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“無双”スライダー通用せず。ロッテ成田翔が中日・小笠原、福浦とサブローから学んだ「ストレートの重要性」

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プロの高い壁を痛感

 夢と希望を抱いてスタートしたプロ1年目のシーズンが、まもなく終わろうとしている。イースタンリーグで7試合に出場し0勝0敗、防御率6.00。期待の左腕として秋田商業高校からドラフト3位で入団をしたルーキーの成田翔投手にとっては歯がゆい結果が残った。

「プロの高い壁に阻まれました。自分の思っていたことができなかった。技術的にも体力的にも足りなかったですね。すべてにおいて自分が甘かった」

 6月18日の東京ヤクルト戦(戸田)でイースタンリーグ公式戦初登板。じっくりと体を作り、満を持してのプロ初先発だった。勝ちこそつかなかったものの5回を投げて被安打2、無失点。文句のつけようのない結果だったが、本人にとっては思い描いている投球とはいえなかった。高校時代に「無双」と言われてきたスライダーで空振りがとれない。成田にとっての代名詞でもあった自慢の伝家の宝刀は、ことごとくバットに当てられた。ボール球は見逃された。イメージとは違う感覚に、強い危機感を抱いた。結果的に今季、イースタンリーグで87人の打者と対峙し、三振は9個。スライダーで空振り三振を取れたのはたったの1度だけ。これがプロのレベル。壁の高さだった。

「高校の時は誰もがスライダーに手を出してくれた。それが今シーズン、ここまで1度だけですからね。それが現実。いろいろとレベルアップをしないといけないということです」

大ベテランがバットで伝えたメッセージ

 8月には夏バテも襲った。体重は一時、6キロほど落ちた。左ひじも炎症を起こし、ノースロー調整を余儀なくされた。その間に同じく高校を卒業してプロの門を叩いた選手たちが次々と結果を出していった。マリーンズに同期入団をしたドラフト1位ルーキーの平沢大河内野手も8月17日の楽天戦でプロ初ヒットを記録。その後も初長打、初打点と記録を重ねていった。ただ、野手ということでそれほど意識はしなかった。一番、気になっていたのはドラゴンズにドラフト1位で入った小笠原慎之介投手だった。
 
「同じ左投手ですし、高3夏の甲子園で、向こうは全国制覇。高校ジャパンでも同じチームでプレーをした。ずっと気にしていた」

 9月4日のジャイアンツ戦(東京D)。小笠原が一軍でプロ初勝利を収めた。ニュースで知ると悔しさがこみ上げてきた。家族からは、初勝利後のなにかのインタビューで小笠原が「成田のほうが先に(一軍で)勝つと思っていた」とコメントをしていたと聞かされた。さらに悔しくなった。本人にはメールで「おめでとう」と短い祝福のコメントを送った。ただ、「そっちの調子はどうなの?」という戻ってきたメールに対して、あやふやな返事をしてしまった。まだファームでも未勝利。自分の事を問われるのが嫌だった。

「彼とボクの一番の差はストレート。彼はストレートが通用していた。それがあって変化球が生きる。それと気持ちですかね。彼には気持ちの強さを感じる。プロのレベルや環境にも動じない強さですよね」

 ライバルのピッチングに、投球の基本であるストレートを磨くことの大事さを再認識した。ずっと感じていることでもあり、周囲からも言われていたことだった。左ひじの炎症が完治した8月下旬のロッテ浦和球場。フリー打撃で実戦復帰した際に二軍調整中のベテラン打者2人がわざわざ打席に立ってくれた。マリーンズのレジェンドである福浦和也内野手とサブロー外野手相手の実戦形式のピッチング。いとも簡単に打ち返され、スタンドインする打球に一流打者の凄みを感じ取った。なによりも、大先輩たちが自分のことを気にして、バットを振ってくれたことが身に染みた。2人から言われていた言葉があった。

「ストレートを磨けよ」――それを身を持って教えてもらった気がした。忘れられない出来事だ。

2年目の飛躍へ

「投手にとって生命線はストレート。それが良くないと他の球も生きない。それを磨いて、スライダー、チェンジアップの精度も上げたい。これから来年までにその課題に取り組んでいきたいと思います。そのために努力をするしかない。練習をするしかない。あの日、それをわざわざバットで教えてもらったのだと思います」

 今、成田はレベルアップした自分を作るために妥協なき日々を送っている。上半身、下半身、腕と3日に分けて週6回ウエイトをすることを日課にしている。休みの日も意識的にストレッチを行う。練習日は全体練習終了後もブルペンに向かい、フォームのチェックを繰り返した。これから宮崎県でのフェニックスリーグ、千葉県鴨川市での秋季キャンプとスケジュールは進むが、行うべき事は分かっている。直球を磨き、変化球の精度を上げて、来るべき2年目に挑む。

 9月1日。いろいろと気にかけてくれたサブロー外野手が22年間の現役生活に別れを告げる引退会見を行った。翌日、ロッテ浦和球場に現れた大先輩に挨拶をした。よく声をかけてもらった。助言をもらった。野手と投手。ポジションが違いながらも気にかけてもらったことがうれしかった。「お疲れ様でした。ありがとうございました」と頭を下げると、「期待しているよ。頑張れよ」と笑顔で握手を求められた。同じように高校を卒業してプロ入りして長い間、闘い続けた大先輩の言葉が心に響いた。いつか自分もマリーンズの引っ張れるような選手になりたい。自分に誓った。

 初めて味わった挫折。悔しさに包まれたプロ1年目がまもなく終わる。だが今は、不思議とそれらの日々を前向きに振り返られる自分がいる。いろいろな思いが交差した序章は終わる。周囲の大きな期待に応えるべく背番号「41」の長い伝説がここから始まる。

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