伝統の“Birds on the Bat”がよく映えていた。
分厚い胸板は変わらない。
赤い帽子をかぶり、グレーのユニホームを着こなし、相変わらず打者が戸惑う独特な投球フォームで腕を振る。
昨季までの同僚、呉昇桓(オ・スンファン)の投げっぷりを見た阪神の福原忍は笑顔で言う。
「本当によく曲がってますな。向こうのボールは変化球がすごく曲がるらしいね」
日本で2年連続セーブ王に輝いた剛腕は今年からメジャーリーグのセントルイス・カージナルスに移籍した。剛腕ぶりを見せつけ、まずは勝ちパターンのセットアッパーとしての地位をつかんだ。
4月上旬のメジャーリーグ開幕直前、福原は米国で奮闘するスンファンにメッセージを届けている。
「頑張れよ!」
初陣のピッツバーグからアトランタに転戦。4月10日のブレーブス戦は5-6の7回裏にマウンドに上がった。先頭のオリベラを速球で空振り三振に抑える。そして、フラワーズには外角低めに鋭く滑るカットボールで空を切らせる。3者凡退で攻撃を断つと、直後の8回表に打線が逆転。記念すべきメジャー初勝利が舞い込んだ。
それまで小刻みに6得点を挙げていたブレーブス打線の勢いを止めたのも、勝因の1つだろう。
カージナルスの公式サイトには“The Stone Buddha/Final Boss”とニックネームが紹介されている。相変わらず、仏頂面がよく似合っていた。
野球に情熱を燃やす男たちに生まれた固い絆。
福原が同じユニホームを着て戦ったのは、わずか2年間だった。それでも、ともに野球に情熱を燃やす仲間として、いつしか固い絆が生まれていた。
阪神でプレーしていた昨季の話だ。スンファンは2年契約の最終年。ロッカールームで「アメリカに行ったら見に行くわ。飛行機代も全部、出してくれよ! もちろん、ファーストクラスで頼むよ!」と笑い飛ばしていた。もちろん、冗談だ。12月に海外カジノの問題が噴出して、阪神は残留交渉を打ち切る。あまりにあっけない幕切れでスンファンは日本を去った。
福原「寂しいのはありますね」
福原は「残ってくれるものだと思っていたから、寂しいのはありますね」と残念がっていた。
韓国歴代最多の277セーブを挙げながら新天地でもたゆまず、探求心は旺盛だった。福原はスンファンのひたむきさに共感した。
「野球に対して、すごくマジメなヤツでね。とても向上心があって、何かあれば、いろいろ聞いてくる。相手打者の特徴や球の握りとかね。スライダー、カーブ……。打たれたときにね、すごくへこんでいる。そういう時に『どうすればいいですか』と配球とかを聞いてきたこともありました」
義理と友情を重んじる「ホント、いいヤツ」。
いつも等身大だ。
誰もが「ホント、いいヤツ」と声をそろえる。年下の選手にも慕われ、昨年は金田和之と岩本輝がグアムでのスンファンの自主トレに参加した。
ここで、個人的な余談をいくつか挟む。
数年前の話だ。大阪・心斎橋の韓国料理店でスンファンの関係者とスポーツ紙の記者数人で食事をする機会があったのだが、なぜか、そこにスンファンの姿があった。
「いつもお世話になっているから……」
多忙な合間を縫って、わざわざ顔を出したのだ。間もなく中座したのだが、わずかな時間でも礼節を欠かさない、その律義さに好感を持った。
昨年は鉄腕のルーツを知りたくて韓国・ソウルの実家に両親を訪ねた。
母キム・ヒョンドクさんは息子を「仲間への義理がある。人を信じます。友達を信じる気持ちが強い。信じ過ぎなくらいに……」と苦笑い。
これを聞いていたのが同席していたソン・サンさんだ。
「みんな、友達だから一緒に」
ソン・サンは檀国大でバッテリーを組んだ間柄。申し訳なさそうに、こんな思い出を語ってくれた。
入学早々、スンファンは右肘を手術し、リハビリに明け暮れる日々だったという。当然、長い間、チーム本隊から離れていた。
「2年生の8月頃、野球部の同僚みんなで学校から逃げたんです。練習もキツイし、寮も暑すぎるし……。スンファンはリハビリが終わったばかりで、これから選手としてプレーできるのに、一緒に逃げました」
大学内で大問題になり、事情聴取された。スンファンはコーチから「いままで手術して、リハビリして、何もやっていないのに、お前もなぜ逃げるんだ?」と問われて、こう返したのだという。
「みんな、友達だから一緒に」
この男の心根を表す言葉だろう。
安藤優也も一目を置く、呉昇桓のタフネス。
阪神でも心意気に生きた。
来日1年目を終えた'14年の12月に、慰労を兼ねた投手会がソウルで行われた。ホストはもちろん、韓国No.1守護神だ。
プロ野球選手は個人事業主で、一匹狼が多い。それでも、韓国から渡ってきた助っ人を中心に、一体感が生まれていた。
安藤優也も、スンファンと多くの時間を過ごし、野球観を分かち合う1人だ。
「すごく熱いヤツだよね。体もすごくタフだし、精神的にもすごく強い。クローザーとして、本当にスゴイものを持っている」
若い頃、3年連続開幕投手を務めた安藤もベテランになり、セットアッパーとして日々、準備する。その過酷さを知るからこそ、失敗したときの立ち居振る舞いが目につくのだ。
金本阪神が模索する、必勝の継投パターン。
金本阪神は今季、新たな必勝継投を模索中だ。
16日の中日戦では、今季から加入した新守護神のマルコス・マテオがサヨナラ打を許し、翌17日にはセットアッパーの柱である福原がサヨナラ本塁打を浴び、その後から二軍で調整に入った。一軍に昇格したばかりの新助っ人ラファエル・ドリスは19日ヤクルト戦で快投デビュー。
誰もが、持ち場で奮闘しているのだ。
「フクハラサン、元気にしてますか?」
スンファンがセーブ王であり続けた2年間、福原もまた2年連続で最優秀中継ぎ投手賞をつかんだ。不惑が近づくベテランは力を込める。
「とても刺激になりますね。アイツが頑張っているなら、俺もまだまだ頑張らないといけないなと思う」
あの快速球のように、スンファンは阪神での2年間を風のように駆け抜けていった。メジャー初勝利に触れ、つい、彼について書いてみたくなった。ドタバタのなかで退団していった心優しき男の足跡を、わずかでも残せると思ったのだ。
そういえば、と思い出したように福原は口を開く。
「スンファンから連絡が来たんですよ。通訳だった江口を通じて。『フクハラサン、元気にしてますか? みんな元気にしてますか?』って」
米国に行っても、やはりスンファンだった。
my message
呉昇桓は素晴らしい守護神でしたが藤川球児よりは完璧とは言えない程度でしたね。
まず、ジャイアンツは呉昇桓から打ってましたからね(笑)
藤川球児に関してはジャイアンツも他球団も絶対に打てません、あの火の玉ボールを打つ事はかなり難しく感じていました。
藤川球児はハッキリと言わせてもらうがメジャーに行って壊されたんだな?って思ったんだよ[哀]
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分厚い胸板は変わらない。
赤い帽子をかぶり、グレーのユニホームを着こなし、相変わらず打者が戸惑う独特な投球フォームで腕を振る。
昨季までの同僚、呉昇桓(オ・スンファン)の投げっぷりを見た阪神の福原忍は笑顔で言う。
「本当によく曲がってますな。向こうのボールは変化球がすごく曲がるらしいね」
日本で2年連続セーブ王に輝いた剛腕は今年からメジャーリーグのセントルイス・カージナルスに移籍した。剛腕ぶりを見せつけ、まずは勝ちパターンのセットアッパーとしての地位をつかんだ。
4月上旬のメジャーリーグ開幕直前、福原は米国で奮闘するスンファンにメッセージを届けている。
「頑張れよ!」
初陣のピッツバーグからアトランタに転戦。4月10日のブレーブス戦は5-6の7回裏にマウンドに上がった。先頭のオリベラを速球で空振り三振に抑える。そして、フラワーズには外角低めに鋭く滑るカットボールで空を切らせる。3者凡退で攻撃を断つと、直後の8回表に打線が逆転。記念すべきメジャー初勝利が舞い込んだ。
それまで小刻みに6得点を挙げていたブレーブス打線の勢いを止めたのも、勝因の1つだろう。
カージナルスの公式サイトには“The Stone Buddha/Final Boss”とニックネームが紹介されている。相変わらず、仏頂面がよく似合っていた。
野球に情熱を燃やす男たちに生まれた固い絆。
福原が同じユニホームを着て戦ったのは、わずか2年間だった。それでも、ともに野球に情熱を燃やす仲間として、いつしか固い絆が生まれていた。
阪神でプレーしていた昨季の話だ。スンファンは2年契約の最終年。ロッカールームで「アメリカに行ったら見に行くわ。飛行機代も全部、出してくれよ! もちろん、ファーストクラスで頼むよ!」と笑い飛ばしていた。もちろん、冗談だ。12月に海外カジノの問題が噴出して、阪神は残留交渉を打ち切る。あまりにあっけない幕切れでスンファンは日本を去った。
福原「寂しいのはありますね」
福原は「残ってくれるものだと思っていたから、寂しいのはありますね」と残念がっていた。
韓国歴代最多の277セーブを挙げながら新天地でもたゆまず、探求心は旺盛だった。福原はスンファンのひたむきさに共感した。
「野球に対して、すごくマジメなヤツでね。とても向上心があって、何かあれば、いろいろ聞いてくる。相手打者の特徴や球の握りとかね。スライダー、カーブ……。打たれたときにね、すごくへこんでいる。そういう時に『どうすればいいですか』と配球とかを聞いてきたこともありました」
義理と友情を重んじる「ホント、いいヤツ」。
いつも等身大だ。
誰もが「ホント、いいヤツ」と声をそろえる。年下の選手にも慕われ、昨年は金田和之と岩本輝がグアムでのスンファンの自主トレに参加した。
ここで、個人的な余談をいくつか挟む。
数年前の話だ。大阪・心斎橋の韓国料理店でスンファンの関係者とスポーツ紙の記者数人で食事をする機会があったのだが、なぜか、そこにスンファンの姿があった。
「いつもお世話になっているから……」
多忙な合間を縫って、わざわざ顔を出したのだ。間もなく中座したのだが、わずかな時間でも礼節を欠かさない、その律義さに好感を持った。
昨年は鉄腕のルーツを知りたくて韓国・ソウルの実家に両親を訪ねた。
母キム・ヒョンドクさんは息子を「仲間への義理がある。人を信じます。友達を信じる気持ちが強い。信じ過ぎなくらいに……」と苦笑い。
これを聞いていたのが同席していたソン・サンさんだ。
「みんな、友達だから一緒に」
ソン・サンは檀国大でバッテリーを組んだ間柄。申し訳なさそうに、こんな思い出を語ってくれた。
入学早々、スンファンは右肘を手術し、リハビリに明け暮れる日々だったという。当然、長い間、チーム本隊から離れていた。
「2年生の8月頃、野球部の同僚みんなで学校から逃げたんです。練習もキツイし、寮も暑すぎるし……。スンファンはリハビリが終わったばかりで、これから選手としてプレーできるのに、一緒に逃げました」
大学内で大問題になり、事情聴取された。スンファンはコーチから「いままで手術して、リハビリして、何もやっていないのに、お前もなぜ逃げるんだ?」と問われて、こう返したのだという。
「みんな、友達だから一緒に」
この男の心根を表す言葉だろう。
安藤優也も一目を置く、呉昇桓のタフネス。
阪神でも心意気に生きた。
来日1年目を終えた'14年の12月に、慰労を兼ねた投手会がソウルで行われた。ホストはもちろん、韓国No.1守護神だ。
プロ野球選手は個人事業主で、一匹狼が多い。それでも、韓国から渡ってきた助っ人を中心に、一体感が生まれていた。
安藤優也も、スンファンと多くの時間を過ごし、野球観を分かち合う1人だ。
「すごく熱いヤツだよね。体もすごくタフだし、精神的にもすごく強い。クローザーとして、本当にスゴイものを持っている」
若い頃、3年連続開幕投手を務めた安藤もベテランになり、セットアッパーとして日々、準備する。その過酷さを知るからこそ、失敗したときの立ち居振る舞いが目につくのだ。
金本阪神が模索する、必勝の継投パターン。
金本阪神は今季、新たな必勝継投を模索中だ。
16日の中日戦では、今季から加入した新守護神のマルコス・マテオがサヨナラ打を許し、翌17日にはセットアッパーの柱である福原がサヨナラ本塁打を浴び、その後から二軍で調整に入った。一軍に昇格したばかりの新助っ人ラファエル・ドリスは19日ヤクルト戦で快投デビュー。
誰もが、持ち場で奮闘しているのだ。
「フクハラサン、元気にしてますか?」
スンファンがセーブ王であり続けた2年間、福原もまた2年連続で最優秀中継ぎ投手賞をつかんだ。不惑が近づくベテランは力を込める。
「とても刺激になりますね。アイツが頑張っているなら、俺もまだまだ頑張らないといけないなと思う」
あの快速球のように、スンファンは阪神での2年間を風のように駆け抜けていった。メジャー初勝利に触れ、つい、彼について書いてみたくなった。ドタバタのなかで退団していった心優しき男の足跡を、わずかでも残せると思ったのだ。
そういえば、と思い出したように福原は口を開く。
「スンファンから連絡が来たんですよ。通訳だった江口を通じて。『フクハラサン、元気にしてますか? みんな元気にしてますか?』って」
米国に行っても、やはりスンファンだった。
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呉昇桓は素晴らしい守護神でしたが藤川球児よりは完璧とは言えない程度でしたね。
まず、ジャイアンツは呉昇桓から打ってましたからね(笑)
藤川球児に関してはジャイアンツも他球団も絶対に打てません、あの火の玉ボールを打つ事はかなり難しく感じていました。
藤川球児はハッキリと言わせてもらうがメジャーに行って壊されたんだな?って思ったんだよ[哀]
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