↑TV対談で侍ジャパン日本代表・小久保監督(左)にエールを送った原辰徳氏
2009年WBCで侍ジャパンを世界一に導き、今大会はTBSでWBC解説を務める、原辰徳前巨人監督(58)が23日、日本代表・小久保裕紀監督(45)に闘魂を注入した。この日から宮崎で始まった代表合宿終了後、侍ジャパン公認サポートキャプテンに就任した元SMAPの中居正広(44)と対談し、指揮官として「覚悟」の大切さを説いた。2大会ぶりの頂点に向け、選手個々の状態に目を光らせ、球場や天候などすべての条件を味方につけて戦う重要性を強調した。
いよいよ侍ジャパンの合宿が始まった。真新しいユニホームに身を包んだ小久保監督を、原さんは温かい目で見つめ、前回に引き続き、公認サポートキャプテンを引き受けた中居も興奮を隠し切れなかった。
中居「小久保監督、(WBC開幕まで)2週間を切りました。今の心境を率直にいかがでしょうか」
小久保「ユニホームを着ると、やっぱり緊張感が高まるのは感じますね。今年のWBCに向けて(監督を)という話をいただいて、引き受けさせてもらって、今回が集大成。いよいよ来たなという感じですね」
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中居「原さんからもうかがいたい。代表監督としての難しさを教えていただきたい」
原「小久保ジャパンとして3年半がたち、その集大成ですね。ジャイアンツの監督をやっている時、彼が私にいろいろ質問したり、あるいはこっちも質問したり。いろんな話の中で、いい話はできてる。そういうのが経験談として彼に伝わり、7日から始まる本大会でいい形で出てくれればなと思う」
09年、原さんは巨人の監督も務めながら大会に挑んだ。だが、小久保監督は日本代表が初の監督経験。13年10月から3年半の期間をかけてチームを作り上げたが、難しさは当然ある。
中居「ペナントレースの監督と国際試合の代表との監督は違いますよね」
原「違います。まず、短期決戦であると。それが勝負の中で一番難しいところでもあるし、逆に波に乗りさえすれば、力以上のものが出る可能性というものは非常にあるわけですね」
小久保「やっぱり一発勝負なので、いきなり最初に3点4点のビハインドで試合が始まってしまうと、なかなかひっくり返すのは難しい。1番手、2番手のピッチャーが試合を作らないと勝負にならないかなと思いますね」
原「戦力をよく見ておかないと。すべて(の選手の調子が)右肩上がりに、っていうのは難しい。そこは状態を見ながら登用する。ただ、(監督として)ブレないところも必要。あとは自分自身の決断というものを、いかに信じるか。勝負の世界ってね、いい決断をしてもいい結果が出るかどうかは難しい。ただし、自分を信じて決断するか、疑心の中で決断するか。この違いはある」
中居「小久保さんも、苦渋の決断というのは毎回、出てくる。瞬時の切り替えもあると思いますが」
小久保「こうすれば、こういう答えが出ますというのがあれば簡単ですよね。ないところに決断を下すのが仕事。今、おっしゃられたように、その前にどこまで自分で納得できて、自分の中でこれをすればっていう決断が大切だと思う」
中居「腹をくくりながら、覚悟を決めながらということでしょうね」
原「覚悟でしょうね」
中居「覚悟、決められないじゃないですか。ご飯食べるのもどうしようか考えるぐらい。世界中が注目している中での決断というのは、背負うものも大きいでしょうし。そのへんのメンタルは大変な思いをされてると改めて思う」
原「まあしかし、選ばれた方ですから。自分でなりたいからなれたポジションじゃない。みんなが求めて、小久保くん頼むと、いうところで受けた役割。そこは自信をもってほしい」
球界を代表する選手たちが集結した、侍ジャパン。各チームで主力の投手、野手をどう選び、どう使うかで戦況は変わる。09年、原監督は片岡や川崎、亀井という、代表ではサブの役割を期待した選手から先に選んでいった。
小久保「原さんとお話させてもらった時の控えの選手から決めたという話がヒントになった。預かる選手は自分のチームではバリバリのレギュラーで中心選手。その選手が代表に入ったときには控えに回ったり、下位打線になったりする可能性がある中で、少しチームに悪影響というか、ふてくされてしまったりというようなものが出る選手であれば、チームの和を乱しかねない。それが一番考えましたね。現状では内川は、ホークスではキャプテン、4番を打ってますが、今回はスタメンでない可能性がある。ただ、彼はそういう時にでもチームにプラスになる選手です」
中居「09年で言うとイチロー選手にリーダーシップを発揮してもらいたいというのもあったと思います。チームリーダーというのは、いかがでしょうか」
原「特に野手に関しては、イチローを中心としたチーム作りでした。ただ、聞こえはあまりよくありませんけど、サブの選手も、チームの力になる、困ったときは彼らが助けてくれるという強さもあった」
中居「『和』というものがものすごく大事なんじゃないかなと改めて感じさせてくれる大会だと思うけど、まず打撃陣からおうかがいしたい。原さんはクリーンアップからじゃなくて、6番7番、1番2番から考えた」
原「特徴としてはスピード、そして全力でプレーができる、それと自己犠牲ができる。これは絶対世界でナンバーワンのチームを作ろうと思いました。パワーとか、テクニックだとかは、日本代表より勝るチームはあるんだろうな、と想像できましたから。やっぱり一番最初に考えたのは、イチローをどこの打順に置こうかと。最初(強化試合で)は3番でスタートしました。そしたら、状態的に居心地良さをあまり感じなかったんですね。彼ともちょっと話をして、『俺、独り言言うよ』と。『独り言言うから、君も独り言のように言ってくれ』と。『イチローは3番より1番がいい?』って言って。そしたらね、独り言で彼も『はい』って。よし、分かったと1番と3番を(本大会では)ひっくり返した」
当時メジャーリーガーだった福留、岩村、城島を下位に置いたこともあった。それは名前だけで打順を決めるという固定観念にとらわれない原監督らしい用兵だ。
原「メジャーリーガーですよ。しかし、僕はあえて状態というものを見たときに7、8、9だなと。そういうところからスタートしてチームが一つになれたのかなと。逆にメジャーリーガーを中心にすべてを作っていたなら、果たして全員が『よーし、このチームは自分のチームだ』と思って戦えたのかなというのはあった」
小久保「3番・イチローに続く選手たちに、普通は(メジャーリーガーを)クリーンアップにすると思うんですけど、プライドがあるのを分かっていながら、7、8、9に据えることができたという強さと言いますか。それがないと、勝てないんだなというのは感じましたし、日の丸を背負ってる、勝つためだからこそ犠牲になれると思うんですよね。自分の中でそれが課題だと思います」
国際大会は、国内のリーグ戦のように全てが順調に進むとは限らない。王監督が指揮を執った第1回の06年も、米国との2次リーグ初戦で、三塁走者・西岡のタッチアップが早いとして判定が覆る“誤審”があり、09年も練習時間が急きょ変更になったり、キューバとの第2ラウンド敗者復活戦では濃い霧が立ちこめたりと予想外の出来事が起きる。だが、すべてを味方につける大きな心を持つことが大切だ。
中居「予選は東京ドーム。でもアメリカで屋外になると、風も気候もあるでしょうし、また守備隊形も変わってくるんじゃないかなと。そこらへんでの微調整というのが出てくるかもしれませんよね」
小久保「特にピッチャーは湿度が低くなるので、最初(練習で)アリゾナに行かなくちゃいけないけど、行った途端、変化球が曲がらなくなったりということは、過去の経験者から聞いてます。そういうところの対応は必要になってくると思いますね」
中居「原さん、監督としてでもいいですし、これからWBCを戦う選手にエールでもいいですし、大事なこと必要なこと、一番考えないといけないことを教えていただきたい」
原「東京ドーム、日本で行われているときは自分たちのペースでできるでしょう。でも、(準決勝以降の)ロサンゼルスなど外に出ると、周りすべてが敵に見えるケースがある。ただ、敵は相手チームだけ。グラウンドであったり、空気であったり、ファンであったり、そういうものを全て味方にする。そういう考え方でいかに戦えるか。何が起こったって不思議じゃないってね。そういうふうな考え方になると、日本代表として気持ちが(積極的に)前に出るような気がする」
中居「環境が変わっても、監督が一番どっしりしてないといけない立場かもしれない」
小久保「国際大会は何が起こってもおかしくないというところからのスタートだと思っている。選手にも言ったのは、少々の照明の暗さだったり、審判との相性もある。ストライクかなと思ったのをボールだと言われたとしてもおかしくない。そういうことを肌で感じている選手が集まっている。あとはスコアラーを含めてデータの部分でも、準備も含めて、これだけはしておかないといけないと思うことはしてきたつもり。あとは原さんがおっしゃったように、覚悟を決めて進むしかない」
中居「世界一奪還ですから」
原「我々、応援団がついてるからね」
中居「微力ながらですが、応援させていただきたいと思います」
◆27日TBSで放送 「原×小久保×中居」のスペシャル対談の模様は27日、午後11時55分からTBSの「NEWS23×WBCスペシャル」内で放送される。また、同日から同番組では、侍ジャパンのエース・菅野の大会直前企画などを連日放送。世界一奪回を狙う小久保ジャパンのすべてに迫る。
◆小久保 裕紀(こくぼ・ひろき)1971年10月8日、和歌山市生まれ。45歳。星林高から青学大に進学し、92年バルセロナ五輪で銅メダル。93年ドラフト2位(逆指名)でダイエー(現ソフトバンク)入団。95年に本塁打王、97年に打点王。03年オフに巨人移籍。06年オフにFA移籍で古巣に復帰。11年日本シリーズでは40歳1か月で史上最年長MVP。12年に通算2000安打を達成し、同年限りで現役引退。13年10月に日本代表監督に就任。182センチ、87キロ。右投右打。
◆原 辰徳(はら・たつのり)1958年7月22日、福岡県大牟田市生まれ。58歳。東海大相模高―東海大を経て、80年ドラフト1位で巨人入団。81年に新人王、83年は103打点で打点王とMVP。95年に現役引退。99年に野手総合コーチとして巨人復帰。ヘッドコーチを経て、02年に監督就任し、リーグ制覇、日本一。03年オフに退団し、06年に巨人監督に復帰。09年は第2回WBCで日本代表監督に就任し世界一。巨人ではリーグ3連覇と日本一を達成した。12年からリーグ3連覇。15年で監督を勇退した。181センチ、88キロ。右投右打。
◆中居 正広(なかい・まさひろ)1972年8月18日、神奈川県生まれ。44歳。87年にジャニーズ事務所に入り、91年にSMAPのメンバーとしてデビュー。NHK紅白歌合戦で司会を6度、グループで大トリを5度務めた。WBCでは、09年の第2回でテレビ朝日の「日本代表サポートキャプテン」、第3回(13年)からNPB(日本野球機構)による「WBC侍ジャパン公認サポートキャプテン」を務める。
2009年WBCで侍ジャパンを世界一に導き、今大会はTBSでWBC解説を務める、原辰徳前巨人監督(58)が23日、日本代表・小久保裕紀監督(45)に闘魂を注入した。この日から宮崎で始まった代表合宿終了後、侍ジャパン公認サポートキャプテンに就任した元SMAPの中居正広(44)と対談し、指揮官として「覚悟」の大切さを説いた。2大会ぶりの頂点に向け、選手個々の状態に目を光らせ、球場や天候などすべての条件を味方につけて戦う重要性を強調した。
いよいよ侍ジャパンの合宿が始まった。真新しいユニホームに身を包んだ小久保監督を、原さんは温かい目で見つめ、前回に引き続き、公認サポートキャプテンを引き受けた中居も興奮を隠し切れなかった。
中居「小久保監督、(WBC開幕まで)2週間を切りました。今の心境を率直にいかがでしょうか」
小久保「ユニホームを着ると、やっぱり緊張感が高まるのは感じますね。今年のWBCに向けて(監督を)という話をいただいて、引き受けさせてもらって、今回が集大成。いよいよ来たなという感じですね」
おすすめコンテンツ
中居「原さんからもうかがいたい。代表監督としての難しさを教えていただきたい」
原「小久保ジャパンとして3年半がたち、その集大成ですね。ジャイアンツの監督をやっている時、彼が私にいろいろ質問したり、あるいはこっちも質問したり。いろんな話の中で、いい話はできてる。そういうのが経験談として彼に伝わり、7日から始まる本大会でいい形で出てくれればなと思う」
09年、原さんは巨人の監督も務めながら大会に挑んだ。だが、小久保監督は日本代表が初の監督経験。13年10月から3年半の期間をかけてチームを作り上げたが、難しさは当然ある。
中居「ペナントレースの監督と国際試合の代表との監督は違いますよね」
原「違います。まず、短期決戦であると。それが勝負の中で一番難しいところでもあるし、逆に波に乗りさえすれば、力以上のものが出る可能性というものは非常にあるわけですね」
小久保「やっぱり一発勝負なので、いきなり最初に3点4点のビハインドで試合が始まってしまうと、なかなかひっくり返すのは難しい。1番手、2番手のピッチャーが試合を作らないと勝負にならないかなと思いますね」
原「戦力をよく見ておかないと。すべて(の選手の調子が)右肩上がりに、っていうのは難しい。そこは状態を見ながら登用する。ただ、(監督として)ブレないところも必要。あとは自分自身の決断というものを、いかに信じるか。勝負の世界ってね、いい決断をしてもいい結果が出るかどうかは難しい。ただし、自分を信じて決断するか、疑心の中で決断するか。この違いはある」
中居「小久保さんも、苦渋の決断というのは毎回、出てくる。瞬時の切り替えもあると思いますが」
小久保「こうすれば、こういう答えが出ますというのがあれば簡単ですよね。ないところに決断を下すのが仕事。今、おっしゃられたように、その前にどこまで自分で納得できて、自分の中でこれをすればっていう決断が大切だと思う」
中居「腹をくくりながら、覚悟を決めながらということでしょうね」
原「覚悟でしょうね」
中居「覚悟、決められないじゃないですか。ご飯食べるのもどうしようか考えるぐらい。世界中が注目している中での決断というのは、背負うものも大きいでしょうし。そのへんのメンタルは大変な思いをされてると改めて思う」
原「まあしかし、選ばれた方ですから。自分でなりたいからなれたポジションじゃない。みんなが求めて、小久保くん頼むと、いうところで受けた役割。そこは自信をもってほしい」
球界を代表する選手たちが集結した、侍ジャパン。各チームで主力の投手、野手をどう選び、どう使うかで戦況は変わる。09年、原監督は片岡や川崎、亀井という、代表ではサブの役割を期待した選手から先に選んでいった。
小久保「原さんとお話させてもらった時の控えの選手から決めたという話がヒントになった。預かる選手は自分のチームではバリバリのレギュラーで中心選手。その選手が代表に入ったときには控えに回ったり、下位打線になったりする可能性がある中で、少しチームに悪影響というか、ふてくされてしまったりというようなものが出る選手であれば、チームの和を乱しかねない。それが一番考えましたね。現状では内川は、ホークスではキャプテン、4番を打ってますが、今回はスタメンでない可能性がある。ただ、彼はそういう時にでもチームにプラスになる選手です」
中居「09年で言うとイチロー選手にリーダーシップを発揮してもらいたいというのもあったと思います。チームリーダーというのは、いかがでしょうか」
原「特に野手に関しては、イチローを中心としたチーム作りでした。ただ、聞こえはあまりよくありませんけど、サブの選手も、チームの力になる、困ったときは彼らが助けてくれるという強さもあった」
中居「『和』というものがものすごく大事なんじゃないかなと改めて感じさせてくれる大会だと思うけど、まず打撃陣からおうかがいしたい。原さんはクリーンアップからじゃなくて、6番7番、1番2番から考えた」
原「特徴としてはスピード、そして全力でプレーができる、それと自己犠牲ができる。これは絶対世界でナンバーワンのチームを作ろうと思いました。パワーとか、テクニックだとかは、日本代表より勝るチームはあるんだろうな、と想像できましたから。やっぱり一番最初に考えたのは、イチローをどこの打順に置こうかと。最初(強化試合で)は3番でスタートしました。そしたら、状態的に居心地良さをあまり感じなかったんですね。彼ともちょっと話をして、『俺、独り言言うよ』と。『独り言言うから、君も独り言のように言ってくれ』と。『イチローは3番より1番がいい?』って言って。そしたらね、独り言で彼も『はい』って。よし、分かったと1番と3番を(本大会では)ひっくり返した」
当時メジャーリーガーだった福留、岩村、城島を下位に置いたこともあった。それは名前だけで打順を決めるという固定観念にとらわれない原監督らしい用兵だ。
原「メジャーリーガーですよ。しかし、僕はあえて状態というものを見たときに7、8、9だなと。そういうところからスタートしてチームが一つになれたのかなと。逆にメジャーリーガーを中心にすべてを作っていたなら、果たして全員が『よーし、このチームは自分のチームだ』と思って戦えたのかなというのはあった」
小久保「3番・イチローに続く選手たちに、普通は(メジャーリーガーを)クリーンアップにすると思うんですけど、プライドがあるのを分かっていながら、7、8、9に据えることができたという強さと言いますか。それがないと、勝てないんだなというのは感じましたし、日の丸を背負ってる、勝つためだからこそ犠牲になれると思うんですよね。自分の中でそれが課題だと思います」
国際大会は、国内のリーグ戦のように全てが順調に進むとは限らない。王監督が指揮を執った第1回の06年も、米国との2次リーグ初戦で、三塁走者・西岡のタッチアップが早いとして判定が覆る“誤審”があり、09年も練習時間が急きょ変更になったり、キューバとの第2ラウンド敗者復活戦では濃い霧が立ちこめたりと予想外の出来事が起きる。だが、すべてを味方につける大きな心を持つことが大切だ。
中居「予選は東京ドーム。でもアメリカで屋外になると、風も気候もあるでしょうし、また守備隊形も変わってくるんじゃないかなと。そこらへんでの微調整というのが出てくるかもしれませんよね」
小久保「特にピッチャーは湿度が低くなるので、最初(練習で)アリゾナに行かなくちゃいけないけど、行った途端、変化球が曲がらなくなったりということは、過去の経験者から聞いてます。そういうところの対応は必要になってくると思いますね」
中居「原さん、監督としてでもいいですし、これからWBCを戦う選手にエールでもいいですし、大事なこと必要なこと、一番考えないといけないことを教えていただきたい」
原「東京ドーム、日本で行われているときは自分たちのペースでできるでしょう。でも、(準決勝以降の)ロサンゼルスなど外に出ると、周りすべてが敵に見えるケースがある。ただ、敵は相手チームだけ。グラウンドであったり、空気であったり、ファンであったり、そういうものを全て味方にする。そういう考え方でいかに戦えるか。何が起こったって不思議じゃないってね。そういうふうな考え方になると、日本代表として気持ちが(積極的に)前に出るような気がする」
中居「環境が変わっても、監督が一番どっしりしてないといけない立場かもしれない」
小久保「国際大会は何が起こってもおかしくないというところからのスタートだと思っている。選手にも言ったのは、少々の照明の暗さだったり、審判との相性もある。ストライクかなと思ったのをボールだと言われたとしてもおかしくない。そういうことを肌で感じている選手が集まっている。あとはスコアラーを含めてデータの部分でも、準備も含めて、これだけはしておかないといけないと思うことはしてきたつもり。あとは原さんがおっしゃったように、覚悟を決めて進むしかない」
中居「世界一奪還ですから」
原「我々、応援団がついてるからね」
中居「微力ながらですが、応援させていただきたいと思います」
◆27日TBSで放送 「原×小久保×中居」のスペシャル対談の模様は27日、午後11時55分からTBSの「NEWS23×WBCスペシャル」内で放送される。また、同日から同番組では、侍ジャパンのエース・菅野の大会直前企画などを連日放送。世界一奪回を狙う小久保ジャパンのすべてに迫る。
◆小久保 裕紀(こくぼ・ひろき)1971年10月8日、和歌山市生まれ。45歳。星林高から青学大に進学し、92年バルセロナ五輪で銅メダル。93年ドラフト2位(逆指名)でダイエー(現ソフトバンク)入団。95年に本塁打王、97年に打点王。03年オフに巨人移籍。06年オフにFA移籍で古巣に復帰。11年日本シリーズでは40歳1か月で史上最年長MVP。12年に通算2000安打を達成し、同年限りで現役引退。13年10月に日本代表監督に就任。182センチ、87キロ。右投右打。
◆原 辰徳(はら・たつのり)1958年7月22日、福岡県大牟田市生まれ。58歳。東海大相模高―東海大を経て、80年ドラフト1位で巨人入団。81年に新人王、83年は103打点で打点王とMVP。95年に現役引退。99年に野手総合コーチとして巨人復帰。ヘッドコーチを経て、02年に監督就任し、リーグ制覇、日本一。03年オフに退団し、06年に巨人監督に復帰。09年は第2回WBCで日本代表監督に就任し世界一。巨人ではリーグ3連覇と日本一を達成した。12年からリーグ3連覇。15年で監督を勇退した。181センチ、88キロ。右投右打。
◆中居 正広(なかい・まさひろ)1972年8月18日、神奈川県生まれ。44歳。87年にジャニーズ事務所に入り、91年にSMAPのメンバーとしてデビュー。NHK紅白歌合戦で司会を6度、グループで大トリを5度務めた。WBCでは、09年の第2回でテレビ朝日の「日本代表サポートキャプテン」、第3回(13年)からNPB(日本野球機構)による「WBC侍ジャパン公認サポートキャプテン」を務める。