日本ハム新入団選手歓迎式典に登場したドラフト1位の清宮は集まった約2000人のファンの歓待にタッチで応える(カメラ・泉 貫太)
日本ハムのドラフト1位・清宮幸太郎内野手(18)=早実=が14日、世界的な2大リーダーの精神と技術を取り入れ、将来的な目標を「3冠王」に設定した。この日、千葉・鎌ケ谷の2軍施設で行われた「新入団選手歓迎式典」に参加し、今年の抱負として、松下電器産業(現パナソニック)創業者の故・松下幸之助氏の言葉を紹介。さらに三塁挑戦に向けて、ヤンキースOBのデレク・ジーター氏(43)モデルのグラブを使用していることが判明した。
約2000人のファンを前に、清宮が壮大な目標を掲げた。「将来取りたいタイトル」という質問に、力強く答えた。「やっぱり3冠王は取ってみたい」。どよめく会場をよそに、自信ありげに胸を張った。「まだそんなことを言える立場じゃないけど、夢は大きく持ちたい」と目を輝かせた。
3冠王への道のりの中で、参考とするリーダーの名を挙げた。今季の抱負として、色紙に記したのは「経営の神様」と言われた松下氏の名言である「道」。高校時代に書道の授業で磨いた腕前で達筆な文字を記し、込めた思いを明かした。
「自分に与えられた道が必ずあると思っている。上りもあったり、下りもあったり、狭かったり広かったり、いろんな時がある。でも希望を捨てないで、どんな時があっても自分の信念を貫いて歩んでいこうという思いでこの字にしました」
日本が生んだ、偉大なリーダーの思想に心を打たれた。「道」は、松下電器産業を一代で日本のトップ企業に成長させた松下氏の人生観が記されたもの。大阪市内の父方の実家近くの公園にある記念碑に刻まれていた文字で、「プロ野球に飛び込んでいく身として、すごくいい言葉だなと思った」。プロ入り後に心の支えになってくれる言葉として、8日の入寮時にも自ら記した「道」という字を額に納めて持参していたことを明かした。
もう1人のリーダーも参考にしていた。栗山監督は本職の一塁以外にも三塁、外野の練習をさせる案を明言し、清宮も3種類のグラブを持参して入寮。そのうち、用具提供を受けているローリングス社製の内野用グラブが、ヤンキースの主将として強烈なカリスマ性を放ったジーター氏と同モデルであることが判明した。
同社が清宮に聞き取りを行い用意されたもので、同社関係者は「彼(清宮)が使いやすいものが、たまたまジーターと同型のモデルだった」と説明。この日、ノックなどで使用した清宮も「使いやすい」と好印象だ。今後、ゴールドグラブ賞を5度獲得した名手のグラブさばきはもちろん、常勝軍団のリーダーとしてチームをけん引した姿勢や、紳士的な性格など参考になる部分も多いはずだ。
式典では清水聖士鎌ケ谷市長(57)に転入届を提出。ここから清宮の物語が本格化していく。「道はここから北海道までつながっていると思ってますし、北海道からメジャーの舞台にも続かせないと」。野心を胸に、自分だけの道を歩む。(小島 和之)
◆デレク・ジーター(Derek Jeter)1974年6月25日、米ニュージャージー州生まれ。43歳。92年ドラフト1巡目指名でヤンキース入り。95年にメジャーデビュー。96年新人王となり、2003年にヤ軍の11代目キャプテンに就任。2747試合に出場し、3465安打(メジャー歴代6位)、260本塁打、1311打点。ヤ軍のワールドシリーズ5度の優勝に貢献。自らを犠牲にしても勝利を最優先に戦うプレースタイル、紳士的な性格などから、米球界のカリスマ的存在として絶大な人気を誇った。14年限りで現役引退。背番号「2」はヤ軍の永久欠番になった。
◆松下 幸之助(まつした・こうのすけ)1894年11月27日、和歌山市生まれ。89年4月27日、94歳で死去。松下電器産業(現パナソニック)を一代で築き上げた経営者。「経営の神様」として国内外で功績が語り継がれている。主な名言に「困難な仕事を避けてはいけない。困難な仕事に立ち向かい克服してこそ、真の経営者と言える」。主な著書に「道をひらく」などがある。
日本ハムのドラフト1位・清宮幸太郎内野手(18)=早実=が14日、世界的な2大リーダーの精神と技術を取り入れ、将来的な目標を「3冠王」に設定した。この日、千葉・鎌ケ谷の2軍施設で行われた「新入団選手歓迎式典」に参加し、今年の抱負として、松下電器産業(現パナソニック)創業者の故・松下幸之助氏の言葉を紹介。さらに三塁挑戦に向けて、ヤンキースOBのデレク・ジーター氏(43)モデルのグラブを使用していることが判明した。
約2000人のファンを前に、清宮が壮大な目標を掲げた。「将来取りたいタイトル」という質問に、力強く答えた。「やっぱり3冠王は取ってみたい」。どよめく会場をよそに、自信ありげに胸を張った。「まだそんなことを言える立場じゃないけど、夢は大きく持ちたい」と目を輝かせた。
3冠王への道のりの中で、参考とするリーダーの名を挙げた。今季の抱負として、色紙に記したのは「経営の神様」と言われた松下氏の名言である「道」。高校時代に書道の授業で磨いた腕前で達筆な文字を記し、込めた思いを明かした。
「自分に与えられた道が必ずあると思っている。上りもあったり、下りもあったり、狭かったり広かったり、いろんな時がある。でも希望を捨てないで、どんな時があっても自分の信念を貫いて歩んでいこうという思いでこの字にしました」
日本が生んだ、偉大なリーダーの思想に心を打たれた。「道」は、松下電器産業を一代で日本のトップ企業に成長させた松下氏の人生観が記されたもの。大阪市内の父方の実家近くの公園にある記念碑に刻まれていた文字で、「プロ野球に飛び込んでいく身として、すごくいい言葉だなと思った」。プロ入り後に心の支えになってくれる言葉として、8日の入寮時にも自ら記した「道」という字を額に納めて持参していたことを明かした。
もう1人のリーダーも参考にしていた。栗山監督は本職の一塁以外にも三塁、外野の練習をさせる案を明言し、清宮も3種類のグラブを持参して入寮。そのうち、用具提供を受けているローリングス社製の内野用グラブが、ヤンキースの主将として強烈なカリスマ性を放ったジーター氏と同モデルであることが判明した。
同社が清宮に聞き取りを行い用意されたもので、同社関係者は「彼(清宮)が使いやすいものが、たまたまジーターと同型のモデルだった」と説明。この日、ノックなどで使用した清宮も「使いやすい」と好印象だ。今後、ゴールドグラブ賞を5度獲得した名手のグラブさばきはもちろん、常勝軍団のリーダーとしてチームをけん引した姿勢や、紳士的な性格など参考になる部分も多いはずだ。
式典では清水聖士鎌ケ谷市長(57)に転入届を提出。ここから清宮の物語が本格化していく。「道はここから北海道までつながっていると思ってますし、北海道からメジャーの舞台にも続かせないと」。野心を胸に、自分だけの道を歩む。(小島 和之)
◆デレク・ジーター(Derek Jeter)1974年6月25日、米ニュージャージー州生まれ。43歳。92年ドラフト1巡目指名でヤンキース入り。95年にメジャーデビュー。96年新人王となり、2003年にヤ軍の11代目キャプテンに就任。2747試合に出場し、3465安打(メジャー歴代6位)、260本塁打、1311打点。ヤ軍のワールドシリーズ5度の優勝に貢献。自らを犠牲にしても勝利を最優先に戦うプレースタイル、紳士的な性格などから、米球界のカリスマ的存在として絶大な人気を誇った。14年限りで現役引退。背番号「2」はヤ軍の永久欠番になった。
◆松下 幸之助(まつした・こうのすけ)1894年11月27日、和歌山市生まれ。89年4月27日、94歳で死去。松下電器産業(現パナソニック)を一代で築き上げた経営者。「経営の神様」として国内外で功績が語り継がれている。主な名言に「困難な仕事を避けてはいけない。困難な仕事に立ち向かい克服してこそ、真の経営者と言える」。主な著書に「道をひらく」などがある。