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「ギブUPまで待てない!」30周年…金曜8時のプロレスコラム

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↑平成の「ギブUP」? 山田邦子(左)とピコ太郎に扮した小峠篤司

 今年は新日本プロレスと全日本プロレスの旗揚げ45周年イヤーである。我々マスコミは何周年というのが好きだ。あまり騒がれていない〇〇周年を発掘するのはもっと好きである。そこで、誰も騒いでいない隠れ周年を探してみた。1987年4月、テレビ朝日系「ギブUPまで待てない!ワールドプロレスリング」スタート。ちょうど30周年である。

 火曜の夜8時、わずか半年で終わった幻の番組。発売中の「新日本プロレスぴあ2017 45周年メモリアルBOOK」(ぴあ)にある「新日本プロレス1972-2016 激動と伝統の45年史年表」にも載っていない裏面史。タレントの山田邦子(56、当時は26)をMCに、スタジオとプロレス会場を二元中継するスポーツバラエティーの先駆的番組だった。

 ちょうど古舘伊知郎アナウンサー(62、同32)がフリーになって各局バラエティーから引っ張りだこになり、3月にプロレスを卒業した節目での新機軸だった。古舘アナが新日本のプロレスを「超過激」と喧伝(けんでん)してきた時代背景を考えると、バラエティー化はかなりの冒険だった。

 その危険性は、山田邦子とゲストとして登場した国内デビュー目前の馳浩(現衆院議員55、同25)とのスタジオトークで爆発する。山田「控え室で血なんかすぐ止まるもんなんですか?」、馳「つまんない話聞くなよ! 止まるわけないだろ」しばし沈黙…この寒いやりとりは伝説になっている。

 決して黒歴史だけではない。オープニングとエンディングのテーマ曲をボーカル入りの楽曲にしたのは悪くはなかった。当初は男闘呼組、そして久保田利伸が担った。久保田のエンディング「Missing」は、なぜかマッチしていた。10月から番組が月曜夜8時の「ワールドプロレスリング」に戻ってもチャゲ&飛鳥を起用するなど、プロレス中継のイメージを変えた。

 30周年を記念したわけでもないだろうが、今年の1月24日、東京・後楽園ホールで山田邦子が、プロレスリング・ノアとの合同興行「新春やまだかつてないNOAH」を開催した。プロレスと演芸をミックスさせたイベント。ノアの小峠篤司(31)がピコ太郎の扮装でリングに上がり、邦子がスイカ仮面「925」になったり…。プ(ロレス)女子にはウケていた。「今になってみんな私と馳先生を対談させたがってるみたいなんだけど、お忙しいようで、なかなか実現しないんですよ」と邦子は教えてくれた。

 3月13日未明に放送され、話題になったテレビ朝日系「史上初!現役・OBレスラー200人&ファン1万人が選ぶプロレス総選挙」のスタジオ風景は、30年前に「ギブUPまで待てない!」がやりたかった理想かもしれない。松井珠理奈(20)や鈴木奈々(28)ら女性タレントとのトークを照れながらもスマートにこなしたIWGPヘビー級王者、オカダ・カズチカ(29)には好感が持てた。彼らが生まれる前の昔話をしてもしょうがないか。

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