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名選手かつ名将だった落合氏が「名スカウト」になる日

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↑16年10月、スカウト会議を終えた落合博満GM

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↑14年の新入団選手、(前列左から)石川駿、浜田智博、野村亮介、友永翔太、加藤匠馬(中列左から)井領雅貴、遠藤一星一人あけて山本雅士、金子丈(後列左から)石垣幸大、藤吉優、近藤弘基

 中日GMだった落合博満氏が退団して2か月が過ぎようとしている。選手として史上ただ一人、3度の3冠王に輝き、監督としても中日を球団史上唯一の連覇に導くなど、采配8年でリーグ優勝4度、日本一1度を達成した。希代の名選手であり名将であった事実は議論を待たない。

 しかしGMとしてはどうだったか。

 他球団のある編成担当者は「落合さんはGMというより『首都圏社会人および一部の大学担当スカウト』という肩書が実情に合っていたね」と話す。

 では「スカウト」としての眼力はいかほどだったか。


 果たして、落合氏が自身の目で見て獲得した2014、15年ドラフト組―いわゆる“落合チルドレン”―は、ほとんど1軍に定着できなかった。昨季、15年ドラフト4位の福敬登投手(JR九州出身)が27試合に登板したのが“出色”と言えるか言えないかという程度。2勝を挙げた同年1位の小笠原慎之介投手(東海大相模高出身)は、スカウト陣の猛プッシュで指名した選手であり、高卒選手の獲得に否定的だった落合氏は関わっていない。

 球団が落合氏の退団を発表したのは昨年12月20日。翌朝のスポーツ各紙は同氏の功罪について検証し、スポーツ報知も「即戦力として獲得した社会人出身選手は戦力にならず、スカウトとしての能力には疑問符がついた」と書いた。球団首脳も、即戦力ルーキーが額面通りの働きを見せなかったことがチームの低迷に直結したと認めている。つまり落合氏が「名スカウト」たり得なかったことが、自身の退団の一因になったと言えるだろう。

 そのことを猛烈に悔やむ選手がいる。「落合さんの野球が勉強したくて『中日以外なら社会人(JX―ENEOS)に残ります』という話もした」という14年ドラフト4位の石川駿内野手だ。2年間で1軍出場は2試合にとどまり、いまだ初安打も記録していない。「僕は責任を感じるというレベルにも達していない。それでも、僕にできることは結果を出すことしかない。(落合氏の名誉挽回?)そのためにやるわけじゃないですが、最終的にそういう結果になれば一番いい」と3年目の変わり身を誓った。

 石川と同期入団でドラフト7位の遠藤一星内野手(東京ガス出身)も同意見だ。昨季は開幕スタメンの座をつかんだが、右肩痛などの影響で27試合の出場に終わった。落合氏の退団について「僕だけじゃなく、このチームに属しているみんなが責任を感じているはず」としながらも、「この世界に入れたのは落合さんがいたから。それだけのことをしてもらった恩があるのに、恩返しできてないのが…」と強い自責の念にとらわれている。

 現在、石川は絶好調。持ち前の勝負強さと思い切りの良さを発揮して初の開幕1軍切符をつかみつつある。遠藤も俊足と巧打を武器に正左翼手の座に近づいている。走力とパンチ力を併せ持つ15年ドラフト6位・石岡諒太内野手(JR東日本出身)もブレイクを予感させるパフォーマンスを見せている。

 彼ら落合チルドレンの活躍は、昨季19年ぶりの最下位に終わった中日の浮上に必要不可欠。そして彼ら自身が願うように、名選手かつ名将だった落合氏が「何だかんだ言って名スカウトでもあった」と再評価される道につながっていく。

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