ブルーノ・サンマルチノさん。当時、胸囲は148センチ、二の腕は51センチと報じられた(1967年)
1967年3月1日、来日したサンマルチノさんは、羽田空港の会見場で若手レスラーをボディースラムのようにかつぎあげるパフォーマンス
プロレスファンにとって、悲しいニュースが飛び込んできた。“人間発電所”の異名を取り、1960年代から長く世界ヘビー級チャンピオンの座に君臨した元プロレスラーのブルーノ・サンマルチノさんが亡くなった。82歳だったという。
80年代後半にプロレスを2年ほど取材した。ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さん、坂口征二さん、星野勘太郎さん、テリー・ファンク、ザ・デストロイヤーなど、子供の頃から憧れた多くのレスラーを取材する機会があったが、サンマルチノさんとは会うことはかなわなかった。だが、テレビやビデオで見て、その雄姿は目に焼き付いており、忘れられないレスラーの一人。何しろ、バディ・ロジャースを破ってWWWF(現WWE)世界ヘビー級王座を獲得したのが、1963年5月17日。筆者が生まれてから5日後のこと。それだけで、勝手に親しみが湧いたものだ。
それにしても、“人間発電所”とは絶妙なニックネームだ。人並み以上のタフネスさとパワーから付けられた異名だが、こうした「別名」を持つレスラーは50~80年代には多かった。しかも、どれも「言い得て妙」なものばかり。いつくか、代表的なものを挙げてみるので、当ててみてください(複数あるものは代表的なもの。当時の異名にはなかなか過激なものもあります。ご容赦を)。〈28〉は90年代ですね。解答はのちほど…。
〈1〉鉄人〈2〉神様〈3〉燃える闘魂〈4〉世界(東洋)の巨人〈5〉鉄の爪〈6〉魔王(白覆面の魔王)〈7〉人間風車〈8〉世界の荒鷲〈9〉不沈艦〈10〉カナダの荒法師〈11〉生傷男〈12〉千の顔を持つ男(仮面貴族)〈13〉南部の麒麟児〈14〉帝王(ニューヨークの、MSGの)〈15〉銀髪鬼〈16〉南海の黒豹(ザ・ドラゴン)〈17〉炎の飛龍(ドラゴン)〈18〉狂乱の貴公子、ネイチャーボーイ〈19〉殺人狂〈20〉密林王〈21〉呪術師〈22〉魔術師〈23〉帝王〈24〉殺人鬼〈25〉殺人台風〈26〉人間魚雷〈27〉超獣〈28〉暴走王〈29〉人間台風〈30〉大巨人、人間山脈〈31〉アラビアの怪人〈32〉スーパーフライ〈33〉狂犬〈34〉革命戦士〈35〉グレートテキサン〈36〉暴走戦士(タッグ名についた異名)〈37〉テキサス・ブロンコ〈38〉金髪狼〈39〉超人〈40〉インドの狂虎
さて、それほどの異名が付くほどのサンマルチノさんを病院送りにして、一躍スターダムにのし上がったのがスタン・ハンセンだった。1976年4月のWWWF世界ヘビー級王座防衛戦。サンマルチノさんは、ハンセンのボディースラムで脳天からマットにたたきつけられ、首を痛めてしまう。さらに得意技ウエスタンラリアート(昭和50年代の新日本プロレスの実況では、こう表現していた。今はラリアットの表現か…)で追い打ちを食らったものだから、レフェリーストップで終えた試合後、2か月ほど入院したという。筆者はハンセンのすさまじさを知っている。
ある日の全日本プロレスの地方巡業。その日もハンセンはセミファイナルにタッグマッチで登場し、大暴れ。リング上だけではなく、場外乱闘でも相手レスラーだけではなく、セコンドや警備についていた若手レスラーもことごとくなぎ倒した。客席のパイプイスを手に取り、さらに一暴れ。記者席で取材していた筆者だが、ハンセンがこちらに向かってくるが見えた。ただ、目の前には超ベテランレスラー(エプロンに立って、相手レスラーからロープにくくりつけられているにもかかわらず、客席に向かってつばを吐くパフォーマンスが有名)が“防御”してくれているから安心していた。
ところが、ハンセンがいよいよ目の前に突進してきた時、そのレスラーはひょい、としゃがんでしまった。席に着いていた筆者は、目の前の人が消えたものだから、その反応で立ち上がってしまった。そこにハンセンが…。あわれ、筆者はパイプイスによる“ウエスタンラリアート”で失神してしまった。実は、ハンセンはかなりの近視で、ふだんは分厚いレンズのめがねをかけていた(ふだんはかなりの紳士で、インタビューでも、当方の稚拙な英語を辛抱強く聞いてくれて、分かりやすい英語で答えてくれた)。試合ではもちろん、めがねを外して裸眼で戦う。ある先輩記者が後で教えてくれた。「タイガー・ジェット・シンも怖いけど、ハンセンの方がもっと怖い。シンは場外乱闘になっても、微妙なところでイスを止める“寸止め”ができるけど、ハンセンはプロレスラーも記者も関係なく襲ってくる」。気がついた時にはハンセンの試合は終わっており、すでにメインイベントが始まっていた…。サンマルチノさんの味わった“不沈艦”(あ、言ってしまった)の恐怖を、身をもって体験したのである(まあ、程度はサンマルチノさんの比ではないが…)。
また伝説のプロレスラーが逝った。のべ11年以上も米国のトップ団体の王者として君臨し、“MSGの帝王”とも呼ばれたサンマルチノさん。5年前にはWWEの殿堂入りを果たしたという。“人間発電所”は“操業”を停止してしまったが、その発した“光”は永遠にともり続けると思う。
さて、先の問題の解答です。30以上答えられたら、昭和プロレス博士、と言っていいかも!?
〈1〉ルー・テーズ〈2〉カール・ゴッチ〈3〉アントニオ猪木〈4〉ジャイアント馬場〈5〉フリッツ・フォン・エリック〈6〉ザ・デストロイヤー〈7〉ビル・ロビンソン〈8〉坂口征二〈9〉スタン・ハンセン〈10〉ジン・キニスキー〈11〉ディック・ザ・ブルーザー〈12〉ミル・マスカラス〈13〉ジャック・ブリスコ〈14〉ボブ・バックランド〈15〉フレッド・ブラッシー〈16〉リッキー・スティムボート〈17〉藤波辰爾〈18〉リック・フレアー〈19〉キラー・コワルスキー〈20〉ターザン・タイラー〈21〉アブドーラ・ザ・ブッチャー〈22〉パット・オコーナー〈23〉バーン・ガニア〈24〉キラー・カール・コックス〈25〉ドン・レオ・ジョナサン〈26〉テリー・ゴディ〈27〉ブルーザー・ブロディ〈28〉小川直也〈29〉ゴリラ・モンスーン〈30〉アンドレ・ザ・ジャイアント〈31〉ザ・シーク〈32〉ジミー・スヌーカ〈33〉ディック・マードック〈34〉長州力〈35〉ドリー・ファンク・ジュニア〈36〉ザ・ロード・ウォリアーズ〈37〉テリー・ファンク〈38〉ニック・ボックウィンクル〈39〉ハルク・ホーガン〈40〉タイガー・ジェット・シン
(記者コラム・谷口 隆俊)