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プロ野球ニュース 今日は多めに記載しているぜ。ジャイアンツは優勝を逃したがクライマックスで巻き返しを狙うぜ。 頑張れジャイアンツ

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【巨人】2位確保へ全体練習!阿部、村田ら主軸に内田コーチが打撃指導 ↓

↑内田打撃コーチ(左)から指導を受ける阿部

 巨人が12日、ジャイアンツ球場で全体練習を行い、約1時間半にわたって打撃練習などで汗を流した。

チームは14日から2位確保をかけた11連戦に臨む。10日の広島戦では優勝を許したが、11日の同カードでは打線が12安打8得点と機能して大勝。悪い流れを引きずることなく連戦に入ることができる。この日、阿部、村田ら主軸に身ぶり手ぶりを交えながら打撃指導を行った内田打撃コーチは、「全員が自分のできることをやってくれればいい。良い形でカープとまた(クライマックスシリーズで)できるように、一戦必勝でチーム一丸となって戦えれば」と打線に期待を込めた。


“北の更生施設”北海道日本ハム――どんなワケあり選手も受け入れ、一流に育成する球団としての魅力 ↓

最大11.5あったゲーム差をひっくり返し、2連勝で王者・福岡ソフトバンクを抜いて首位に浮上した北海道日本ハム。毎年優勝戦線に顔を出すその強さの原動力といえば、「スカウティングと育成」というフロント理念に他ならない。

◆“北の更生施設”、その由来は?


「獲れる選手ではなく、獲りたい選手にいく」「その年のナンバーワンにいく」という素晴らしい志。筆者は35年来の日ハムファンなのだが、そうせざるを得ない事情も知っている。日ハムはとにかく金がない。FA戦線には縁がないし、マネーゲームなど別世界のお話。育成選手もいないし、3軍もない。ましてや松坂を○年○億で買う余裕なんて、どこにもない。つまりトレードを含めたスカウティングと育成しか、選手を集める手がないのだ。

 そのため、「素行不良・練習嫌い」といった悪評のある“ワケあり”にも果敢に手を挙げる。他球団がパスした選手を獲得し、そして成績・人格ともに一流選手に育て上げ、他球団を唖然とさせる日ハムフロント。そこで付いたあだ名が“北の更生施設”。他球団ファンは嫌味半分でそう呼ぶが、僕のような日ハムファンからすれば、これはもはや称号だ。ではどんな“ワケあり”選手が、一流選手に“更生”していったのか。実例を挙げて紹介したい。

◆ダルを皮切りにし、二岡・林トレードで“北の更生施設”が決定的に


 まずは05年入団のダルビッシュ有。高校球界では屈指の好投手とされながらも「ケガがち」「練習嫌い」「性格に難あり」などの噂がたち、それに追い打ちをかけるように喫煙姿がスクープされてしまう。他球団関係者は「それみたことか」と思ったに違いない。しかし、当時の佐藤義則投手コーチの教えにもともとの才能が開花。その後の活躍は誰もが知るところである。ワケあり選手でもスカウティングし、一流に育成する。そういった意味では、北の更生施設第1号はダルビッシュなのかもしれない。

 そして、そんなファイターズの特性を一気に知らしめたのが08年、二岡・林両選手の日ハムトレードである。二岡智宏は御存知、山本モナとのスキャンダルが発覚。こちらがあまりにも有名で陰に隠れがちだが、林昌範もファンに送ったイチモツ写メが週刊誌にひっそりと流出。主力2人のトレードに世間では「北へ島流し」と言われた。当時の巨人は自軍で「更生させる」のではなく、日ハムを頼ってきたのだ。

 巨人は「スキャンダルで汚れた選手は要らない」と。当時、筆者は「巨人は守ってやらねえのかよ! よし、ウチに来ればいいさ!」と思ったものである。そして林は09年、二岡は09年、12年のリーグ制覇に大きく貢献し、選手として返り咲いたのである。

 こうして日ハムと巨人の両フロントに信頼関係が生まれ(?)、数年。今度は14年の沖縄キャンプで、高橋由伸と矢野謙次がホステスとの乱交写真が週刊誌に。するとそれが当たり前かのように、矢野は日ハムにトレード。当時、巨人では出場機会も減っていた矢野も、今では日ハムの代打の切り札に。お立ち台で叫ぶ、矢野のお決まりのセリフ「ファイターズ最高!」には、様々な意味が込められているのである。


さて生え抜き選手に目を向けると、14年に慶応大からドラ6で入団した白村明弘投手が、なかなかのワケあり。才能はあるものの、とにかく練習嫌いと素行不良は有名で、大学時代には監督から自主休部を勧められ、10か月も謹慎したほど。チームメイトからも

白村が
投げる打たれる
やっぱりな
だってあいつは
練習しないし

 という名句とともに総スカンを食らうという問題児っぷり。それゆえドラフトでも他球団からは手が挙がらず、指名したのは6位での日ハムのみ。名門・慶應では「下位指名ならお断り」という通例があると聞いていたが、白村はよほどの問題児だったのだろう。「それはそうなんですが、この白村を育てていただけるなら」とばかりに、あっさり入団。入団後は改心し、「ちゃんと練習していれば数球団の競合は必至」と言われていた実力が開花。150キロを超える剛球で、近い将来のセットアッパー、クローザーとして期待されている。

 さて日ハムにおいて、ワケあり入団を語るうえで欠かせないのが、08年入団の多田野数人だ。立教大学時代に、アッチ業界のビデオに出演していたことが発覚(本人の名誉のために記しておくが、ビデオに出たことは認めるがアッチ業界の人ではないと本人が明言している)。これにより数球団による争奪戦が予想されていたが、どこも手を挙げず。単身アメリカに渡り、メジャーで活躍するまでに。そして08年に日本球界へ。閉鎖的な日本において、どれだけの好奇の目にさらされたかわからない。そんななか、チームメイトはどのように多田野に接していたのか。

 こんなエピソードがある。09年のCSファイナル、対楽天初戦。緊張高まる試合前、マウンドにナインを集めたムードメーカー・森本稀哲がこう叫んだ。

「実は僕、結婚することになりました! お相手は……」

 ポケットに仕込んでおいた写真を取り出すと、そこに映っていたのは多田野。チームメイトは大爆笑。チームはCSを勝ち抜き、リーグを制覇した。

 陰でコソコソ言うのではなく、こうやってイジられていたということは、多田野はチームメイトに認められ、愛されていた証拠である。脱毛症がほぼ完治しているにも関わらず、「同じ病気に悩む人のために」と今でもスキンヘッドにしている森本稀哲。形は違えど、傷を持つ彼のやさしさに、多田野も救われたに違いない。

 このようにどんなワケあり選手が入って来ても、それを受け入れる土壌がなければ成立しないもの。人間は、やっちまうもの。故・談志師匠のいう「業の肯定」のようなものが日ハムという球団には根底にあり、それこそがこの球団の最大の魅力なのである。



ヘイグ阪神退団 マートンの代役期待も2軍暮らし…新助っ人リストアップへ ↓


阪神がマット・ヘイグ内野手(31)と来季契約を結ばないことが11日、分かった。昨オフ、6年間在籍したマット・マートン外野手(34)の代役として獲得したが、期待された活躍ができず、2度の出場選手登録抹消で構想外が決まった。この日、ヤクルト戦後に都内で球団幹部と金本監督が会食し、来季構想など話し合ったとみられる。新外国人獲得に向けた調査が本格化される。

 安打製造機マートンの代役として期待されたヘイグが、1シーズンで阪神を去ることになった。現在鳴尾浜で調整する助っ人の処遇について、球団はこの日までに戦力外の方針を決定。幹部の1人が「その(退団の)方向です」と明かした。

 米国マイナーで結果を残した独特の打法が日本で成果をあげることはなかった。打撃不振によって4月18日に出場選手登録を抹消されると、2軍で結果を残し、5月19日に再登録。だが1軍で本領を発揮することはなく、6月6日に再び2軍落ち。8月初旬に右肩痛を発症し、屋内トレーニングを続けてきたが、以来完調の兆しはなく、居場所を失った。

 現状は週に数回ティー打撃を行う程度で、2軍のトレーナー陣は屋外トレーニングの再開について「はっきりとしたメドは立っていない」と話す。ヘイグはレギュラーシーズン終了後に帰国し、その後、球団から退団が発表される見込みだ。

 昨季ブルージェイズ傘下3Aバファローで136試合に出場し、打率・338、11本塁打、92打点を挙げ、リーグMVPを獲得。右の内野手に照準を定めていた金本阪神が補強第1弾として獲得したが、マートンの穴は埋まらなかった。1軍で31試合に出場。打率・231、2本塁打、11打点。三塁で4失策を記録するなど、当初から危惧された守備でも精彩を欠いた。

 既に球団は来季戦力補強へ向け、新外国人の獲得調査に動いている。8月中旬には高野球団本部長が渡米し、シーツら駐米スカウトと対話。現地で編集された映像を参考に、同27日に行われた拡大編成会議で米国市場の現状が報告された。今後は金本監督の意向に沿う形で投打の候補を見定める作業を行うが、4番を打てる大砲とクローザーに照準を定めることで、球団内の方向性は一致している。

 この日はヤクルト戦の後、都内で球団幹部と金本監督が会食し、来季の編成について話し合われたもようだ。金本阪神2年目へ向けた新構想が着々と進められる。



【西武】ナベQ“GM”昇格、秋山監督招聘へ一本化 ↓

西武が黄金タッグで常勝軍団復活を目指す。今季限りで退任する田辺徳雄監督(50)の後任に、秋山幸二前ソフトバンク監督(54)の招聘(しょうへい)を最優先に進めていくことが11日、分かった。

 また、渡辺久信シニアディレクター(51)を来季から編成部門トップの“ゼネラルマネジャー(GM)職”に昇格させる可能性も高まった。1980年代後半から90年代にかけて投打で西武を支えた2人を軸に、3年連続Bクラスが決定的となっているチームの再建を図る。

 西武が改革に乗り出す。新監督には秋山氏を招聘(しょうへい)する方針を固めた。潮崎ヘッド兼投手コーチの昇格も検討されていたが、この日、2年ぶりの負け越しが確定し、3年連続のBクラスも決定的な状況に、球団では抜本的な改革が急務と判断。来季9年ぶりのV奪回へ向け黄金期の主力として活躍し、ソフトバンク監督として09年から通算6年で5度のAクラス入り、2度の日本一に輝くなど指導者としての実績も申し分ない秋山氏に白羽の矢を立てた。

 秋山氏は現在野球評論家として活躍中。10日のソフトバンク―西武戦(ヤフオクD)では試合前にグラウンドで両チームの選手にアドバイスを送る姿も見られた。古巣の低迷を気にかけ、現場復帰へも前向きと言われている。球団幹部は「決まっていないことは話せないが(監督として)優勝をされている方だし、パワーもある」とその手腕を高く評価している。

 また13年オフに監督を退いた後、背広組に転身し編成部門を担当していた渡辺SDが“GM”に昇格するプランも同時に進めている。これまでの3年間はドラフト候補や外国人選手獲得へ向け、国内外でスカウティングを主に行ってきた。先月には甲子園で高校野球を視察後に渡米し、今月上旬に帰国したばかりで来季へ向け精力的に動き回っている。役職の呼称は未定だが事実上のGMで、これまでなかった最終決定権を持つことになる。

 2人は現役時代から関係が良好で、補強面や若手育成などは、これまで以上にスムーズに進むことになりそうだ。16度のリーグ優勝に10度の日本一を誇る西武が2人のレジェンドOBを軸に栄光を取り戻す。

 ◆秋山 幸二(あきやま・こうじ)1962年4月6日、熊本県生まれ。54歳。八代高から80年ドラフト外で西武入団。主軸として西武黄金期を支え、94年のダイエー移籍後も2度のリーグ優勝。00年に通算2000安打を達成、02年限りで引退。通算2189試合に出場し打率2割7分、437本塁打、1312打点、303盗塁。05年にソフトバンク2軍監督、07年から1軍野手総合コーチ、09年から監督。11、14年に日本一。選手(91年)と監督(11、14年)で正力賞3度受賞。14年に野球殿堂入り。185センチ、85キロ。右投右打。

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