一軍でなくとも久々の快投だった。北海道日本ハムファイターズ(以下、日本ハム)の斎藤佑樹投手が4月22日のイースタン・リーグ楽天戦(楽天イーグルス泉練習場)に先発。1失点で完投し、二軍で今季初勝利。ここまで二軍でも0勝3敗、防御率6.00と散々だったが、今季6試合目の登板でようやく白星をつかんだ。
インサイドへの直球、そして落差の大きいフォークも冴え渡った。登板後に本人が「全部の球種でストライクが取れた」と振り返ったように、8回までわずか1安打2四球でスコアボードに「0」を並べ続けた。ただし内容が良かったと言っても、ファームの試合。次に予定される29日のイースタン・西武戦(西武プリンスドーム)で好結果を残し、一軍昇格の足がかりを作れるかが今後の注目ポイントとなる。
とはいえ、その斎藤も今季でプロ6年目。もういい加減、一軍で活躍しないと「解雇」の二文字もチラついてきそうなものだ。日本ハムに入団した2011年のルーキーイヤーにマークした6勝(6敗)、防御率2.69が、いずれも自己最高の成績。以降は2012年・5勝8敗(防御率3.98)、2013年・0勝1敗(防御率13.50)、2014年・2勝1敗(防御率4.85)、2015年・1勝3敗(防御率5.74)と苦しい内容が続いている。
プロ2年目の12年シーズン終了後に右肩関節唇損傷と診断され、右肩に大きな不安を抱えた時期があったとはいえ、それを差し引いても、この体たらくは余りにも寂し過ぎる。かつて学生野球時代に甲子園、神宮球場を沸かせた「ハンカチ王子」の姿は残念なことに、どうひいき目に見ても今の斎藤には感じられない。
それでも日本ハムは斎藤に「猶予」を与えるつもりのようだ。段々と下降気味になっているとはいえ、やはり「佑ちゃん」の人気はいまだ健在。日本ハムの中でプロ野球ファンだけでなく一般層にも、その名が広く知られている選手は斎藤以外にそう多くは見当たらない。主力中の主力である二刀流・大谷翔平投手やチームの主砲・中田翔内野手の名前を聞いてピンと来なくても「斎藤佑樹なら知ってるよ」と答える人は言うまでもなく相当に多いはず。斎藤の持つ一般的認知度は球団側から見ても、やはり捨て難いものがある。
日本ハムが描き続けるシナリオ
こうした側面から企業経営を考える上で、日本ハムにとって斎藤はまだまだ魅力的な所属選手であることは間違いない。その斎藤については現状で二軍暮らしが大半であるにもかかわらず、球団内からは実際のところ「さすがに大谷と中田の2トップには及ばないが、グッズの売り上げは他の主力クラスとそん色ないかそれ以上」との証言もある。
グッズ収入のように目に見える形のものだけでなく、他の部分で反映される莫大なCM効果も斎藤にはあるらしい。球団関係者によると「あの佑ちゃんがいる球団=日本ハム」として認知している一般層の人が世間には相当数でまだ存在するとのこと。その具体的な人数も非公開レベルながら球団内部でデータ化されて保管されており、これは球団幹部たちの間でも無視できない事実として受け止められているという。
例えば、野球にそれほど詳しくなくても「佑ちゃんは一軍ではないけれど、彼がいるチームだから日本ハムの試合を応援しに行ってみようか」と思うような人も中にはいるということだ。これは逆に言えば、かつての「ハンカチフィーバー」の名残が世間に残っている証明でもある。そう考えると、やはり斎藤佑樹という選手がアマチュア時代に一世風靡(いっせいふうび)した“残像”は人々の脳裏にいまだ焼き付いているのだろう。
日本ハムは、その“残像”がプロでリアルに蘇ることを本気で期待している。すでにプロ入りから5年もの歳月が経過しながら、ここまでさしたる成績を残せていない。だが我慢に我慢を重ねた末にチームの戦力となって眠り続けていた才能が開花すれば、先に挙げた「佑ちゃん」を知る一般層を中心に爆発的人気が再燃する――。それが日本ハム側の描き続けるシナリオだ。
究極のプラス思考で前に進む
斎藤は、今年6月で28歳を迎える。もし今後、安定して結果を残し始めるとすれば俗に言う「遅咲き」だ。日本プロ野球界において、遅咲きの投手は過去何人かいる。近年でいえば、チームメートの日本ハムの吉川光夫もその1人に挙げられるだろう。
奇しくも斎藤と同学年だが、プロ入りは吉川のほうが4年早い。広陵高校から2011年のドラフト1位で入団したが、プロ5年目の2011年シーズンまでは3年連続白星なしでルーキーイヤーの4勝がマックス。しかし翌2012年に14勝、防御率1.71で初タイトルも獲得し、プロ6年目にして長いトンネルを抜け出してブレイクした。
吉川のように高卒入団ではなく、社会人からのプロ入りで即戦力クラスと言われながらも才能を完全開花させるまで時間がかかった投手もいる。阪神のベテラン左腕・能見篤史は2004年ドラフトの自由獲得枠で大阪ガスから入団したものの、2008年までシーズン最多は4勝止まり。しかし30歳を迎えたプロ5年目の2009年シーズンに、13勝(防御率2点台)をマークし才能を開花させた。
斎藤は残念ながら吉川や能見のように「これぞ」という何か1つの武器を持っているわけでもなく、常に抜群の制球力を発揮するタイプでもない。しかし過去にも当記事で書いたが、自分の置かれた状況を冷静に見極め、たとえ窮地に追い込まれても単に落ち込むのではなく究極のプラス思考で前に進もうとすることができる選手だ(関連記事)。いい意味で「スーパーKY」と評してもいいかもしれない。これに同調するように斎藤を入団当時から知る球団関係者も次のように「佑ちゃん」に対する本心を打ち明けた。
「これだけ注目されて5年以上も結果が出せないでいたら、普通の神経の持ち主ならば『辞めさせてください』と言って来ても不思議じゃない。それでも彼はひたすらマイナスのことを考えないでいるでしょう。ボコボコに打ち込まれ、周りからどんなに叩かれようとも、それを糧として次に進もうとする。あの精神力はハンパじゃない。
我々は彼に何かスイッチのようなものが入ることを期待しているのです。それが、どういうタイミングになるのかは分からないですけどね。そういう遅咲きのチャンスはきっと来ると思っています。だからこそ突然、忘れたころに大ブレイクするかもしれないと思わずにはいられないのです」
日本ハムが斎藤をクビにしない理由は何となく理解できた。しかしながら、いくら何でもそれに延々と甘え続けるわけにはいかないだろう。プロ6年目の斎藤には今年こそ誰もが納得する結果を出して欲しい。
my message
今年は佑くんは背水の陣。
やっぱり、今年活躍出来ないと戦力外になる事は覚悟だ。
マーくんと比べたくないが佑くんは佑くんだからさ。
比べたら可哀想だよ。
佑くん、頑張ろうな。
佑くんはまだまだ止めるには早すぎるよ。
by blog described person
インサイドへの直球、そして落差の大きいフォークも冴え渡った。登板後に本人が「全部の球種でストライクが取れた」と振り返ったように、8回までわずか1安打2四球でスコアボードに「0」を並べ続けた。ただし内容が良かったと言っても、ファームの試合。次に予定される29日のイースタン・西武戦(西武プリンスドーム)で好結果を残し、一軍昇格の足がかりを作れるかが今後の注目ポイントとなる。
とはいえ、その斎藤も今季でプロ6年目。もういい加減、一軍で活躍しないと「解雇」の二文字もチラついてきそうなものだ。日本ハムに入団した2011年のルーキーイヤーにマークした6勝(6敗)、防御率2.69が、いずれも自己最高の成績。以降は2012年・5勝8敗(防御率3.98)、2013年・0勝1敗(防御率13.50)、2014年・2勝1敗(防御率4.85)、2015年・1勝3敗(防御率5.74)と苦しい内容が続いている。
プロ2年目の12年シーズン終了後に右肩関節唇損傷と診断され、右肩に大きな不安を抱えた時期があったとはいえ、それを差し引いても、この体たらくは余りにも寂し過ぎる。かつて学生野球時代に甲子園、神宮球場を沸かせた「ハンカチ王子」の姿は残念なことに、どうひいき目に見ても今の斎藤には感じられない。
それでも日本ハムは斎藤に「猶予」を与えるつもりのようだ。段々と下降気味になっているとはいえ、やはり「佑ちゃん」の人気はいまだ健在。日本ハムの中でプロ野球ファンだけでなく一般層にも、その名が広く知られている選手は斎藤以外にそう多くは見当たらない。主力中の主力である二刀流・大谷翔平投手やチームの主砲・中田翔内野手の名前を聞いてピンと来なくても「斎藤佑樹なら知ってるよ」と答える人は言うまでもなく相当に多いはず。斎藤の持つ一般的認知度は球団側から見ても、やはり捨て難いものがある。
日本ハムが描き続けるシナリオ
こうした側面から企業経営を考える上で、日本ハムにとって斎藤はまだまだ魅力的な所属選手であることは間違いない。その斎藤については現状で二軍暮らしが大半であるにもかかわらず、球団内からは実際のところ「さすがに大谷と中田の2トップには及ばないが、グッズの売り上げは他の主力クラスとそん色ないかそれ以上」との証言もある。
グッズ収入のように目に見える形のものだけでなく、他の部分で反映される莫大なCM効果も斎藤にはあるらしい。球団関係者によると「あの佑ちゃんがいる球団=日本ハム」として認知している一般層の人が世間には相当数でまだ存在するとのこと。その具体的な人数も非公開レベルながら球団内部でデータ化されて保管されており、これは球団幹部たちの間でも無視できない事実として受け止められているという。
例えば、野球にそれほど詳しくなくても「佑ちゃんは一軍ではないけれど、彼がいるチームだから日本ハムの試合を応援しに行ってみようか」と思うような人も中にはいるということだ。これは逆に言えば、かつての「ハンカチフィーバー」の名残が世間に残っている証明でもある。そう考えると、やはり斎藤佑樹という選手がアマチュア時代に一世風靡(いっせいふうび)した“残像”は人々の脳裏にいまだ焼き付いているのだろう。
日本ハムは、その“残像”がプロでリアルに蘇ることを本気で期待している。すでにプロ入りから5年もの歳月が経過しながら、ここまでさしたる成績を残せていない。だが我慢に我慢を重ねた末にチームの戦力となって眠り続けていた才能が開花すれば、先に挙げた「佑ちゃん」を知る一般層を中心に爆発的人気が再燃する――。それが日本ハム側の描き続けるシナリオだ。
究極のプラス思考で前に進む
斎藤は、今年6月で28歳を迎える。もし今後、安定して結果を残し始めるとすれば俗に言う「遅咲き」だ。日本プロ野球界において、遅咲きの投手は過去何人かいる。近年でいえば、チームメートの日本ハムの吉川光夫もその1人に挙げられるだろう。
奇しくも斎藤と同学年だが、プロ入りは吉川のほうが4年早い。広陵高校から2011年のドラフト1位で入団したが、プロ5年目の2011年シーズンまでは3年連続白星なしでルーキーイヤーの4勝がマックス。しかし翌2012年に14勝、防御率1.71で初タイトルも獲得し、プロ6年目にして長いトンネルを抜け出してブレイクした。
吉川のように高卒入団ではなく、社会人からのプロ入りで即戦力クラスと言われながらも才能を完全開花させるまで時間がかかった投手もいる。阪神のベテラン左腕・能見篤史は2004年ドラフトの自由獲得枠で大阪ガスから入団したものの、2008年までシーズン最多は4勝止まり。しかし30歳を迎えたプロ5年目の2009年シーズンに、13勝(防御率2点台)をマークし才能を開花させた。
斎藤は残念ながら吉川や能見のように「これぞ」という何か1つの武器を持っているわけでもなく、常に抜群の制球力を発揮するタイプでもない。しかし過去にも当記事で書いたが、自分の置かれた状況を冷静に見極め、たとえ窮地に追い込まれても単に落ち込むのではなく究極のプラス思考で前に進もうとすることができる選手だ(関連記事)。いい意味で「スーパーKY」と評してもいいかもしれない。これに同調するように斎藤を入団当時から知る球団関係者も次のように「佑ちゃん」に対する本心を打ち明けた。
「これだけ注目されて5年以上も結果が出せないでいたら、普通の神経の持ち主ならば『辞めさせてください』と言って来ても不思議じゃない。それでも彼はひたすらマイナスのことを考えないでいるでしょう。ボコボコに打ち込まれ、周りからどんなに叩かれようとも、それを糧として次に進もうとする。あの精神力はハンパじゃない。
我々は彼に何かスイッチのようなものが入ることを期待しているのです。それが、どういうタイミングになるのかは分からないですけどね。そういう遅咲きのチャンスはきっと来ると思っています。だからこそ突然、忘れたころに大ブレイクするかもしれないと思わずにはいられないのです」
日本ハムが斎藤をクビにしない理由は何となく理解できた。しかしながら、いくら何でもそれに延々と甘え続けるわけにはいかないだろう。プロ6年目の斎藤には今年こそ誰もが納得する結果を出して欲しい。
my message
今年は佑くんは背水の陣。
やっぱり、今年活躍出来ないと戦力外になる事は覚悟だ。
マーくんと比べたくないが佑くんは佑くんだからさ。
比べたら可哀想だよ。
佑くん、頑張ろうな。
佑くんはまだまだ止めるには早すぎるよ。
by blog described person