↑30年ぶり夏勝利を目指す三商ナイン
↑三商の東東京大会成績(1987年以降)
市場移転問題で注目を浴び一躍全国的に有名になった東京・豊洲。その豊洲から運河一本隔てた北側に都立第三商(三商)がある。
高層マンションや倉庫、工場に囲まれた静かなグラウンドに選手の声が響く。清水隆監督(28)は「誰が声を出していて誰が出していないか、すぐ分かるんですよ」と笑う。それもそのはず、部員はわずか9人。試合を行えるギリギリの人数だ。
グラウンドは約90メートル×約50メートルの長方形。他の部活との兼ね合いで全面使えるのは週1回。その時しか打撃練習が行えない。当然、紅白戦も出来ない。清水監督は「ランナーをつけた練習など実戦に応じた練習はなかなか出来ません。『実戦を意識しなさい』とは言っているんですが、なかなか…」と悩みを吐露した。
チームが掲げた目標は「公式戦勝利」。シンプルな言葉だが、三商にとっては大きな意味を持つ。夏の大会は1987年の1回戦で羽田工に勝ったのが最後。翌年から28大会連続(10年は不参加)で初戦敗退しており、勝てば30年ぶりの白星となるからだ。
部員9人の内訳は3年生5人、2年生3人、1年生1人。高校に入って初めて野球を始めた選手もいる。神尾青輝主将(3年)は「人数が少ない分、内容の濃い練習が出来ていると思います」と逆境もプラスに捉えている。8人でスタートした昨秋は“助っ人”の協力を得て出場も1次予選で敗退。今春は出場辞退した。入学式が終わり部員たちは新入生の勧誘に奔走した。中軸を打つ星野柊二(3年)は「1クラスずつ、1年生の教室に話に行って勧誘した」と言う。そのお陰もあり矢本健太(1年)が入部し9人に。矢本は「自分に体力がなくて、バテてしまっても(先輩が)励ましてくれる。足を引っ張らないようにしたい」と意気込んでいる。
2013年から4年間監督を務めた松尾繁樹・助監督(43)は「練習試合の集合時間に部員がそろわなかったり、バイトがあると言って来なかったりすることが結構あった」と当時を振り返る。生徒の保護者に野球部の存在を認識されていないこともあったという。
夏の大会が終わると3年生が引退し新チームが始動する。9人そろわないと不安を抱えモチベーションも下がり、退部する部員も出てくるという。松尾助監督は「今までもそうだし、この代もずっと通ってくる課程は一緒なんです。それでも技術力は上がってきていると思います」。
松尾さんが監督を務めた13年は前年甲子園に出場した成立学園に5回コールドの0―10で敗退。翌年は郁文館に7回コールド負け。「(コールドが)5回から7回になり、9回になって。点も取れるようになって、逆転されましたけどリードも出来るようになって、徐々に力をつけてきているんです」。昨年は青山学院から初回に2点を先制するなど、年々、少しずつではあるが成長を見せている。今春卒業した野口文弥さん(18)は時折、後輩たちの練習を見に学校を訪れる。「今の代は1年の時から意識的なものは違った。頑張って欲しい」とエールを送った。
危機も乗り越えた。捕手を務める神尾主将が6月に右手を骨折。控え部員がいないため出場も危ぶまれたが、最後の夏には何とか間に合った。神尾主将は「ずっと勝っていないことは知っています。自分たちが勝ったら歴史が変わると思っています」。星野も「3年間やってきた集大成を見せたい」。昨年に三商に赴任し、夏初采配となる清水監督も「人数が少ない分、結束力は強いと思います。生徒が頑張ってやっているので、何とか勝利という結果を出させてあげたい」と言う。
運命の一戦は7月10日。明大球場でつばさ総合と対戦する。つばさ総合は創部6年目で公式戦初勝利を目指している。三商が87年に勝利した羽田工と羽田の2校が統合され、02年に開校された学校だ。最後に勝った高校の流れを組む因縁の相手との“再戦”で30年ぶりの勝利を挙げられるか。全国3859校が頂点を目指す選手権大会。3858試合の中の1試合にもそれぞれの思いが詰まっている。
↑三商の東東京大会成績(1987年以降)
市場移転問題で注目を浴び一躍全国的に有名になった東京・豊洲。その豊洲から運河一本隔てた北側に都立第三商(三商)がある。
高層マンションや倉庫、工場に囲まれた静かなグラウンドに選手の声が響く。清水隆監督(28)は「誰が声を出していて誰が出していないか、すぐ分かるんですよ」と笑う。それもそのはず、部員はわずか9人。試合を行えるギリギリの人数だ。
グラウンドは約90メートル×約50メートルの長方形。他の部活との兼ね合いで全面使えるのは週1回。その時しか打撃練習が行えない。当然、紅白戦も出来ない。清水監督は「ランナーをつけた練習など実戦に応じた練習はなかなか出来ません。『実戦を意識しなさい』とは言っているんですが、なかなか…」と悩みを吐露した。
チームが掲げた目標は「公式戦勝利」。シンプルな言葉だが、三商にとっては大きな意味を持つ。夏の大会は1987年の1回戦で羽田工に勝ったのが最後。翌年から28大会連続(10年は不参加)で初戦敗退しており、勝てば30年ぶりの白星となるからだ。
部員9人の内訳は3年生5人、2年生3人、1年生1人。高校に入って初めて野球を始めた選手もいる。神尾青輝主将(3年)は「人数が少ない分、内容の濃い練習が出来ていると思います」と逆境もプラスに捉えている。8人でスタートした昨秋は“助っ人”の協力を得て出場も1次予選で敗退。今春は出場辞退した。入学式が終わり部員たちは新入生の勧誘に奔走した。中軸を打つ星野柊二(3年)は「1クラスずつ、1年生の教室に話に行って勧誘した」と言う。そのお陰もあり矢本健太(1年)が入部し9人に。矢本は「自分に体力がなくて、バテてしまっても(先輩が)励ましてくれる。足を引っ張らないようにしたい」と意気込んでいる。
2013年から4年間監督を務めた松尾繁樹・助監督(43)は「練習試合の集合時間に部員がそろわなかったり、バイトがあると言って来なかったりすることが結構あった」と当時を振り返る。生徒の保護者に野球部の存在を認識されていないこともあったという。
夏の大会が終わると3年生が引退し新チームが始動する。9人そろわないと不安を抱えモチベーションも下がり、退部する部員も出てくるという。松尾助監督は「今までもそうだし、この代もずっと通ってくる課程は一緒なんです。それでも技術力は上がってきていると思います」。
松尾さんが監督を務めた13年は前年甲子園に出場した成立学園に5回コールドの0―10で敗退。翌年は郁文館に7回コールド負け。「(コールドが)5回から7回になり、9回になって。点も取れるようになって、逆転されましたけどリードも出来るようになって、徐々に力をつけてきているんです」。昨年は青山学院から初回に2点を先制するなど、年々、少しずつではあるが成長を見せている。今春卒業した野口文弥さん(18)は時折、後輩たちの練習を見に学校を訪れる。「今の代は1年の時から意識的なものは違った。頑張って欲しい」とエールを送った。
危機も乗り越えた。捕手を務める神尾主将が6月に右手を骨折。控え部員がいないため出場も危ぶまれたが、最後の夏には何とか間に合った。神尾主将は「ずっと勝っていないことは知っています。自分たちが勝ったら歴史が変わると思っています」。星野も「3年間やってきた集大成を見せたい」。昨年に三商に赴任し、夏初采配となる清水監督も「人数が少ない分、結束力は強いと思います。生徒が頑張ってやっているので、何とか勝利という結果を出させてあげたい」と言う。
運命の一戦は7月10日。明大球場でつばさ総合と対戦する。つばさ総合は創部6年目で公式戦初勝利を目指している。三商が87年に勝利した羽田工と羽田の2校が統合され、02年に開校された学校だ。最後に勝った高校の流れを組む因縁の相手との“再戦”で30年ぶりの勝利を挙げられるか。全国3859校が頂点を目指す選手権大会。3858試合の中の1試合にもそれぞれの思いが詰まっている。