↑松竹芸能所属会見で、金びょうぶの前に座るプロレスラー・船木誠勝。“陽”の笑顔が印象的だ
「プロレスラー・船木誠勝が松竹芸能入り」ってウソ!? かつての“プロレス熱”がわき上がり、将棋・藤井聡太四段(15)の対局取材を途中で抜け出し、8月22日、大阪・道頓堀の会見場へと駆け込んだ。
船木は1984年に新日本プロレスに入門し、翌年3月、15歳11か月でリングデビューした。これは当時の最年少デビュー記録だ。史上最年少棋士・藤井四段のように、いきなり連戦連勝する“天才少年”ではなかったが、正統派のレスリングセンスと精悍(せいかん)なマスク(これは結構、大事)は、確かな将来性を感じさせた。
何より当時、長州力らジャパン・プロレス勢、前田日明らUWF勢が新日マットを去ったばかりで、武藤敬司、橋本真也(故人)、蝶野正洋ら84年入門組こそが新日ファンの希望の星だった。中でも船木は、学年は記者より1つ上だが、同じ昭和44年生まれ。初めて現れた“同い年レスラー”にシンパシーを感じるとともに、未来の担い手として尊敬の念を抱いた。
だがしかし、船木は89年に新日本を退団し、やがて記者の好みではなかった格闘技路線へ。「普通にプロレスをやっていたらスーパースターになれたのに…もったいない」と何度も思ったものだ。
“純プロレスラー・船木”が復活したのは、パンクラス時代の2000年引退を経て、すでに記者がプロレスから疎遠になった2009年から。それでも、映像などで目にする船木の雄姿は、ハイブリッド・レスリング時代の武骨さも残しつつ、なんだか楽しそうだ。
そして、今回のお笑いプロダクション・松竹芸能入り。取材するまで知らなかったが、15年11月から大阪在住なのだという。知り合いからの紹介で所属が決まった。「大阪、大好きです。もっと早く住みたかった。今までは『陰』でしたが、大阪に来てから『陽』になりましたね」。かつての堅物な印象とは違い、柔軟さのある笑顔。修羅場をくぐってきたレスラーとしての“懐の深さ”だろう。
記者は学生時代、プロレス同好会に所属しており、当時からの持論が「プロレス=漫才」だ。要は掛け合いの妙。船木にその話を振ると「試合では攻撃的ですが、普段は受け身タイプ。でも、漫才で言えば多分、ボケかな?」。そんな意外な言葉も出たが、会見場を何度も笑いで沸かせる場面があり、タレントとしての潜在能力はありそうだ。
漫才に限らず、芸能活動のほとんどは共演者とうまくセッションすることが大事。「そのうち、合うキャラが生まれてくると思う。それを見つけられるように頑張りたい。還暦まであと12年。残り少ない人生、大阪で突っ走ります」。取材現場で戦う記者も、勇気をもらった。
昨年12月に記者が取材で観戦したDDT大阪大会のタッグマッチで戦った高山善廣(50)が、試合中の事故で頸髄(ずい)完全損傷になったと発表されたばかり。同じ“U系”の同世代として、複雑な思いを抱えているだろう。リング上で、リング外で、今後、船木がどんな“プロレス”を見せてくれるか注目したい。(記者コラム 大阪編集センター・筒井 政也)
「プロレスラー・船木誠勝が松竹芸能入り」ってウソ!? かつての“プロレス熱”がわき上がり、将棋・藤井聡太四段(15)の対局取材を途中で抜け出し、8月22日、大阪・道頓堀の会見場へと駆け込んだ。
船木は1984年に新日本プロレスに入門し、翌年3月、15歳11か月でリングデビューした。これは当時の最年少デビュー記録だ。史上最年少棋士・藤井四段のように、いきなり連戦連勝する“天才少年”ではなかったが、正統派のレスリングセンスと精悍(せいかん)なマスク(これは結構、大事)は、確かな将来性を感じさせた。
何より当時、長州力らジャパン・プロレス勢、前田日明らUWF勢が新日マットを去ったばかりで、武藤敬司、橋本真也(故人)、蝶野正洋ら84年入門組こそが新日ファンの希望の星だった。中でも船木は、学年は記者より1つ上だが、同じ昭和44年生まれ。初めて現れた“同い年レスラー”にシンパシーを感じるとともに、未来の担い手として尊敬の念を抱いた。
だがしかし、船木は89年に新日本を退団し、やがて記者の好みではなかった格闘技路線へ。「普通にプロレスをやっていたらスーパースターになれたのに…もったいない」と何度も思ったものだ。
“純プロレスラー・船木”が復活したのは、パンクラス時代の2000年引退を経て、すでに記者がプロレスから疎遠になった2009年から。それでも、映像などで目にする船木の雄姿は、ハイブリッド・レスリング時代の武骨さも残しつつ、なんだか楽しそうだ。
そして、今回のお笑いプロダクション・松竹芸能入り。取材するまで知らなかったが、15年11月から大阪在住なのだという。知り合いからの紹介で所属が決まった。「大阪、大好きです。もっと早く住みたかった。今までは『陰』でしたが、大阪に来てから『陽』になりましたね」。かつての堅物な印象とは違い、柔軟さのある笑顔。修羅場をくぐってきたレスラーとしての“懐の深さ”だろう。
記者は学生時代、プロレス同好会に所属しており、当時からの持論が「プロレス=漫才」だ。要は掛け合いの妙。船木にその話を振ると「試合では攻撃的ですが、普段は受け身タイプ。でも、漫才で言えば多分、ボケかな?」。そんな意外な言葉も出たが、会見場を何度も笑いで沸かせる場面があり、タレントとしての潜在能力はありそうだ。
漫才に限らず、芸能活動のほとんどは共演者とうまくセッションすることが大事。「そのうち、合うキャラが生まれてくると思う。それを見つけられるように頑張りたい。還暦まであと12年。残り少ない人生、大阪で突っ走ります」。取材現場で戦う記者も、勇気をもらった。
昨年12月に記者が取材で観戦したDDT大阪大会のタッグマッチで戦った高山善廣(50)が、試合中の事故で頸髄(ずい)完全損傷になったと発表されたばかり。同じ“U系”の同世代として、複雑な思いを抱えているだろう。リング上で、リング外で、今後、船木がどんな“プロレス”を見せてくれるか注目したい。(記者コラム 大阪編集センター・筒井 政也)