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上田利治監督、たった一度の退場劇に残されたナゾ

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↑99年5月23日、近鉄戦で判定に抗議し退場となった、日本ハム・上田監督(当時)

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↑上田監督の退場を報じる、99年5月24日付けスポーツ報知

 名将・上田利治監督が80歳で旅立った。野球記者になりたくてスポーツ新聞社に入り、1999年に初めてプロ野球の球団を担当したのが、ウエさんの監督生活最後の指揮となった日本ハムだった。

 岩本ツトム(勉)、金村暁、関根裕之らの投手陣を片岡篤史、田中幸雄、金子誠らの「ビッグバン打線」と呼ばれた攻撃陣が支えた。後にセ・パ両リーグでMVPに輝く小笠原道大が「バントしない2番打者」としてレギュラーに定着し、ブレイクした年でもあった。

 プロ野球取材のイロハも分からない新米記者の稚拙な質問にも丁寧に答えてくれた。どんな負け方をした後でも必ず報道陣の囲み取材に対応してくれた。試合前、当時の本拠地・東京ドームの一塁ベンチに座って客席を見上げ「今日もお客さん、入っとらんなあ」といつもつぶやいていた。

 この年、忘れられない事件がある。5月23日の近鉄戦(東京ドーム)。1回裏、無死満塁からオバンドーの二塁ゴロで併殺となったが、一塁アウトの判定に猛抗議。激高して一塁塁審を「ヘタクソ!」とどなりつけ退場処分となった。さらにベンチに戻りかけて怒りが再びこみ上げたのか、体を反転させて振り向きざま一塁塁審の後頭部を平手でひっぱたいたのだ。

 「えっ!」と思わず声をあげた記憶がある。驚いた。そして「なぜ?」の疑問がこみ上げた。確かに誤審ではないかと思われる判定だったが、なぜそこまで怒りをあらわにしたのか?

 試合の勝敗に直結するプレー、あるいは優勝争いのカギとなる試合でのワンシーンなら、まだ理解できる。しかし、まだシーズン序盤の5月。しかも初回だ。

 「いつ以来、何度目の退場だろう?」と記録を調べて、また驚いた。選手3年、コーチ11年、そして監督生活20年間で、これが初の退場劇だった。阪急の監督時代、伝説となっている1978年のヤクルトとの日本シリーズ第7戦で大杉勝男の本塁打を巡って1時間19分の猛抗議。球界トップの金子鋭コミッショナーが説得に乗り出しても応じなかった辞任覚悟の行動だったが、この時も退場処分にはなっていないのだ。

 上田監督にとって最初で最後の退場劇は、審判側が態度を硬化させ「傷害事件として告訴する」という問題にまで発展した。最終的に和解して収まったが、謎は残ったままだった。曲がったことが大嫌いで信念を持って采配していたから、時には退場も辞さない覚悟を持っていたのだろうが、それならば長い監督生活の中でもっと納得のいかない判定はいくらでもあったと思うのだが…。

 いつかゆっくりと話す機会があればあの時のことを聞いてみたいと思っていたが、それはかなわなかった。

😁オ😉レ😜コ😝メ✏

有名な張り手事件ですよ。
この下手くそ、びしーんと張り手を審判に食らわしたんだよな。

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