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【独占激白!松井秀喜】〈10〉長嶋監督に断られたサード転向希望:独占激白!松井秀喜

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長嶋監督の前で豪快なフリー打撃を披露した松井(1993年の宮崎キャンプ)

 巨人、ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏(43)=ヤンキースGM付特別アドバイザー=が史上最年少43歳7か月で野球殿堂入りを果たした。日米通算507本塁打を放った松井氏は、史上最多336票を集め、野茂英雄氏の45歳4か月を抜いて、史上最年少で選出された(プレーヤー表彰)。スポーツ報知では、松井氏の殿堂入りを記念して、「独占激白!松井秀喜」を連載する。

 2013年5月に国民栄誉賞をともに受賞した巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(81)=報知新聞社客員=への思いを受賞時の独占インタビューから振り返る。

 ―長嶋監督から若いころに「将来は日本の4番になれ」など具体的に何か言われたことは。

 「まったくないですね。言われて覚えているのは一度だけです。97年のシーズンが終わった後、秋季練習の時でした。『監督、サードやりたいんです』って言ったら『ダメだ』って(笑い)。『おまえにセンターをやらしたいんだ。ジョー・ディマジオのような選手になってほしいんだ』。そう言われました」

 ―そんなにサードがやりたかったんですか。

 「僕にとってはサードの方が面白いですから。高校の時もサードでしたしね。でも、監督の中で僕はサードじゃなかったんですね」

 ―松井さんは今や、長嶋さんと何かと比較される存在です。自分が長嶋茂雄のようになる、あるいはなれる。そう思ったことはありますか。

 「比較されるのは仕方ないし、するのは自由ですが、無理ですね。あの存在にはなれない。というか、誰もなれない。数字で超える人はいても、存在を超えられる人はいない。二度と現れない人間だと、僕は思っています」

 ―引退して長嶋さんとの関係が変わったことはありますか。

 「(国民)栄誉賞の時もそうでしたが、自分から連絡できるようになりました。これは引退してから変わったことです。それまでは、自分からは絶対、連絡できなかった。自分のために時間を取ってもらうのは悪い。そう感じていましたから。ようやく普通に話せるようになりました。僕にとっては、不思議な感じですね」

(聞き手・鈴村 雄一郎)=終わり=

 ◆松井 秀喜(まつい・ひでき)1974年6月12日、石川県生まれ。43歳。星稜高時代、甲子園4度出場。92年夏の甲子園では5連続敬遠され、社会問題にまで発展。高校通算60本塁打。92年ドラフト1位で巨人入団。リーグMVP3度、首位打者1度、本塁打王、打点王各3度獲得。03年にヤンキースへFA移籍し、09年ワールドシリーズで3本塁打を放ちMVP。エンゼルス、アスレチックス、レイズを経て12年限りで現役引退。13年に巨人・長嶋茂雄終身名誉監督とともに国民栄誉賞受賞。15年にヤンキースGM付特別アドバイザー就任。日本通算1268試合、打率3割4厘、332本塁打、889打点。日米通算2504試合、打率2割9分3厘、507本塁打、1649打点。

今日で松井秀喜のインタビュー企画も全て終わりになりましたので見てくれた方々には本当に感謝しております?

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