↑後半戦で復調の兆しをみせる長野
↑10日のヤクルト戦、お立ち台にピカチュウを上らせようとサービスする長野
「今さら天才バッターに教えることはない」記者に囲まれた“ノムさん”こと野村克也氏(82)がかつて、そう話しているのを聞いたことがある。「長野は天才」とテレビで評していたことも覚えている。
開幕から「不調」「不調」と連日報道された巨人の背番号7。2014年のシーズン後に受けた右ひざ手術の古傷が不調の原因と指摘する声もあるが、33歳になる8年目のシーズンを前にした今年のグアム自主トレ、宮崎春季キャンプは、長野久義(32)にとって前年と比較にならないほど順調だった。3月のオープン戦では、ふぶく札幌の室内練習場でバスから降り立つなり「これからサービスしますね」とカメラマンめがけて雪を投げ始めた。最後はデジタルカメラの画像をチェックして「明日の1面ですね」と、冗談を言うほど余裕があった。
2009年、彼が念願のジャイアンツにドラフト1位で指名された時から、巨人の担当カメラマンとして密着している。12年には2年連続で打率3割を記録しベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。日本シリーズでは全試合で安打を放つなど、攻守に大活躍し優秀選手に選ばれた。ハワイの優勝旅行に同行した際、屋台でビールを飲んでいたら、「何やってるんですか」と、長野が声をかけてきて2人でビールをラッパ飲みした。1年間、奮闘して頑張り抜いた男の晴れやかな表情が、そこにあった。
翌13年、長野はWBC日本代表選手に選出され、私も帯同して取材することになった。当時の長野は主軸と期待されながら、強化試合から不振に悩んでいた。渡米を前に、カメラマンなりに感じたことを、どうしても伝えておきたかった。前年の絶好調の時とインパクトの瞬間、ボールがバットに当たっている時間が、コンマ何秒かなのだが、微妙に違っている―。ファインダー越しに毎日毎日彼を見続け、シャッターを切り、数万枚もの写真を撮っているからこそ分かること。打撃練習の合間だったが、耳を傾けてくれた。復調の兆しが見えない長野に、少しでもきっかけをあげたかった。
再びハワイの屋台。あの夜、ほろ酔いの長野と「天才って…」という話になった。「オレは今まで撮影したなかで、天才と思ったアスリートが3人いる」と切り出すと、身を乗り出してきた。「1人は松井秀喜さん(元巨人、ヤンキースGM特別アドバイザー)、次に男子ゴルフの石川遼プロ。残る1人は…」。そう言ったところで、お互い目が合った。結局、その先は言葉に出さなかった。
今年の春先、ジャイアンツファンから「今年の長野はどうして打てないのか」とよく聞かれた。「(軸足となる)右足の状態が気になる」とも「復調へのきっかけをつかむ1本さえ打てば本来の長野に戻る」そう答えてきた。長野を誰よりも撮ってきたからこそ、自信があった。開幕から5月まで、打率は2割5分を下回ったが、「1本」をきっかけにようやく復調。今では連日、打線を引っ張る活躍をしている。
長野には好不調のバロメーターがある。プレー中以外の場面でカメラサービスをやる余裕や、ファンを喜ばす“イタズラ”をするような時は、いつも試合で大爆発する。絵になる男には暗い表情は似合わないのだ。7月10日のヤクルト戦(東京ドーム)で決勝弾を放った際、笑顔でお立ち台に立った。マスコットにちょっかいを出したり、場内を回るカートではヴィーナスの横に座るサービスをしたりと、紙面を賑やかにしてくれた。12日も先頭打者アーチの8号ホーマーを放った。入団から続いている2ケタ本塁打の記録も十分に見えてきた。
あの、ハワイでの夜。自分の照れから「3人目の天才はキミ(長野)なんだよ」と言えなかったことを、今でも後悔している。天才のバットでチームに奇跡を起こし、優勝ビールかけ会場でカメラマンに“イタズラ”を仕掛けてくるのを待っている。大爆発だ、長野、頼むぞ!
😁オ😉レ😜コ😝メ✏
確かに長野久義の調子ならジャイアンツが優勝することも出来ないことは無いのだ。
↑10日のヤクルト戦、お立ち台にピカチュウを上らせようとサービスする長野
「今さら天才バッターに教えることはない」記者に囲まれた“ノムさん”こと野村克也氏(82)がかつて、そう話しているのを聞いたことがある。「長野は天才」とテレビで評していたことも覚えている。
開幕から「不調」「不調」と連日報道された巨人の背番号7。2014年のシーズン後に受けた右ひざ手術の古傷が不調の原因と指摘する声もあるが、33歳になる8年目のシーズンを前にした今年のグアム自主トレ、宮崎春季キャンプは、長野久義(32)にとって前年と比較にならないほど順調だった。3月のオープン戦では、ふぶく札幌の室内練習場でバスから降り立つなり「これからサービスしますね」とカメラマンめがけて雪を投げ始めた。最後はデジタルカメラの画像をチェックして「明日の1面ですね」と、冗談を言うほど余裕があった。
2009年、彼が念願のジャイアンツにドラフト1位で指名された時から、巨人の担当カメラマンとして密着している。12年には2年連続で打率3割を記録しベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。日本シリーズでは全試合で安打を放つなど、攻守に大活躍し優秀選手に選ばれた。ハワイの優勝旅行に同行した際、屋台でビールを飲んでいたら、「何やってるんですか」と、長野が声をかけてきて2人でビールをラッパ飲みした。1年間、奮闘して頑張り抜いた男の晴れやかな表情が、そこにあった。
翌13年、長野はWBC日本代表選手に選出され、私も帯同して取材することになった。当時の長野は主軸と期待されながら、強化試合から不振に悩んでいた。渡米を前に、カメラマンなりに感じたことを、どうしても伝えておきたかった。前年の絶好調の時とインパクトの瞬間、ボールがバットに当たっている時間が、コンマ何秒かなのだが、微妙に違っている―。ファインダー越しに毎日毎日彼を見続け、シャッターを切り、数万枚もの写真を撮っているからこそ分かること。打撃練習の合間だったが、耳を傾けてくれた。復調の兆しが見えない長野に、少しでもきっかけをあげたかった。
再びハワイの屋台。あの夜、ほろ酔いの長野と「天才って…」という話になった。「オレは今まで撮影したなかで、天才と思ったアスリートが3人いる」と切り出すと、身を乗り出してきた。「1人は松井秀喜さん(元巨人、ヤンキースGM特別アドバイザー)、次に男子ゴルフの石川遼プロ。残る1人は…」。そう言ったところで、お互い目が合った。結局、その先は言葉に出さなかった。
今年の春先、ジャイアンツファンから「今年の長野はどうして打てないのか」とよく聞かれた。「(軸足となる)右足の状態が気になる」とも「復調へのきっかけをつかむ1本さえ打てば本来の長野に戻る」そう答えてきた。長野を誰よりも撮ってきたからこそ、自信があった。開幕から5月まで、打率は2割5分を下回ったが、「1本」をきっかけにようやく復調。今では連日、打線を引っ張る活躍をしている。
長野には好不調のバロメーターがある。プレー中以外の場面でカメラサービスをやる余裕や、ファンを喜ばす“イタズラ”をするような時は、いつも試合で大爆発する。絵になる男には暗い表情は似合わないのだ。7月10日のヤクルト戦(東京ドーム)で決勝弾を放った際、笑顔でお立ち台に立った。マスコットにちょっかいを出したり、場内を回るカートではヴィーナスの横に座るサービスをしたりと、紙面を賑やかにしてくれた。12日も先頭打者アーチの8号ホーマーを放った。入団から続いている2ケタ本塁打の記録も十分に見えてきた。
あの、ハワイでの夜。自分の照れから「3人目の天才はキミ(長野)なんだよ」と言えなかったことを、今でも後悔している。天才のバットでチームに奇跡を起こし、優勝ビールかけ会場でカメラマンに“イタズラ”を仕掛けてくるのを待っている。大爆発だ、長野、頼むぞ!
😁オ😉レ😜コ😝メ✏
確かに長野久義の調子ならジャイアンツが優勝することも出来ないことは無いのだ。