまったのさ、言おうか、言わずにしておこうかと思っていた。」と男の子が言った。
健二郎の家は母さんが早く死んで、父親も、海で死んで、今は父さんの弟が健二郎の父さんで、健二郎が小1の時に新しい母さんが女の子を連れて来てそれから、時々、健二郎は夕食が貰えず、外で泣いていたんだ。母さんが意地悪していたようだ。
昨日、外の井戸に健二郎が吊るされていて、泣いていたクラスのみんなが又、ざわざわして、落されたのではないか。とか殺されたのではないか?と色々と口々に言い始めていると先生が来てそんな事はないと大きな声で言った「健二郎は今日、家の事情で休んだだけだから心配ないから」騒ぐのではないとみんな叱られました。
又よく日にケロっとして健二郎は姿を見せました。
みんな、健二郎に大丈夫か、優しくしてくれました。
「オレ、何かしたか?みんな気持ち悪いでないか?」健二郎本人はケロッとしていました。
そんな事が1年も続いた。
そして夏休みの終わりのある日にみんな学校へ行く1日目にとても信じられない事が起こりました。
教室に入ると先生が泣いていました。
健二郎の机の上には花瓶と花が飾ってあり子供達は何も言わず察して泣きました。
授業が始まると先生は泣く事を抑えて涙声で言いました。「健二郎君が肺炎で亡くなりました。」と言いました。
その時にクラスに警察が来て、先生に話があると外へ出て行きました。
またクラスはざわついています。
その後帰る頃、先生は来ました。
何も言わずとてもとても怖い顔でしたが泣き顔で怖い顔でした。
これはあとで聞いた話なのですが健二郎は体が小さい為に母に井戸に吊るされていた事を何人ものクラスメート達が見ていたので子殺しとして母は逮捕されたのです。
父親は海に出ていてまさかと思ったそうで父親も泣いていました。
昭和三十年頃 小さな漁師町で起きた悲しい出来事でした。
小学3年生の頃の話だったって聞いています。
母はパソコンやスマホなどでの文章を打つのが苦手のために自分が母から便箋[ノート]みたいなやつに下書きを書いてくれてそれをわかりやすくパソコンで手直ししました。
分かりにくい文章ですが母の気持ちがこもった実話だよ。
変なヤジを飛ばした方、物を投げた方は強制的に退場。
さらに紙テープの投げ入れは一切、禁止しています。
↑は新日本プロレスの田中秀和リングアナが注意事項で言ってるセリフです(笑)
どうだ、みんないつものやつをやるかー?
いくぞー❗❗❗ダァー❗
それではどうぞお楽しみに
↓から本文になります。
ここは小さな漁師町です。
本当に貧しい町でみんなが貧しい生活をしていました。
そんな町である出来事がありました。
それはとてもとても悲しい出来事です。
昭和三十年頃
これは私が小学3年生の頃の話になります。
その子の名前は健二郎と言います。
とても優しいけれど悪い事ばっかりして交番に何度も何度も連れて行かれたり クラスの仲間のクレヨン、筆箱、鉛筆を盗み、靴を隠して、自分の名前を書き、履いていたりして、買ってもらえやと、みんなが健二郎に言うと「俺の家、貧乏だから」「それでも人の品物を取っちゃダメだぞ。」と先生が健二郎に言うと御免なさいと謝り、何度もこんな調子でしたが健二郎は良い所もありまして、ある時にクラスの女の子が別のクラスの子に苛められて泣いていると、健二郎は俺が行って来ると「誰だ、俺のクラスの女の子を泣かした奴は、出てこいや、ぶん殴ってやる」と言って本当にビンタをして帰ってきました。
クラスの誰もが憎めない子で線路に石を並べて遊び、おまわりさんに怒られたり、浜へ行けば干してある魚を盗んで来たりと本当に何を考えているか?解らない子でした。
それでも健二郎はクラスの事のなると女の子を守り、弱い子を守るそんな男の子でした。
そんな事の繰り返しが続き、ある日 突然
健二郎が学校に来なかったのです。
今まで健二郎は1回も学校を休んだ事が無いのが休むとクラスの子達は何があったのか?とざわざわとしていた。
そんな時、一人の男の子が言った「俺の家は、健二郎の家の隣だからさ、みてしまったのさ、言おうか、言わずにしておこうかと思っていた。」と男の子が言った。
健二郎の家は母さんが早く死んで、父親も、海で死んで、今は父さんの弟が健二郎の父さんで、健二郎が小1の時に新しい母さんが女の子を連れて来てそれから、時々、健二郎は夕食が貰えず、外で泣いていたんだ。母さんが意地悪していたようだ。
昨日、外の井戸に健二郎が吊るされていて、泣いていたクラスのみんなが又、ざわざわして、落されたのではないか。とか殺されたのではないか?と色々と口々に言い始めていると先生が来てそんな事はないと大きな声で言った「健二郎は今日、家の事情で休んだだけだから心配ないから」騒ぐのではないとみんな叱られました。
又よく日にケロっとして健二郎は姿を見せました。
みんな、健二郎に大丈夫か、優しくしてくれました。
「オレ、何かしたか?みんな気持ち悪いでないか?」健二郎本人はケロッとしていました。
そんな事が1年も続いた。
そして夏休みの終わりのある日にみんな学校へ行く1日目にとても信じられない事が起こりました。
教室に入ると先生が泣いていました。
健二郎の机の上には花瓶と花が飾ってあり子供達は何も言わず察して泣きました。
授業が始まると先生は泣く事を抑えて涙声で言いました。「健二郎君が肺炎で亡くなりました。」と言いました。
その時にクラスに警察が来て、先生に話があると外へ出て行きました。
またクラスはざわついています。
その後帰る頃、先生は来ました。
何も言わずとてもとても怖い顔でしたが泣き顔で怖い顔でした。
これはあとで聞いた話なのですが健二郎は体が小さい為に母に井戸に吊るされていた事を何人ものクラスメート達が見ていたので子殺しとして母は逮捕されたのです。
父親は海に出ていてまさかと思ったそうで父親も泣いていました。
昭和三十年頃 小さな漁師町で起きた悲しい出来事でした。
小学3年生の頃の話だったって聞いています。
母はパソコンやスマホなどでの文章を打つのが苦手のために自分が母から便箋[ノート]みたいなやつに下書きを書いてくれてそれをわかりやすくパソコンで手直ししました。
分かりにくい文章ですが母の気持ちがこもった実話だよ。
変なヤジを飛ばした方、物を投げた方は強制的に退場。
さらに紙テープの投げ入れは一切、禁止しています。
↑は新日本プロレスの田中秀和リングアナが注意事項で言ってるセリフです(笑)
どうだ、みんないつものやつをやるかー?
いくぞー❗❗❗ダァー❗