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カープ新井貴浩、打撃センスなしと評された男が2000本安打――偉業を支えた強固な礎

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武勇伝はいつも「条件付き」で語られてきた。
 広島工業高時代は旧・広島市民球場の外野スタンドの看板付近まで打球を飛ばす超・高校級のパワーを誇った。

 駒澤大では、打球の飛距離のみならず、「打った瞬間のバットの音は半端なものではなかった」とかつてのチームメイトも証言した。
 しかし、彼らは、武勇伝に必ず一言付け加えた。「ただし、バットに当たれば……」。
 駒澤大ではクリーンアップを務めたものの、通算本塁打はわずか2本であった。1998年、ドラフト6位で入団した大砲は「将来の」主砲候補として期待された。

 入団当初の打撃コーチだった●●はユーモアを交えて振り返る。

「体は大きくて力があって、ボールを遠くに飛ばす、だけの選手でした。格好から、タイミングから、センスは感じませんでした」

 ただ●●は、新井のとてつもなく強い武器を見つけていた。「練習をいくらやっても故障しませんし、持ち前の明るさで『もうダメだ』と言いながらもついてきました」。打球を遠くに飛ばす力と厳しい練習に耐えうる体力である。

 指導方針は決まった。理論や理屈でなく、数多くバットを振らせる。そして、体で覚えさせることにした。

「タイミングからして衝突のような打ち方で間合いが取れませんでした。少しでも間合いが取れるようにしたいと思いました」

努力の男

 首脳陣は実に様々な練習を課した。200球近く入った箱を3つ用意して、連打でスイングさせた。無呼吸でスイングをさせた。レンガを置いて、傾斜をつけた状態でバットを振らせた。同年代の選手と並んで練習させ、ハートにも刺激を与えた。

 ●●はその狙いを説明する。「バッティングは下半身が大事です。でも、どうしても上体で打ちにいってしまうところがありました。だから、練習の中で体(上体)を疲れさせ、そこで下半身の動きを覚えさせました」

 すると、新井はバットのヘッドは走るようになり、下半身を使った打撃ができるようになっていった。
 しかも、苦労してつかんだ技術は「本物」である。同年代に、ともに汗を流した●●●●(●●●●●●●・●●コーチ)もしみじみと語る。

「新井は決して器用ではありませんでした。だから、こういう練習の中でも手を抜くことができませんでした。僕なんかは、目を盗んで抜くところもあったのですが、新井はそれができませんでした。でも、今思えば、それが良かったのだと思います。体が強いから、練習が継続できました」

 芸術的なスイングや天性ばかりが才能ではない。泥臭く、がむしゃらに、これも堂々たる才能である。
 努力と苦悩と出会い。これこそが、2000本という偉業を支えた礎である。しかも、この礎はどこまでも強固である。
 2000本は通過点。新井貴浩のプレーを「条件付き」で語るものは、もう、どこにもいない。
my message
新井貴浩の素晴らしいバッティングセンスは最初からでは無かったんですね。
やっぱり、新井貴浩の活躍がカープの優勝には必要だね。
by blog described person

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