↑引退セレモニーで泣きじゃくる大仁田厚
プロレス者には避けて通れない10月末だった。21日は、元プロレスラーのアントニオ猪木参院議員(74)が東京・両国国技館で生前葬「INOKI ISM・2~アントニオ猪木『生前葬』」~」(主催・コーラルゼット)を開催し、31日には元参院議員でプロレスラーの大仁田厚(60)が、東京・後楽園ホールで7年ぶり7度目の引退試合「さよなら大仁田、さよなら電流爆破 大仁田厚ファイナルツアー」最終戦「大仁田厚ファイナル 後楽園ホール大会・引退式」を挙行した。
その間の27日には、久しぶりに来日した“仮面貴族”ミル・マスカラス(75)が、後楽園ホールで行われたドラディション「スカイハイ・ドラゴンツアー」に出場し、藤波辰爾(63)、武藤敬司(54)と夢のトリオを結成。トップロープからのダイビングボディアタックを披露したのだが、それは置いておくとしよう。
猪木と大仁田(敬称略)が、いまだに世間を騒がせているのだ。猪木と比べられて大仁田は喜ぶだろうが、猪木は嫌がるに違いない、と思いながら書き進める。
猪木の生前葬は、本人が「オレも何だか分かっていない」と言うほどの奇天烈(きてれつ)なイベントだった。7000人(満員札止め)のファンが参列したセレモニーは、リング上に白い棺おけが置かれ、弟子の藤原喜明(68)が数珠を手に「般若心経」を読経。追悼の10カウントゴングが鳴らされた後、「千の風になって」を熱唱しながら猪木が入場した。棺おけをパンチでたたき割り、魂(赤い球)取り出すパフォーマンス。創作したという「姥捨て山」の小咄を披露した。山に捨てて死んだと思っていた母が、カラスを食べて生きていたというネタだった。
「昔はこの両国でもどこでも札止めになったんですが、格闘技界が非常に低迷しています。何とかスターが生まれてきてこれから。外国の選手、日本の選手に限らず、私も育成に励んでいきたいと思います。いい弟子たちが、次の弟子たちに遺伝子を継いでもらいたいと思います」と猪木はあいさつし、「1、2、3ダーッ」。テーマ曲「炎のファイター」が流れる中、なぜか2回目の「1、2、3ダーッ」を敢行した。
7年ぶり7度目の引退となった大仁田も、超満員札止めの2000人の前で、型破りな儀式を行った。引退試合を前に引退式を行い「すいません。恒例では最後に10カウントゴングをやるんですけど、今、現状でできる胸一杯のプロレスをやりますので、すいません、試合終わった後、暗くなるの嫌なんで、10カウントゴング、今やってください」と言って場内を沸かせた。
これには全日本プロレス時代の最初の引退式(1985年1月3日・後楽園ホール)から取材している元デイリースポーツの宮本久夫記者も「そんなの聞いた事がないよ」と爆笑。知りすぎているベテラン記者をも驚かせるのだから、大したもんだ。
母・松原巾江さん(84)の姿を目にして大仁田は泣いた。場内から「泣くなー」とヤジが飛んだが、「泣いてない」と、村田諒太(31)=帝拳=がWBA世界ミドル級王座を奪取した時のような時事ネタ風に対応した。そして「いや、おふくろが来ると泣くんだよ」と言って、また泣いた。いつもの“大仁田泣き”とは違うリアルな嗚咽(おえつ)を感じることができた。
引退試合「大仁田厚思い出の聖地・後楽園ホール最期のデスマッチ!!ストリートファイト トルネードバンクハウスデスマッチ」(6人タッグ)の相手は、猪木の弟子で“最後の闘魂継承者”と呼ばれる藤田和之(46)だった。藤田は同じく猪木の弟子であるケンドー・カシン(49)と「炎のファイター」(オーケストラ・バージョン)のテーマ曲で入場した。ここで猪木と大仁田がつながった。
藤田は、大仁田のイス攻撃、赤い毒霧のフルコースを浴び、最後の“邪道”継承者となった。藤田とカシンは、猪木が創設したIGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)を離脱し“はぐれIGF軍団”を名乗っていたが、今ではIGF自体が猪木から見放されている。大仁田の引退試合から一夜明けた11月1日、猪木が去ったIGFが新たに旗揚げする新ブランド「東方英雄伝」の旗揚げ戦(16日・後楽園ホール)に藤田とカシンが参戦することが発表された。まさに“邪道”極まれり。猪木よりも大仁田よりも彼らはスゴいのかもしれない。(酒井 隆之)
プロレス者には避けて通れない10月末だった。21日は、元プロレスラーのアントニオ猪木参院議員(74)が東京・両国国技館で生前葬「INOKI ISM・2~アントニオ猪木『生前葬』」~」(主催・コーラルゼット)を開催し、31日には元参院議員でプロレスラーの大仁田厚(60)が、東京・後楽園ホールで7年ぶり7度目の引退試合「さよなら大仁田、さよなら電流爆破 大仁田厚ファイナルツアー」最終戦「大仁田厚ファイナル 後楽園ホール大会・引退式」を挙行した。
その間の27日には、久しぶりに来日した“仮面貴族”ミル・マスカラス(75)が、後楽園ホールで行われたドラディション「スカイハイ・ドラゴンツアー」に出場し、藤波辰爾(63)、武藤敬司(54)と夢のトリオを結成。トップロープからのダイビングボディアタックを披露したのだが、それは置いておくとしよう。
猪木と大仁田(敬称略)が、いまだに世間を騒がせているのだ。猪木と比べられて大仁田は喜ぶだろうが、猪木は嫌がるに違いない、と思いながら書き進める。
猪木の生前葬は、本人が「オレも何だか分かっていない」と言うほどの奇天烈(きてれつ)なイベントだった。7000人(満員札止め)のファンが参列したセレモニーは、リング上に白い棺おけが置かれ、弟子の藤原喜明(68)が数珠を手に「般若心経」を読経。追悼の10カウントゴングが鳴らされた後、「千の風になって」を熱唱しながら猪木が入場した。棺おけをパンチでたたき割り、魂(赤い球)取り出すパフォーマンス。創作したという「姥捨て山」の小咄を披露した。山に捨てて死んだと思っていた母が、カラスを食べて生きていたというネタだった。
「昔はこの両国でもどこでも札止めになったんですが、格闘技界が非常に低迷しています。何とかスターが生まれてきてこれから。外国の選手、日本の選手に限らず、私も育成に励んでいきたいと思います。いい弟子たちが、次の弟子たちに遺伝子を継いでもらいたいと思います」と猪木はあいさつし、「1、2、3ダーッ」。テーマ曲「炎のファイター」が流れる中、なぜか2回目の「1、2、3ダーッ」を敢行した。
7年ぶり7度目の引退となった大仁田も、超満員札止めの2000人の前で、型破りな儀式を行った。引退試合を前に引退式を行い「すいません。恒例では最後に10カウントゴングをやるんですけど、今、現状でできる胸一杯のプロレスをやりますので、すいません、試合終わった後、暗くなるの嫌なんで、10カウントゴング、今やってください」と言って場内を沸かせた。
これには全日本プロレス時代の最初の引退式(1985年1月3日・後楽園ホール)から取材している元デイリースポーツの宮本久夫記者も「そんなの聞いた事がないよ」と爆笑。知りすぎているベテラン記者をも驚かせるのだから、大したもんだ。
母・松原巾江さん(84)の姿を目にして大仁田は泣いた。場内から「泣くなー」とヤジが飛んだが、「泣いてない」と、村田諒太(31)=帝拳=がWBA世界ミドル級王座を奪取した時のような時事ネタ風に対応した。そして「いや、おふくろが来ると泣くんだよ」と言って、また泣いた。いつもの“大仁田泣き”とは違うリアルな嗚咽(おえつ)を感じることができた。
引退試合「大仁田厚思い出の聖地・後楽園ホール最期のデスマッチ!!ストリートファイト トルネードバンクハウスデスマッチ」(6人タッグ)の相手は、猪木の弟子で“最後の闘魂継承者”と呼ばれる藤田和之(46)だった。藤田は同じく猪木の弟子であるケンドー・カシン(49)と「炎のファイター」(オーケストラ・バージョン)のテーマ曲で入場した。ここで猪木と大仁田がつながった。
藤田は、大仁田のイス攻撃、赤い毒霧のフルコースを浴び、最後の“邪道”継承者となった。藤田とカシンは、猪木が創設したIGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)を離脱し“はぐれIGF軍団”を名乗っていたが、今ではIGF自体が猪木から見放されている。大仁田の引退試合から一夜明けた11月1日、猪木が去ったIGFが新たに旗揚げする新ブランド「東方英雄伝」の旗揚げ戦(16日・後楽園ホール)に藤田とカシンが参戦することが発表された。まさに“邪道”極まれり。猪木よりも大仁田よりも彼らはスゴいのかもしれない。(酒井 隆之)