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第2回WBC覇者、原監督に見た「心の余裕」

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↑WBC連覇を成し遂げ喜ぶ原監督

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↑延長10回2死二、三塁、イチローが中前に決勝タイムリーを放った

 第4回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の2次R(ラウンド)が始まった。1次Rを3連勝で突破した侍ジャパンは、12日のオランダ戦で延長11回タイブレークまでもつれた死闘を制した。5番の中田が3試合連続本塁打に決勝の適時打、坂本がつなぎ役に徹し、菊池がスーパープレーで危機を救った。捕手の小林も攻守に輝きを放った。9人の継投で耐えに耐え、粘るオランダを振り切り、どうしてもとりたかった初戦をものにした小久保ジャパン。14日のキューバ戦に勝てば、決勝Rのアメリカ行きへ大きく前進する。

 世界一を目指す指揮官には、どんな状況にも動じない固い意志と冷静さ、そしてここぞの決断力が必要とされる。広い視野を持ち、様々な局面で的確な判断を下すには心の余裕も必要だろう。その“余裕”を感じた監督がいる。

 2009年第2回大会で日本代表を率いた原辰徳前巨人監督(58)だ。あの大会、カメラマンの私は、予選Rから決勝までの全試合を取材した。

 サンディエゴで行われた2次R初戦のキューバ戦前。試合中の選手の表情を至近距離から撮影しようと、ベンチ横に無線でシャッターが切れるリモコンカメラをセットした。「チームに許可を取った方がいいかな」と考えていると、原監督が興味深そうにやって来て「へえ、リモコンカメラか?面白そうだな、いい写真撮ってくれよ」。ベンチの覗き見は嫌がられる事も多いが、普段からサービス精神旺盛な監督は余裕の表情で快諾してくれた。その日、チームは快勝。ベンチで盛り上がる選手を撮影する事ができた。

 大会期間中のオン・オフの切り替えも絶妙だった。準決勝の米国戦を控えた練習日。報道陣との雑談の中で、メジャー球団との練習試合で訪れたアリゾナでの話題になった。ある夜、日本食店で原監督とスタッフに遭遇したことがあり、「君たちも来てたの。ここ、美味しいからねぇ」と言い残し笑顔で店を出て行ったのだが、この日は報道陣の中に私を見つけると「この間、何食べたの?」と逆“取材”。「とんこつラーメンです」と答えると「俺はカツカレー、やっぱり勝負事の前はね」と豪快に笑い飛ばしていた。

 大会連覇を期待され、イチロー、松坂、城島、岩村、福留の5人のメジャーリーガーを含むスター軍団を率いての戦いは、重圧との闘いであったに違いない。今ひとつ結果の出なかったダルビッシュを準決勝から抑えに抜てき。不振を極めたイチローを信じて使い続け、決勝では試合を決める一打を引き出した。

 世界一となった祝勝会で「本当にお前さんたちはね。素晴らしい。強いサムライになった!」と選手を讃え、勝利の美酒に酔った原監督。しかしつい先日、テレビで当時を振り返ると「緊張したのは東京での開幕戦の試合直前だけ。その時は胃薬を飲んだけど、その後はそうでもなかった」と話していた。

 「やっぱり余裕だったんだぁ」―通常のペナントレースとは全く異質の大会も、百戦錬磨の監督にとっては、なんのその。真剣勝負の中にも、どこかで楽しむ気持ちがないとプレッシャーに押しつぶされるという事なのかもしれない。あの試合、決勝打を放ったイチローも「ここで打ったら日本でもすごいことになるだろうなと思って(打席に立ち)自分で実況していた」と語った。「僕は持っていますね。神が降りてきました」の名文句を残した天才打者。究極の場面でも自身を客観視し、”勝負を楽しむ”ことで伝説の一打は生まれたのだ。

 現在、侍ジャパンは決戦の真っただ中。とても勝負を楽しむ気にはなれないと思うが、小久保監督を中心に試合を重ねる度に結束を高めてきている戦士たち。世界一奪還への道は険しいが、最後は全員で「楽しかった」と笑顔で帰国してもらいたい

日本代表がイスラエルに勝ちました

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日本代表がイスラエルに勝ちまして準決勝進出決定。

そして、来週の20日~22日に準決勝と決勝が行われるが日本では午前10時00分に試合が行われるので生中継で視聴することが出来ませんが録画して見てやるぜ?

【WBC】日本、無敗で準決勝進出!筒香弾から打線爆発

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↑6回無死、先制本塁打を放つ筒香

 ◆WBC ▽2次ラウンド・プールE 日本8―3イスラエル(15日、東京ドーム)

 日本がイスラエルを圧倒し大会6連勝。1次ラウンドに続き2次ラウンドも3戦全勝と無傷で準決勝進出を決めた。

 4回まで毎回走者を出しながら得点が奪えない重苦しい展開を、4番・筒香が一振りで変えた。6回先頭打者でバックスクリーン右に運ぶ豪快な先制ソロ。「千賀と平野さんがいい流れを作ってくれたので、テンポよく打席に入ることができました」と筒香は投手陣に感謝した。

 主砲の号砲をきっかけに打線は爆発。坂本の中前安打などで1死一、二塁から松田が左翼フェンス直撃の適時二塁打を放てば、小林の当たりは三塁内野安打となり3点目。山田が敬遠四球で歩いて満塁として、菊池が右前適時打で続けば、青木は押し出し死球で5点目。打者11人の猛攻で一気に5点を挙げた。

 8回にも内川の左翼線2点二塁打などでダメ押しした。日本は先発全員安打の13安打で8点を挙げた。

 先発の千賀は初回に先頭打者に安打を許したが、5回を1安打無失点の好投で試合を作ると、6回から2番手・平野が登板。7回1死二塁のピンチは左腕・宮西にスイッチし、無失点リレー。8回には秋吉が3者凡退で退け、9回には守護神・牧田が3失点も最後を締めた。

「やっぱり勝ちたいから」オリックス・伊藤がプロ10年目の三塁挑戦でイケメンぶり見せる

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↑紅白戦3回1死、坂本の三ゴロを三塁手・伊藤が処理する

 春季キャンプ中の2月某日、ベンチに張られた紅白戦のスタメンを見て目を疑った。三塁の守備位置に「22」の背番号が記してある。オリックスの22…そう、扇の要として日本代表にも選出されたことのある伊藤光捕手(27)だ。

 オープン戦が始まってからも、三塁でスタメンに名を連ねる日が多くなってきた。今季でプロ10年目。かつては捕手としてゴールデン・グラブ賞も獲得した伊藤は、今何を思っているのか。

 意外にも、自ら進んで捕手を選んだわけではなかった。小学校で野球を始めた際には投手兼内野手。当時から地元では有名な選手だったという。幼少期は「野球をやるなら捕手以外で、と思っていた。」と冗談まじりに笑うが、中学からチーム事情もあって捕手に転向。その後、女房役としても才能を開花させた。明徳義塾高にも捕手として入学したが、2年時にチーム事情で一時的に三塁にコンバートされたことがあった。当時を思い出し「楽しかったな~。野手だと、守って次は打席のことを考えられるから」と振り返った。

 それだけに三塁挑戦を知らされても抵抗はなかった。それどころか「感覚が鈍ってなかった。『意外とできるやん』って自分でもビックリした」と手応えも感じたという。キャンプ中は市販のものや、小島に借りたグラブを使っていたが、3月からはマイグラブで試合に臨む。11日の巨人戦(ほっと)の5回には、石川の三塁線への強い当たりを逆シングルで捕球し観客を沸かせた。軽やかな動きと持ち前の強肩は、見ている側に安心感すら与える。

 昨年はライバルの若月が台頭し、出場機会が減少した。試合に出たくても出られない悔しさ。「自分の立場は分かっているから、キャッチャーじゃないといけない気持ちはない。そりゃ、キャッチャーで最後までっていうのが理想ではあるけど。試合には出てナンボ。試合に出られなくて、チームで必要ないってなるのは寂しい。サードでも使えるって評価があるから、頑張れる。やっぱり勝ちたいから」。そう話す目は真っすぐ前を向き、少年のようにキラキラしているようにも見えた。

 とはいえ後輩が捕手として試合に出て、自分は違うポジションに就いている。気持ちが腐ってしまっても不思議ではない話だ。なのに、伊藤は「やることをやっているだけ。普通だよ、普通」と笑みを浮かべる。外見だけじゃない、中身までイケメンなのがこの男の怖いところだ。捕手としてこれまで数々の勲章を手にしてきたが、背番号22にとってはそれらはすべて「おまけ」。とにかく試合に出たい、チームの勝利に貢献したい、この強い思いが今の伊藤を突き動かしている。

 伊藤が三塁に就くことで、チームには良い効果も生まれている。試合中に捕手が投手の元に行けるのは3回。その回数を使うほどではないが、間を取りたいときが伊藤の出番だ。誰から指示されるわけでもなく、三塁から投手の元に駆けより声をかける。この少しの間があることで、投手は嫌な流れを断ち切り、首脳陣も次の手を考える時間を作れる。そんな姿に風岡内野守備走塁コーチも「ベンチから行けないタイミングでいってくれる。光に触発されて、内野手みんなが(投手の元に)いくようになった」と効果を実感している。

 さらに同コーチはこう続けた。「今はチームが変わる時期。小谷野や中島もいるけど、光がサードを守ることで新しいオリックスが見られるのかなと思う。もう1回、輝いてほしいね」。来月で28歳。まだまだ老け込む歳ではない。その名の通りチームの光となってほしい。伊藤のひたむきな姿を見ていたら、そう思わずにいられない。

加賀美早紀が子宮頚がん告白…舞台は「進行が早かったとしても降板したくなかった」

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↑加賀美早紀

 女優でモデルの加賀美早紀(32)が15日、自身のブログを更新。子宮頚がんを発症していることを明かした。

 故・飯島愛さん原作の映画「プラトニック・セックス」(01年)の主演でデビュー、現在は姉ageha専属モデルとしても活動する加賀美。香乃さき名義で出演した舞台「Battle Butler」(中島大地脚本・演出)が12日に千秋楽を迎えたため、公表したという。

 ブログでは、舞台の出演が決まった数日後に子宮頚がんのステージ3の診断が出たと明かし、「体が第一だけど それよりもやりたかった 芝居をすること だから 仮に進行が早かったとしても降板したくなかった」と心境を告白。以前も余命3か月を宣告されたことがあったが、「その病気から数年が経ち まだ生きられています」として、治療より仕事を優先したとつづった。

 舞台は殺陣もある激しいもので、「疲れやすくて 貧血も起こすし 鼻血出すし 稽古しても体の悲鳴は聞こえてきて 殺陣があると聞いていたから体力つけてきてたけど 気休めにしかならず 気持ちに反して伴わず 本番に向けてセーブしてやってしまうひ弱さにまあ何度か泣いたよね」と、限界を迎えた中での本番だったと告白した。

 「これからまた精密検査に入ります 怖いけれど大丈夫 女の子達 検査は必ずしてね 体守るのは自分だよ 無理しないで労ってあげてね 元気な赤ちゃん産もうねー」と締めている。

 加賀美は11年7月、体調不良により芸能界を一度引退することを表明。13年からは姉agehaの専属モデルを務めている。15年12月には結婚したことを発表した。

渡瀬恒彦さんが死去、所属事務所発表「最期まで幸せな俳優人生全うに感謝」

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↑亡くなった渡瀬恒彦さん(右)左は兄の渡哲也

 映画「仁義なき戦い」シリーズやテレビドラマ「十津川警部」、「おみやさん」などで知られる俳優の渡瀬恒彦さんが多臓器不全により14日午後11時18分に都内の病院で死去した。72歳だった。16日、所属事務所がFAXで報告した。島根県出身。葬儀・告別式は近親者のみで営む予定で、妻・い保(いほ)さんが喪主を務める。兄は俳優の渡哲也(75)。

 渡瀬さんは15年6月にドラマ撮影中に肺炎のため1日だけ緊急入院。同年秋にも体調不良を訴え、かかりつけの総合病院で健康診断を受けた際、胆のうに腫瘍がみつかった。しかし、同年12月にテレビ朝日系「おみやさんスペシャル」(06年2月放送)の撮影で仕事を再開。仕事を続けながら、短い入院や通院をして、投薬で進行を遅らせる治療を続けていた。

 昨年のテレビ朝日系ドラマ「警視庁捜査一課9係」に出演中にがんが見つかったが、病気については「―9係」の共演者にも一切伝えずに、ごく限られたスタッフのみが知っていたという。また、もとは酒豪だが、がん発見以来、禁酒していたという。

 今月放送予定のテレビ朝日系の2夜連続特別ドラマ「そして誰もいなくなった」(25、26日・後9時)にも出演。今月2日に行われた同番組の完成披露会見は「スケジュールの都合」を理由に欠席していた。今年1月21日に俳優の松方弘樹さんが死去した際には文書で「年齢も近く、東映の撮影所でともに育ってきました。今は言葉が出ません」とコメントしていた。

 渡瀬さんは早大法学部を除籍になった後、電通PRセンターに勤務。兄の渡が日活の青春スターとして地位を確立していた一方で、芸能界に興味はなかったが、東映の岡田茂社長(当時)に口説き落とされ69年に東映と契約した。

 70年に映画「殺し屋人別帳」でデビュー。「仁義なき戦い」などアクション映画やヤクザ映画の出演を経て、78年に「赤穂城断絶」、「事件」で、ブルーリボン賞、日本アカデミー賞、キネマ旬報等助演男優賞を受賞。以後、「震える舌」、「神様のくれた赤ん坊」、「南極物語」などで話題を呼んだ。

 近年はテレビを中心に活躍。TBS系「十津川警部」、テレビ朝日系「おみやさん」など主に刑事物で味のある演技を見せていた。

 私生活では73年に女優の故・大原麗子さん結婚したが78年に離婚。翌79年にOLだったい保さんと再婚し、息子と娘に恵まれた。

 大原さんとは04年の「十津川警部シリーズ 東北新幹線『はやて』殺人事件」で26年ぶりに共演。また、兄の渡とも11年のTBS系年末特別ドラマ「帰郷」で約40年ぶりに共演し話題を呼んだ。

 所属事務所は「最期まで幸せな俳優人生を全うできましたことを心より感謝申し上げます」とコメントした。

大島優子「雨の劣等感は完全にぬぐい去られました」メキシコの旅を語る!

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大自然やそこに暮らす人々、動物を題材にした人気シリーズ「感動地球スペシャル」の第27弾「カリブ海と聖なる泉~大島優子 メキシコの旅~」(フジテレビ系)が、5日午後4時05分から放送される。女優・大島優子(28)がメキシコを巡り、自然を育み文明を生んだ「水」の謎に迫る。

ジンベエザメが集うカリブ海や、聖なる泉・セノーテでダイビングに挑戦したほか、古代・マヤ文明から受け継がれる伝統的な「雨乞いの儀式」を体験。そんな大島に旅の感想を聞いた。


<今回はメキシコでどんな旅を?>

 水中で生活する生き物たちの空間だったり、神秘的な世界を体験してきました。約2週間行ってきたんですけど、大半は水中にいました(笑)。人間が地上で生きる世界とは違った世界を皆さんに楽しんでもらえると思います。

 ほかにも、メキシコの街だったり、そこに住む人々が持っている空気感も味わってきました。時の流れがゆったりしていて、この街には、“沖縄タイム”ならぬ“メキシコタイム”みたいなものがあるのかなって、いろんな場面でそんなことを感じられる旅となりました。

<カリブ海でのダイビングでは大迫力のジンベエザメに大接近。間近で一緒に泳いだ感想は?>

 本当に大きくて、ビックリ。私が152センチなのに対して、サメは全長6~8メートルくらいあって。顔だけ見たら、口が横に広がっていて、つぶらな瞳ですごく可愛らしいんですけど、胸から下は、エラがあってヒレがあって、もう完全にサメ。最初は怯えてしまって、私これ潜れるかなぁと思っていたんですけど、チャンスがくると、スタッフさんやガイドさんが「GOGO!」って背中を押してくるんですよ(笑)。そんな勢い付けもあって、ジンベエザメと接近することができました。1回近付いてみたら、印象が変わりましたね。

 勝手に抱いていた獰猛さはまったくなく、おっとりして見えました。人間が近くにいることに気づいてくれているような感じもあって、触れることはできないんだけど、触れてみたいなって思ったり。今ではジンベエザメに愛着が湧いています。ジンベエザメと泳ぎたくて、私が「もう一度トライさせてください!」ってお願いするシーンも結構あるので、ドキュメンタリーというよりガチンコ番組みたいになっているかも(笑)。

<ジャングルの中の小さな村・イダルゴでは、マヤ文明の末裔たちによる「雨乞いの儀式」を初体験。その直後、本当に雨が降ってきたそうですね>

 儀式をして10分後くらいに降ってきました。本当に驚きました!私、大きな仕事の時はなぜか雨が多いんです。AKB48の卒業コンサートも雨で中止になったし、主演映画を撮っていただいた時も、撮影の日は全部雨で…。いつもは雨が降らないようにって、てるてる坊主の儀式をやっていて、以前から雨に対して劣等感があったんです。

 だけどメキシコの方々にとってはそれが恵みの雨なんですよね。雨が降れば降るほど作物も育つ。そういう捉え方の違いを知って、私の劣等感は完全にぬぐい去られました。

<地元料理、ハラペーニョを乗せたトルティーヤも振る舞われたとか。そのお味は?>

 辛かった!でも、すごく美味しくて、私はそこからメキシコ料理が大好きになりました。現地のトルティーヤは、作りがすごくシンプル。トウモロコシを練ってできたトルティーヤにチャヤって大きい葉っぱを潰して練り込んで、そこにちょっと油を入れてハラペーニョを乗せるだけなんですけど、お店で食べるメキシコ料理とは違くて、素材の味の美味しさでした。素朴なんだけど温かみがありましたね。ハラペーニョって今まで食べられなかったんですけど、自然のハラペーニョがこんなに美味しいと知って大好きになりました。

 雨への劣等感もそうだし、メキシコに行ってからいろんなことを克服できました。

<2週間の旅路。それなりに過酷だったこともあったのでは?>

 んー、あったかなぁ?楽しいことばかりでした。しいて言えば、海の上は過酷だったのかも。荒波のなか、ジンベエザメを探すために2~3時間は海の上をさまよっていたので。2週間のうちの半分以上は潜っていたので常に夜11時には寝ちゃっていましたし、体は疲れていたのかもしれません。

 あ、思い出した!海の濃度が濃かった。それが結構きつかったですね。その水が体の穴という穴から全部入ってくるのがきつかった。でもそのくらいかな?あとは全部楽しめました。身体能力だけが取り柄なので(笑)。(つづく)

■大島優子(おおしま・ゆうこ)

1988年10月17日生まれ、栃木県出身。2014年にAKB48を卒業。その後は個人として数々の映画やドラマに出演。ドラマ「東京タラレバ娘」(日本テレビ系)に出演中。「感動地球スペシャル」への出演は2016年の「大島優子のアイスランド~オーロラ舞う火山島~」に続いて2度目。



大自然やそこに暮らす人々、動物を題材にした人気シリーズ「感動地球スペシャル」の第27弾「カリブ海と聖なる泉~大島優子 メキシコの旅~」(フジテレビ系)が、5日午後4時05分から放送される。女優・大島優子(28)が現地を巡り、自然を育み文明を生んだ「水」の謎に迫るドキュメンタリーだ。今回のインタビューは2日から続く「後編」。現地で貴重な経験を重ねた大島に旅の思い出や番組の見どころなどを聞いた。

<マヤの水源で、地元の言葉で「聖なる泉」を意味するセノーテ。数十メートル先を見渡せる青の世界に入り込んだ感想は?>

 言葉で表すのが難しいんですが、体感的には、宇宙空間にいるような感じ。ずっとふわ~っと浮いていて、波もないですし。セノーテって、洞窟の中に水が溜まっていく形になっているので、光が当たるところしか色付いて見えないんです。ほかは真っ暗。だからセノーテの中で暮らす生き物たちは周りがほとんど見えてないんですよね。そこで生きるために自分が進化していくというか、いらないものはいらないし、いるものはいる、というように自分たちが変わっていって、その場所に適応して生きている。何だか普段見ている魚とは違った生物に思えました。

 セノーテは4カ所くらい行かせていただいたんですけど、形、表情が全部違っていて。セノーテもどんどん変わっていっているということは、地球自体も生きていて、動いているということ。まるで地球の中にも潜り込んだような気分になりました。

<現地の方々との触れ合いのなかで、印象的な出会いはあった?>

 市場の方々かな。バジャドリッドという街に行かせていただいたんですけど、カンクンとかのリゾート地とは違って、奥に入った田舎町で、みんな穏やかなんです。

 体型や容姿がちょっと日本人と似ていたりして、親近感がありました。ただ、働き過ぎている日本人と性格は真逆で、商売っ気が全然なくて、そこが魅力的でした(笑)。あのゆったりした街の空気感は、そこに暮らす人が作っているんだろうなと思いました。同じ人間なのに、文化や歴史、生活環境が違うと、性格や見ている将来の夢など、いろいろな形があるんだなと考えさせられました。

あと、常に一緒にいた現地の運転手さんも印象的でした。長時間の運転は大変ですから、私が海とかセノーテに潜っている間はずっと寝ていて、動かないんです(笑)。だからいたずらをしたくなって、口を開けて寝ていた運転手さんの口にハラペーニョを入れてみたんです。辛いから飛び起きるだろうって思ったら、そのままムシャムシャ食べちゃって!メキシコ人、すごいなって(笑)。

<見た人がどんなことを感じられる番組になりそうですか?>

 生かされているなぁって感じると思います。海が嫌いな方もいらっしゃるんでしょうけど、水に触れると優しい穏やかな気持ちになったり、水の音を聴くと心が安らいだりする、そのヒーリング効果はすごくあると思います。

 あ、番組の中の私の発言はあまり聞かなくて大丈夫です。「すごい!」「やばい!」しか言っていないので(笑)。音なしで見ていただいても構わないくらい、とってもきれいな映像と、心癒される時間の流れがあります。ぜひ癒やされてください。

<こういったロケは久しぶりじゃないですか?>

 そうですね、こういう機会はとっても貴重です。大島優子として、こういう地球や環境のことにパーソナルに触れられて、かつ表現をしていいので、とっても開放感があるというか。仕事している感じは全然ないです。素顔に近いと思います。

<次回があるなら、どこに行きたいですか?>

 未開拓地とか行ってみたいですね。ジャングルとか、アマゾンとか。あまり知られていない場所に行くことに、番組で伝えることの意味があると思うので。

<最後に、ZAKZAKの読者に向けてメッセージをお願いします>

 ここまで潜っている人はいないと思います。私としてもここまで自然体でできたことが嬉しいし、その辺も見てほしいのと、でもまぁ私がどうこうというよりは、世界はこんなに広くて、見たことのない世界がまだまだあって、感じられるものもまだまだたくさんある。それを体験できる可能性が自分にもあるんだって思っていただけたら嬉しいです。

■大島優子(おおしま・ゆうこ)

1988年10月17日生まれ、栃木県出身。2014年にAKB48を卒業。その後は個人として数々の映画やドラマに出演。ドラマ「東京タラレバ娘」(日本テレビ系)に出演中。「感動地球スペシャル」への出演は2016年の「大島優子のアイスランド~オーロラ舞う火山島~」に続いて2度目。

【WBC】侍ジャパン検索ランキングトップに小林!2位は山田

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↑攻守に大活躍、侍ジャパンの小林

 検索サイトの「Google」は17日、現在開催中のWBC「野球日本代表選手」検索ランキングを発表した。

 12日から16日までの間を調査し、2次ラウンド期間中に最も検索された選手は巨人・小林誠司捕手。

 2次ラウンドで攻守に活躍した小林がトップにランクインし、2位はヤクルト・山田哲人内野手だった。

 ◆日本選手トップテン 

 1位 小林誠司(巨人)

 2位 山田哲人(ヤクルト)

 3位 中田翔(日本ハム)

 4位 菊池涼介(広島)

 5位 坂本勇人(巨人)

 6位 青木宣親(アストロズ)

 7位 牧田和久(西武)

 8位 松井裕樹(楽天)

 9位 鈴木誠也(広島)

 10位千賀滉大(ソフトバンク)

(調査対象期間17年3月12~16日)

【巨人】杉内、604日ぶり1軍マウンドで先発!「若い世代に逆らっていかないと」

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↑和田(奥)が投球を見つめる中、力投する杉内

 ◆オープン戦 ソフトバンク5―3巨人(16日・福岡ヤフオクドーム)

 右股関節手術からの復帰を目指す巨人・杉内が、604日ぶりに1軍のマウンドで先発した。ソフトバンクとのオープン戦(ヤフオクD)で同学 年の和田と投げ合い、3回 2/3を65球で本塁打を含む4安打3失点。フォームなど今後への課題も確認し、完全復活へ向けまた一歩前進した。

 やっとここまでたどり着いた。杉内が1軍のマウンドに帰ってきた。オープン戦とはいえ、1軍相手は15年7月21日の阪神戦(甲子園)以来、604日ぶり。独特の空気の中で思い切り腕を振った。「ほどよく緊張していた。久々の感触があった」と振り返った。

 初回1死一塁では直球で柳田を投ゴロ併殺。2回に江川に低めのスライダーを2ランとされ、4回にまたも江川に左中間に適時二塁打を浴びるなど4回途中4安打3失点。それでも、3回は全て宝刀のスライダーを決め球に3者凡退とした。古巣相手の65球。ベンチに向かう左腕には観客から温かい拍手が送られた。

 課題は残った。直球が高めに浮いた。「回を追うごとに力が伝わっていない感じ。痛みはないけど」。右足へ体重が乗り切らない感触はあったが、反省点をマウンドから持ち帰った。

 15年10月に右股関節を手術。キャンプ中は実戦を想定し、1イニング相当の球数を投げては10分休憩する練習を行った。下半身強化によりユニホームのズボンのサイズも大きくなるなど、体力面では十分な準備を積んだ。だが、ブルペンにはない動きなども、実際の試合では出てくる。「(打球の)高いバウンドだったり、シーズン中には不安がある。改善策を見つけたい」

 対戦相手は同じ“松坂世代”の和田。6回1失点の盟友に「いいなあと思って見てました」と刺激も受けた。次回の登板は翌日の患部の状態も見てから決める。由伸監督は「前半はよかった。もうちょっと投げ込んでいくことが本人の中で課題としてあると思う。少しずつ進んでいってくれている」とうなずいた。

 公式戦登板について問われた左腕は「今のパフォーマンスではおこがましい」と言いつつ「若い世代に逆らっていかないと」。かつての本拠で、新たな闘志をかき立てられた。

中居正広がWBCで最も興奮したシーンは? 「抱かれてもいい」ホレた選手を告白

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↑16日のイスラエル戦に勝利しガッツポーズで喜ぶ侍ジャパンナイン

 元SMAPの中居正広(44)が、18日に放送されたTBS系スポーツバラエティー「炎の体育会TV2時間SP」(後6時55分)に出演。侍ジャパン公認サポーターとして日本ラウンドをベンチ脇でリポートした立場から、興奮度ベスト5の場面を紹介した。

 東京ドームでは、一塁ベンチに壁1枚へだてたカメラマン席の“手に届く位置”で待機した中居。雨上がり決死隊の蛍原徹(49)、野球解説者の槙原寛己(53)らに、その熱気を解説しながら発表した。

 第5位に挙げたのは、8日に行われた1次リーグ(R)豪州戦の5回、岡田俊哉が1死満塁のピンチを併殺でしのいだシーン。「よっし!イエーイ」と仕事を忘れた様子が映し出され、「立場を考えて下さい。ファンじゃないんだから」と蛍原に突っ込まれたが、中居は岡田の後日談を披露。

 併殺の直前、ストライクが入らなかった状況を翌日に振り返ってもらったところ、岡田は何も覚えていないと答えたそうで、マウンドに駆け寄った捕手の小林誠司から「お前は何の球種なら入るんだ」と詰め寄られた時に「何もありません」と返答したというエピソード紹介。「(極限の状態になると)あんな風になっちゃうんだ」と感心した。

 元巨人の槙原氏は、中居から「覚えていないって(経験)ありますか」と問われると、1985年の阪神戦で、バース、掛布雅之、岡田彰布に3者連続バックスクリーン弾を浴びた時を挙げ「2本目から何も覚えていない。あれは巨人だけど、代表ですから」と、極限の心理状況で戦う侍戦士をおもんぱかった。

 中居は続く4位に12日のオランダ戦、7回1死一塁のピンチを救った二塁・菊池涼介のダイビングキャッチ、3位に14日・キューバ戦の8回に代打で勝ち越しの犠飛を決めた内川聖一、2位に8日、1次R豪州戦での中田翔&筒香嘉智のアベック弾を挙げた。

 そして1位に挙げたのは巨人のラッキーボーイ・小林だった。

 昨季は巨人で4本塁打ながら、10日の中国戦で2ランを放つなど負傷で離脱した嶋基宏の代わりをしっかり果たしている小林。15日のイスラエル戦でも千賀滉大のボールを何度も体を張って止め「一生懸命取るのよ。あのひたむきさ、抱かれてもいいかな(と思う)」とべたぼれ。この大会で小林は「野球人としても人間としても大きくなると思う」と期待した。

 舞台を米国に移し行われる準決勝、決勝は厳しい戦いが予想され「やべーよ、本当にヤバイ。できんのかな」と心配した中居。それでも「是非とも全勝完全優勝を果たして欲しい」と期待していた。

前中日・川上憲伸氏、現役引退表明「重い荷が下りた感じがします。でもさみしいですね」

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↑引退を表明した前中日の川上憲伸氏

 前中日の川上憲伸氏(41)が19日、現役引退を表明した。川上氏は、午後にCBCテレビ(名古屋市)の情報番組「サンデードラゴンズ」に生出演。その場で「ユニホームを脱ぐ決意をしました」と引退を表明し、「やっぱりすっきりしますし、重い荷が下りた感じがします。でもさみしいですね」と話した。

 引退のきっかけは現在、行われているWBCにあったという。「今、WBCが行われていますが、ああいうガッツだったり、投球だったりを見ていると、自信がなくなったということですね」と明かした。

 川上氏は明大から1997年ドラフト1位で中日へ入団し、2008年オフに米大リーグ・ブレーブスへ移籍。12年に中日に復帰したが、15年9月に右肩を手術し、同年オフに球団から戦力外通告を受けた。当時は「限界が近いことは分かっているが、まだ野球少年でいたい。僕の中で『引退』という言葉は怖い」と話し、所属球団がないままリハビリを行いNPB球団からのオファーを待っていたが、かなわなかった。日本での通算成績は275試合登板で117勝76敗1セーブ。日米通算では125勝。

【ヒルマニア】侍ジャパン・菊池と坂本が魅せる“二遊間の恋

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↑守備を終えベンチに戻る菊池(左)と坂本

 「ヒルマニア」は、スポーツ報知で野球を担当し続けて45年の蛭間豊章記者が、マニアックな野球ネタをお送りします。

 今回のWBCでベスト4に残ったチームを見ると、いずれも二遊間コンビに素晴らしい選手がそろっている。息のあったプレーを見せてチームのピンチを何度も救ってきた。キーストン・コンビとも言われる二遊間は、“ベースボールの華”そのものと言える。「二遊間の恋」という文庫本が話題になった事がある。メジャーの遊撃手が新しく入った二塁手をリスペクトしていくうちに、恋してしまうという本で面白かった思い出がある。その中でも、二遊間のすばらしさが強調されていたことを思い出す。

 日本代表では何と言っても初戦のキューバ戦やオランダ戦など数々のファインプレーでメジャー公式ページにも登場した二塁・菊池(広島)。4年連続ゴールデン・グラブ賞が伊達ではなかった事を世界に知らしめた。坂本(巨人)も昨年初めて同賞を受賞。2人の華麗なプレーが何度東京ドームを沸かせてくれただろうか。ドジャー・スタジアムでも期待したい。

 プエルトリコの二塁バエス(カブス)は米国戦の5回にホスマーの一、二塁間のゴロをスライディングキャッチして刺した。ユーティリティープレーヤーだがメジャーで1人ずつしか選ばれない“フィールディング・バイブル”でマルチポジション部門で表彰されている。遊撃のリンドア(インディアンス)も昨季初めてゴールドグラブ賞を受けた。ともにアクロバティックなプレーが売りだ。昨年ワールドシリーズを争った同士だが4チームの中では最高のコンビか。

 米国の二塁キンスラー(タイガース)と遊撃クロフォード(ジャイアンツ)はそろって昨年のゴールドグラブ賞。華麗と言うよりも堅実なプレーが信条だ。

 オランダでは二塁スクープ(オリオールズ)は平均点ながら、遊撃シモンズ(エンゼルス)は2013、14年のゴールドグラブで強肩に定評がある。この2人を中心にした併殺完成は合計9個(プエルトリコ6、日本、米国はともに5)を数える。

 残り3試合となったWBC、勝敗だけでなく、プロフェッショナルなプレーヤーの妙技にも注目したい。

巨人担当キャップが今季の順位予想…紙面とは別の角度から述べてみた?

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↑巨人・高橋由伸監督

 いきなりだが、今年の順位予想をしてみた。

 1位・巨人

 2位・DeNA

 あとは、本紙評論家の方々にお任せするとします。

 巨人担当歴9年の“情”と言われそうだが、違う。ある人の由伸監督に対する評価を聞き、期待値は高くなったのだ。DeNA・ラミレス監督だ。昨シーズンが終了してからの言葉だ。

 「由伸さんは必ずいい監督になるよ。いい意味で何を考えているのか分からない、読めない」

 過去に一度も采配を振るったことのない人が、巨人軍の監督になった。現役時は天才打者だった。が、勝負所を読んでの投手起用や代打を送るタイミングなんて、いきなり出来るはずがない。だから、経験豊富な村田ヘッドコーチや尾花投手コーチをそばに置いた。そんな中で持ち前の勝負師の勘を使って白星を拾い、経験を積みながら「真の監督」へと成長していった。

 そこへきて、ラミレス監督の「眼」だ。ラミちゃんは巨人時代、相手バッテリーの配球を読むことにたけていた。常に研究を怠らず打席につなげた。相手の顔色一つも見逃さないバッターだった。記者が二日酔いを隠して球場に行くと、必ず「昨日はたくさん、お酒飲んだね」と当てられた。そんな男が、我らが指揮官を「読めない」と評した。これは嬉しい言葉だ。

 そんなラミちゃんは昨年、1番打者に桑原、正捕手に1年目の戸柱、セカンドに宮崎を抜てきした。シーズン半ば、「この3人は『絶対に活躍できる』と見込んだんだ。その通りになっただろ」と胸を張っていた。夢だった日本球界の監督になり、「自信はある」と鼻息を荒くしていたが、選手を育て、チームをリーグ3位に導いた。その手腕は誰もが認めるところだ。それでも巨人は2位だった。

 ここらで、そろそろお断りを…。このコラム、「ラミレス監督を褒めよう」の回ではございません。あくまで、巨人1位を予想する私独自の視点を、紙面とは別の角度から述べたつもりです。いかがだろうか。

【WBC】プエルトリコが決勝進出!延長11回サヨナラでオランダ下す

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↑11回1死満塁、ロサリオ(手前中央)の中犠飛でサヨナラ勝ちを収め、喜ぶプエルトリコナインら

◆WBC ▽準決勝 プエルトリコ4x―3オランダ=延長11回=(20日、ロサンゼルス)

 WBCの準決勝、プエルトリコ・オランダ戦が20日(日本時間21日)、米ロサンゼルスのドジャースタジアムで行われ、延長タイブレイクを制して、前回大会準優勝のプエルトリコが決勝に進出した。

 無死一、二塁でスタートする延長11回表、オランダは1死満塁としたが、スミスが二ゴロ併殺打で無得点に終わると、その裏、プエルトリコは1死満塁から、ロサリオ(ツインズ)の中犠飛でサヨナラ勝ちした。

 オランダは初回2死三塁からバレンティン(ヤクルト)の左中間への2ラン本塁打で先行。プエルトリコはその裏、1死二塁からコレア(アストロズ)が左中間へ同点2ラン。2回にはT・j・リベラ(メッツ)が左翼席にソロ本塁打した。

 オランダは5回2死一、二塁からサラーガ(レッズ)の左中間二塁打で同点に追いついていた。

 準決勝の日本・米国戦は21日午後6時(日本時間22日午前10時)に行われる。

WBCルール変更!決勝Tからでもマー呼べる、マエケン夢プランで世界一奪回

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↑13年第3回WBCで4試合に登板したヤンキース・田中

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↑メジャー1年目で16勝を挙げたドジャース・前田

 3月に開催される第4回WBCで、登録メンバー28選手に加え、大会途中で入れ替え可能な10人の「予備投手枠」が設けられることが6日、分かった。この新ルールにより、全戦帯同が難しい日本人メジャーリーガーの途中参戦に道が開けた。ドジャース・前田健太投手(28)、ヤンキース・田中将大投手(28)といったエース級を米国での準決勝、決勝に投入する“夢プラン”も不可能ではなくなった。

 09年の第2回大会以来の世界一奪回を悲願とする小久保ジャパンに、壮大な夢プランが浮上した。米大リーグの公式サイトが、この日までに10人の予備投手枠の新設を報じた。13年の前回大会までは故障者の入れ替えは認められていたが、同サイトによると、今大会は1次、2次ラウンド(R)終了後に、それぞれ2人まで投手の入れ替えが可能。これにより、マエケンやマー君ら“海外組”を起用するハードルがグッと下がることになる。

 侍ジャパンは、現段階でも前田や田中らの招集を模索しているが、すでにカブスの上原は出場を辞退し、ダルビッシュに関しても所属のレンジャーズが不参加の手続きを取っている。背景には、所属チームの管理下を離れて日本でプレーすることを危惧する首脳陣への配慮もあるとみられる。

 しかし、この新ルールが採用されれば話は違う。メジャーリーガーは米国内での春季キャンプで体を仕上げつつ、ロサンゼルスで行われる3月20日以降の準決勝と決勝に登板が可能。限定的参戦ならば、所属球団がゴーサインを出すことも十分に考えられる。

 先発起用の選択肢は大きく膨らむ。2次Rまでのプレーオフを含む最大8試合を大谷、菅野ら国内組で勝ち上がり、ドジャー・スタジアムの準決勝以降で仕上がり十分なマエケンとマー君を投入―という計画も可能だ。チームの結束を重要視する小久保監督は、大会途中の入れ替えには慎重な姿勢とも言われるが、調子の上がらない投手を思い切ってチェンジすることもできる。28選手中に投手は13人以上の登録が必要なため、少なくとも計23投手の枠を使えるわけだ。今回も1次R60球、2次R80球、準決勝以降は95球の先発球数制限が設定される見込みで、先発陣の“増枠”は願ってもないオプションだ。

 指揮官は「(昨夏)渡米して感じましたけど、そこ(米国)で戦っている選手がチームには必要。日本の強みは投手力を中心とした守り。最強のメンバーで臨みたい」と話している。現時点で発表されているのはアストロズ・青木を含め19人。残り9人プラス投手10人の最終メンバー登録期限は2月6日(日本時間7日)となっており、侍ジャパン関係者は「1月末までには発表したい」と話した。38人の最強侍で、頂点を狙いにいく。

【巨人】伊勢で感じた、沢村栄治の魂…22日にOP戦

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↑22日、三重県伊勢市の倉田山球場で巨人―日本ハムのオープン戦が開催される。巨人草創期のエース、沢村栄治の生誕100周年を記念して、巨人全ナインが沢村のつけていた背番号14のユニホームを着用。その使用済みユニホームは同市内の小中学校に寄贈されることになっている。2月1日に市内明倫商店街に沢村氏の有名な言葉を彫り込んだ“全力石”の除幕式が行われたが、それだけではなく当地には沢村関連の遺物が数多くあって“沢村巡礼”にはもってこいの場所だ。

 近鉄鳥羽線・宇治山田駅前の明倫商店街。「沢村栄治生誕の街」の看板が掲げられているアーケードに入っていくと約100メートル先に2月1日に除幕式が行われた「全力石」がある。それは明倫小学校出身の当地を代表するスーパースター、巨人草創期のエース、故・沢村栄治投手(1944年没=享年27)の生誕100周年を記念して設置されたものだ。

 家庭の事情で京都商に進学したが、そんな英雄を「NPO法人 沢村栄治顕彰会」が「野球少年たちに石碑に触れてもらい、沢村投手を目標に頑張ってもらいたい」と建立。石碑には沢村が残した名言「人に負けるな どんな仕事をしても勝て しかし堂~(堂々)とだ」と彫り込まれている。

 式典に出席した81年の沢村賞投手で巨人の後輩、野球評論家の西本聖さん(60)は「(受賞した直後の)日本シリーズでは、この賞の名に恥じないようなピッチングという誇りを持って臨んだ結果、2勝してシリーズでMVPになれた。沢村賞のプライドと誇りを持って20年間のプロ野球生活を全うできました。沢村賞への感謝でいっぱいです」。そして「誇れるものがあり、地元の人は幸せだと感じる」とも話した。

 その商店街を抜けて駐車場の片隅には2011年に建てられた「沢村栄治生家跡」の石碑と生家の写真、沢村の紹介文などが設置されている。紹介文には、こうある。

 沢村賞制定のもとになった大投手でプロ野球の投手が憧憬する沢村栄治「大正六年(一九一七)二月一日 父賢二、母みち江の長男としてこの地で生まれ育つ」昭和十九年十二月二日 二七歳の若さで、台湾沖にて戦死を遂げる。

 彼の偉業をたたえ、この碑を建立する。

沢村栄治顕彰会

 その写真を見ると、往時の沢村家の様子をうかがい知ることができる。

 そこから1キロほど徒歩で10分ほど勢田川を渡った伊勢市岩渕町の一角、一挙坊墓地にお墓がある。

 ここは通常のお寺が守るお墓ではなく、どちらかというと地域の共同墓地のような場所で、沢村の墓はほぼ中央にあり、大きなボールが目印になっている。写真のような大きな硬球をかたどったものを乗せた墓石で、ボールの表がジャイアンツのG、裏が永久欠番の14が彫られている。西本氏も「全力石」除幕式の後、お参りされた。

 それだけではない。オープン戦開催の倉田山球場には73年3月20日に建立した胸像が、2年後に完成した同じ宇治山田出身の元タイガース投手・西村幸生の胸像とともに並んでいる。お墓以外に沢村をしのぶものがなかった時代、当時の三重県野球教室の山本馨会長が中心になって「地元の生んだ大投手の業績を知ってもらい、青少年のスポーツ振興に役立ててほしい」との思いで建てられた。オープン戦の試合前に拝む人も少なくないはずだ。

 伊勢神宮参拝や鳥羽などに旅した際に、ぜひ寄ってみたい沢村スポットが数多くある。ジャイアンツ・ファンだけでなく野球ファンなら、沢村の往時の豪快なピッチングに思いをはせながら、訪ね歩くことをぜひお勧めします。

 ※20日から26日まで伊勢市観光文化会館で記念展示会を行うなど各種の「沢村栄治生誕100周年」を祝うイベントを用意している。(詳細は伊勢市教育委員会 文化振興課 TEL0596・22・7885まで)

 また、沢村栄治顕彰会では沢村投手のブロンズ像建立のための募金を呼びかけている。募金期間は今年6月30日まで。問い合わせ先はTEL0596・28・1322 同顕彰会まで。

 ◆沢村 栄治 1917年2月1日、宇治山田市(現伊勢市)出身。地元の明倫小から京都商に進み快速球に磨きがかかり、34年に開催された日米野球では全日本軍の一員となり、ベーブ・ルースらの全米軍相手に力投。そのまま巨人入り、プロ野球発足2年目の37年春季リーグで24勝して最初のMVP。また、通算3度のノーヒットノーランも達成したが、3度の応召の結果、肩を壊し通算63勝22敗、44年12月2日に台湾沖で戦死。その功績がたたえられ、47年に最も素晴らしい成績を残した先発投手に贈られる「沢村栄治賞」が制定。また、同年に背番号14が巨人の永久欠番に。また、野球殿堂の第1回受賞者となっている。

東京ドームを一つにしたWBCならではの最高の瞬間

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↑盛り上がるレフトスタンドのファン

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↑イスラエル戦に勝利し全勝で決勝ラウンド進出を決めた侍ジャパン

 トランペットの前奏から「やま~だてつと!」の大合唱で始まり、菊池が打席に立つと広島名物「スクワット応援」で盛り上がる。投手陣がピンチを迎えると札幌ドームにいるかのような拍手が起き、ソフトバンクの松田がホームランを放てば「あっつおー!」とスタンド総立ちでガッツポーズ。

 割れんばかりの大歓声と満員の観衆が作り出す熱気は実に気持ちいい。東京ドームで行われた第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の1次、2次ラウンドを、応援団の“隣席”外野カメラマン席で取材した。

 東京ドームといえばジャイアンツの本拠地であり、ふだんなら球場はオレンジ色と相手チームに分かれて時にはヤジも飛ぶが、今回は球場全体が“侍ジャパン推し”。ペナントレースでは決して味わえない360度から大声援が響くシーンは圧巻だった。

 2年連続トリプルスリーの山田、広島25年ぶりセ・リーグ優勝に貢献した菊池、昨季本塁打王の筒香と首位打者の坂本…日本が誇るスター軍団に、応援歌もヒットソングメドレーとなる。入場時に配られる各選手の応援歌が記された特製カードを手に、ライバル球団など関係なく球場が一体となる様子は、まるでコンサート会場。日本の野球ファンの熱狂ぶりを肌で感じ、仕事中の私まで飲み込まれそうになった。

 そんな中、番狂わせを演じたイスラエルの躍進は印象的だった。15日の日本との対戦では“完全アウェー”ながら5回まで0―0の緊迫したゲームを展開。好プレーには敵味方関係なく拍手を送られていた。

 日本は21日(日本時間22日)、今度は“完全アウェー”のドジャースタジアムで準決勝・米国戦に臨む。開催国との大一番で、東京ドームを揺らした5万5000人はじめ日本中の“味方”が遠い地から声援を送っていることを忘れず、今度は侍ジャパンが観衆を飲み込むような旋風を巻き起こして欲しい。

【WBC】小久保監督一問一答 侍、米国に惜敗

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↑アメリカに惜敗し、ベンチでぼう然の小久保監督(左から3人目)ら

 ◆WBC ▽準決勝 日本1―2米国(21日、ロサンゼルス)

 試合後の日本代表・小久保監督のインタビューの概要は以下の通り。

 「ホームが遠い試合だった。投手は本当によく投げた。1番から9番までバリバリのメジャーリーガーで、チームでは3、4番を打っているような相手に本当によく投げた。(打線が)芯で捉えられなかった。少し守りのミスも出たが、責められない。1点が遠かった」

 ―これが準決勝の壁か。

 「準決勝の壁? 一発勝負で、これは非常に難しい戦い。選手は責められない」

 ―1点を争う試合になった。

 「ゼロでは勝てないし、試合が動くところは動く。8回が勝負だと思って行った。形は作ったが、そこでヒットが出るか出ないかは分からない。本当に何度も言うようだがホームが遠かった」

 ―調整面はどうだったか?

 「日程は決められたものでどうのこうの言えない。アメリカに来たら一発勝負で、この雰囲気でやらないといけない」

 ―これまでの戦いは。

 「選手たちには感謝したい。本当に悔しい負けだが、選手たちはよくやったと思う」

名選手かつ名将だった落合氏が「名スカウト」になる日

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↑16年10月、スカウト会議を終えた落合博満GM

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↑14年の新入団選手、(前列左から)石川駿、浜田智博、野村亮介、友永翔太、加藤匠馬(中列左から)井領雅貴、遠藤一星一人あけて山本雅士、金子丈(後列左から)石垣幸大、藤吉優、近藤弘基

 中日GMだった落合博満氏が退団して2か月が過ぎようとしている。選手として史上ただ一人、3度の3冠王に輝き、監督としても中日を球団史上唯一の連覇に導くなど、采配8年でリーグ優勝4度、日本一1度を達成した。希代の名選手であり名将であった事実は議論を待たない。

 しかしGMとしてはどうだったか。

 他球団のある編成担当者は「落合さんはGMというより『首都圏社会人および一部の大学担当スカウト』という肩書が実情に合っていたね」と話す。

 では「スカウト」としての眼力はいかほどだったか。


 果たして、落合氏が自身の目で見て獲得した2014、15年ドラフト組―いわゆる“落合チルドレン”―は、ほとんど1軍に定着できなかった。昨季、15年ドラフト4位の福敬登投手(JR九州出身)が27試合に登板したのが“出色”と言えるか言えないかという程度。2勝を挙げた同年1位の小笠原慎之介投手(東海大相模高出身)は、スカウト陣の猛プッシュで指名した選手であり、高卒選手の獲得に否定的だった落合氏は関わっていない。

 球団が落合氏の退団を発表したのは昨年12月20日。翌朝のスポーツ各紙は同氏の功罪について検証し、スポーツ報知も「即戦力として獲得した社会人出身選手は戦力にならず、スカウトとしての能力には疑問符がついた」と書いた。球団首脳も、即戦力ルーキーが額面通りの働きを見せなかったことがチームの低迷に直結したと認めている。つまり落合氏が「名スカウト」たり得なかったことが、自身の退団の一因になったと言えるだろう。

 そのことを猛烈に悔やむ選手がいる。「落合さんの野球が勉強したくて『中日以外なら社会人(JX―ENEOS)に残ります』という話もした」という14年ドラフト4位の石川駿内野手だ。2年間で1軍出場は2試合にとどまり、いまだ初安打も記録していない。「僕は責任を感じるというレベルにも達していない。それでも、僕にできることは結果を出すことしかない。(落合氏の名誉挽回?)そのためにやるわけじゃないですが、最終的にそういう結果になれば一番いい」と3年目の変わり身を誓った。

 石川と同期入団でドラフト7位の遠藤一星内野手(東京ガス出身)も同意見だ。昨季は開幕スタメンの座をつかんだが、右肩痛などの影響で27試合の出場に終わった。落合氏の退団について「僕だけじゃなく、このチームに属しているみんなが責任を感じているはず」としながらも、「この世界に入れたのは落合さんがいたから。それだけのことをしてもらった恩があるのに、恩返しできてないのが…」と強い自責の念にとらわれている。

 現在、石川は絶好調。持ち前の勝負強さと思い切りの良さを発揮して初の開幕1軍切符をつかみつつある。遠藤も俊足と巧打を武器に正左翼手の座に近づいている。走力とパンチ力を併せ持つ15年ドラフト6位・石岡諒太内野手(JR東日本出身)もブレイクを予感させるパフォーマンスを見せている。

 彼ら落合チルドレンの活躍は、昨季19年ぶりの最下位に終わった中日の浮上に必要不可欠。そして彼ら自身が願うように、名選手かつ名将だった落合氏が「何だかんだ言って名スカウトでもあった」と再評価される道につながっていく。

日本代表が負けた

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日本代表が負けた。

本当に気が狂いそうなぐらい悔しさでやりきれないです。

今度は絶対に優勝するって感じで応援してきたから日本代表の負けは気が狂いそうなぐらいに気分が悪い。

しかしながら日本代表も良く戦ったと思います?

俺の祖国 日本よ!どうかアメリカに溶けないでくれ!
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