↑劇的サヨナラ弾でヒーローになった大松(左)
劇的弾のその先に見ているものは―。ヤクルト・大松尚逸内野手が9日の広島戦(神宮)で、同点の延長12回、右翼席へサヨナラアーチを放った。昨オフにロッテを戦力外になり、テスト入団を経てヤクルト入りした苦労人スラッガー。さらに昨年5月に負った右アキレス腱断裂の重傷を乗り越えた一撃とあって、感情を揺さぶられた人も多いのではないだろうか。
翌10日。反響を聞いてみた。もちろん、大きかった。尊敬するロッテ・福浦や、縫合手術の執刀医などから、数え切れないほどの祝福メッセージが届いた。「それはもう今世紀最大ですよ。1つ1つしっかりとした文面で返信させていただきました。全てが出会いですから」。実直な性格の男らしい答えだった。
まだまだ怖さとの戦いも続く。患部を超音波で念入りにほぐすなど、日々のケアは欠かせない。「医者の専門的な立場から言えば(アキレス腱は)つながっているからもう完治してる、と。ここから先は感覚的なもの。自分の体は自分が1番分かっているようで、情けないことに1番分かってない」。慎重に、それでも着実に、歩みを進めていく。
個人的には、04年の東海大時代から取材をさせてもらっている。同年、日本代表として出場した世界大学野球選手権(台湾)にも同行した。打撃練習時に、当時の代表選手から「エグい!」と連発されていた打棒が戻って来たことが本当にうれしかった。「あの年のプロ入りした代表選手、だいぶ少なくなっちゃったね」そう向けると「まだまだいますよ。これからですよ」。まだまだ成長できる。6月で35歳になる男の声は、とても力強かった。
当日は苦労を分かち合った愛妻・敦子さんをヤクルト移籍後初めて球場に招待していた。その目の前で優雅な放物線を描いた。「本人いわく『涙した』とのことでしたが、どうでしょうかね」。帰宅後には祝杯を交わしたが、浴びるほど飲みたい気持ちを抑えて口をつける程度にとどめた。「患部が硬くなったり、可動域が出なくなるんで(飲酒は)控えるようにはしてる。疲労を次の日に持ち込まない状態にすることは意識してます」。乗り越えた試練の大きさを思えば、1日くらい…となるのも人間なのに。まだ一発。完全復活ではない。その目がそう物語っていた。
?オ?レ?コ?メ?
大松尚逸選手はロッテ時代から知っていますし、去年のオフにロッテを戦力外になっていたのも知っていました。
まだまだプロ野球人生が終わるような選手で無いと思っていましたのでヤクルトでまたプレーすることが出来てるのは自分も嬉しく感じます。
劇的弾のその先に見ているものは―。ヤクルト・大松尚逸内野手が9日の広島戦(神宮)で、同点の延長12回、右翼席へサヨナラアーチを放った。昨オフにロッテを戦力外になり、テスト入団を経てヤクルト入りした苦労人スラッガー。さらに昨年5月に負った右アキレス腱断裂の重傷を乗り越えた一撃とあって、感情を揺さぶられた人も多いのではないだろうか。
翌10日。反響を聞いてみた。もちろん、大きかった。尊敬するロッテ・福浦や、縫合手術の執刀医などから、数え切れないほどの祝福メッセージが届いた。「それはもう今世紀最大ですよ。1つ1つしっかりとした文面で返信させていただきました。全てが出会いですから」。実直な性格の男らしい答えだった。
まだまだ怖さとの戦いも続く。患部を超音波で念入りにほぐすなど、日々のケアは欠かせない。「医者の専門的な立場から言えば(アキレス腱は)つながっているからもう完治してる、と。ここから先は感覚的なもの。自分の体は自分が1番分かっているようで、情けないことに1番分かってない」。慎重に、それでも着実に、歩みを進めていく。
個人的には、04年の東海大時代から取材をさせてもらっている。同年、日本代表として出場した世界大学野球選手権(台湾)にも同行した。打撃練習時に、当時の代表選手から「エグい!」と連発されていた打棒が戻って来たことが本当にうれしかった。「あの年のプロ入りした代表選手、だいぶ少なくなっちゃったね」そう向けると「まだまだいますよ。これからですよ」。まだまだ成長できる。6月で35歳になる男の声は、とても力強かった。
当日は苦労を分かち合った愛妻・敦子さんをヤクルト移籍後初めて球場に招待していた。その目の前で優雅な放物線を描いた。「本人いわく『涙した』とのことでしたが、どうでしょうかね」。帰宅後には祝杯を交わしたが、浴びるほど飲みたい気持ちを抑えて口をつける程度にとどめた。「患部が硬くなったり、可動域が出なくなるんで(飲酒は)控えるようにはしてる。疲労を次の日に持ち込まない状態にすることは意識してます」。乗り越えた試練の大きさを思えば、1日くらい…となるのも人間なのに。まだ一発。完全復活ではない。その目がそう物語っていた。
?オ?レ?コ?メ?
大松尚逸選手はロッテ時代から知っていますし、去年のオフにロッテを戦力外になっていたのも知っていました。
まだまだプロ野球人生が終わるような選手で無いと思っていましたのでヤクルトでまたプレーすることが出来てるのは自分も嬉しく感じます。